1月に開催されたテニスの全豪オープンで、錦織圭はベスト8に進出したものの、宿敵であるノバク・ジョコビッチを前に第2セットの途中で棄権を余儀なくされた。
ゲームカウント1-6で最初のセットを落とした後、メディカルタイムアウトを取ってトレーナーの処置を受けたものの、第2セットでもストローク戦でボールを追うことができないほど右の太腿に痛みが走った。1-4となったところでリタイアを決断、今年最初のグランドスラムは幕を閉じた。
準々決勝までに4試合を戦ったうち3試合は最終の第5セットまでもつれ込み、特にベスト8をかけたスペインのパブロ・カレーニョ・ブスタ戦は5時間以上にも及ぶ激闘となった。
1セット目からタイブレーク(ゲームカウントが6-6になった際に、7ポイント先取で決着をつける)になり、3セット目、そして5セット目もタイブレーク(最終セットのみ10ポイント先取というルール)という接戦。最後は5-8と先行されたが、そこから連続でポイントを取って巻き返し、10-8と大逆転で勝利を収めた。
中1日の休みはあったものの、やはり完全回復とはいかず、対ジョコビッチ戦でカラダが悲鳴を上げたのは当然とも言える状況だった。
念願のグランドスラム制覇も現実味を帯びていただけに残念がる声も多かったが、ちょうど1年前の彼は怪我から復帰したばかりで、チャレンジャーという下部トーナメントの初戦で敗退したことを考えれば、今年の全豪オープンを通じて世界ランク7位まで戻ってきたことは奇跡的だと言っていい。
集中できないことへの苛立ち
日本のスーパーヒーローがオーストラリアで戦いを繰り広げていた時、米国のフロリダでは日本人の女子ジュニア選手が米国テニス協会のローカルトーナメントで決勝に進んでいた。
14歳の彼女は16歳以下のカテゴリーに出場し、格上の選手が集まるなか、粘り強く試合を勝ち抜いていた。錦織vsカレーニョ・ブスタ戦が行われた翌日に開催された決勝戦は最終セットまでもつれ、10ポイント先取のタイブレーク。6-8とリードを許すも集中力を切らさず10-8と逆転して初優勝を飾った。
IMGアカデミーに所属している生徒であること、そして全豪オープンで奮闘を見せた錦織圭のスコアと酷似していたこと。この2つだけであれば、わざわざ伝えるほどの特別なストーリーではないけれど、私が感慨深くなったのは数年前の出来事に起因する。
その日、彼女はIMGアカデミーのキャンパスで大泣きしていた。小さいカラダに大きなラケットバッグを背負い、練習をしていたテニスコートから寮へと歩きつつ、泣きじゃくりながら、もうテニスをやめないといけない、とつぶやいた。聞けば、練習に集中していないことをコーチから注意され、もうコートに来なくていいと言われてしまったという。
いろいろな感情が混ざっていたのだと思う。中学1年生で親元を離れ、世界中から集まった練習相手はプレースタイルもバックグラウンドも違う。日本食もないし、学校の授業もテニスのレッスンもすべて英語。集中力を失ったというよりは、どう集中していいかわからない、という様子だった。とにかくコーチにすべて話してみよう。そう言って一緒にテニスコートに戻った。
あの歳の辛さはわかる
夕方、錦織圭からテキストが届いた。泣いていた生徒にツアー用に使っているポロシャツか何かを渡したい、というオファーだった。少し離れたコートで練習していたのは知っていたけれど、よく見ていたなと感心したし、気にかけてくれたことがとてもうれしかった。
「あの歳の辛さはわかる」というのは、自身がフロリダに来たのも13歳で、同じように英語でのコミュニケーションもままならず、1年くらいは環境に馴染むことだけでいっぱいだったからこその理解だ。翌日、テニスコートで生徒と少しだけボールを一緒に打ってくれた。
全豪オープンでベスト8まで進むことが、なんだか当然のように感じてしまうほど今では世界のトップ選手として定着しているけれど、テニスが好きな少年がさまざまなことを乗り越えてきた事実をもう一度考えさせられる大会だった。
飛び抜けた才能と、幼少期からの海外経験。世界トップレベルでの結果。それらが錦織圭を特別な存在にしているのは間違いない。しかし、一人の人間が苦悩し、喜びを感じながら成長していることは忘れたくない。
一方で、グランドスラムとはレベルが雲泥かもしれないが、フロリダのローカルの大会で、あきらめず、粘り強く戦った生徒の姿は、テニスやさまざまなスポーツの素晴らしさ、それを通じて成長する人間の愛おしさのようなものが、試合のレベルや勝敗にかかわらず、本質的には同じことを教えてくれた。
全豪オープン期間中に、生徒から錦織圭にLINEのメッセージが送られた。「全力で応援します!」という言葉に、ポンポンを持って応援するドラえもんとドラミちゃんのステッカーが添えられていた。
田丸尚稔(たまる・なおとし)
出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学教育学部にてスポーツマネジメント修士課程を修了。2015年からスポーツ教育機関、IMGアカデミーのフロリダ現地にてアジア・日本地区代表を務める。