バドミントン選手・廣田彩花

「私にとっての最善は、福島先輩にとっての最善だったから」バドミントン選手・廣田彩花(後編)

廣田彩花は、10年以上、地元・熊本の先輩である福島由紀と女子ダブルスで「フクヒロ」ペアを組んできた。東京オリンピック直前、そしてパリオリンピックを目指す最中に、廣田は二度の前十字靭帯断裂を経験する。その怪我によって、二人の目標と関係性は少しずつ変わっていった。怪我は、廣田にどんな感情をもたらしたのか。

取材・文/村岡俊也 撮影/松本昇大

バドミントン選手・廣田彩花

怪我からの復帰。けれど、再び。

東京オリンピック直前に右膝前十字靭帯を断裂し、廣田彩花はプロテクターをつけて出場を果たした。全力を出し切った準々決勝での敗退後、「もう一度、福島先輩と一緒にコートに立ちたい」という思いから1週間後には内視鏡による手術を受けた。

7ヶ月に及ぶ一進一退のリハビリの支えとなったのは、ダブルスのペアを組む一歳上の先輩、福島由紀からの「廣田を待ちたい」という言葉だった。怪我からの復帰後は、2022年の世界選手権を目標としていたために、大会後にはどこか「もやもやしながら」試合に臨んでいたという。

「次の(パリ)オリンピックを目指しますって、覚悟がないと言えなかったから。もう辞めた方がいいのかなとも、どこかで思っていました。実は福島先輩には一度『もう辞めたい』と伝えています」

生活のすべてを捧げなければ、オリンピックに出場することなどできないのかもしれない。まして廣田の決断は、自身だけでなく、ペアを組む福島の未来も左右することになる。怪我は、頂点を目指して突き進んでいたアスリートの思考を複雑にしてしまう。

それでも廣田は「東京では果たせなかった『万全な状態で挑みたい』という思いが芽生えて、ようやく覚悟が決まったんです」と、特別な舞台であるオリンピックに挑戦することを決める。福島に「やっぱりパリを目指します」と伝え、二人はパリオリンピック出場のためのレースに参戦していく。

それは、ようやく怪我以前のイメージと実際の動きとのギャップが埋まり始め、コンディションが上向いてきたタイミングだった。日本代表選考の二番手につけていたフクヒロペアは、ポイントを稼ぐために「シドモディ・インド・インターナショナル」に出場していた。

2023年12月2日、大会5日目の準決勝で廣田は、着地した際に左膝が内側に入ってしまう。瞬間的に「1回目の経験もあったから、ああ、同じだなって、すぐにわかった」という。前回と反対の脚である左膝前十字靭帯の断裂だった。

「何で今なんだろうなって思いましたね。その前の週に、久しぶりに納得のいくパフォーマンスができて、気持ちも上がってきていたから。1回目の時と同じで、福島先輩に申し訳ないっていう思いで頭がいっぱいになりました。いえ、2回目だから、その思いはもっと強かったですね。その後には、いろんな気持ちになりすぎて、自分でも自分がどう思っているのか、よくわからなかったんです。手術もしたくないし、でもこのまま終わりたくもない。もうバドミントンも辞めたかったくらい」

熊本県和水町の「なごみん」と、サンリオのキャラクター「ハンギョドン」

廣田のカバンにつけられた、出身地である熊本県和水町の「なごみん」と、サンリオのキャラクター「ハンギョドン」。

どの道を選べば後悔がないのか、わからなかった。

手術を選択すれば、リハビリに半年以上かかり、パリオリンピックの予選レースには間に合わない。手術を回避しても「万全な状態でオリンピックに出場する」という目標は叶わない。何より廣田は、怪我をした自分のフォローを強いられる福島のことを案じていた。もしも自分がプロテクターを装着して出場したら、そのせいで負担が増え、福島先輩が怪我をしてしまうかもしれないと、悪い想像ばかりが湧いてくる。どの道を選べば後悔がないのか。廣田は混乱の中で1ヶ月を過ごす。

一度は手術を選択し、福島にもそう伝えていたが、正月の帰省中にかかってきた監督からの電話で、その決意を翻し、保存治療を選んでパリオリンピックを目指すことに決める。

「どの選択も間違っているような気がして、わからなかったんですよね。周囲からは『自分にとっての最善を選択して』と言われていましたけど、私にとっての最善は、福島先輩にとっての最善だったから。だからこそ、迷いました。そのせいで福島先輩を振り回してしまったけど、自分の中だけでは決めきれなかった。手術を選択していた際に、監督から『福島はやりたがってる』と聞いたんです。福島先輩も、直接私には言えなかったんだと思います。お互いのことを思っているからこそ、本当の部分は言えなかったんだと思う。私もそうだから。でも福島先輩が挑戦したがっていて、自分にも同じ思いがあったから『やります』と」

2021年に右膝を怪我していなければ、2023年の左膝の怪我はなかったかもしれない。無意識に右膝を庇っていた負担が、左膝の前十字靭帯断裂を誘発したのかもしれない。そんな行き場のない「もしも」を頭の中から振り払い、廣田は自身の決断に従ってパリオリンピックの予選レースに、前十字靭帯が切れた状態で参戦する。

結果として、バドミントン人生の集大成になるはずだったパリオリンピックに出場することは叶わなかった。

「当初の『万全な状態で出場する』という目標が、怪我をしてからは、『とにかくレースをやり切る』に切り替わっていたので、全部終わった時には良かったなと思いました。オリンピックが全てではないと思えたから。いろんな方から『勇気づけられました』とか『ありがとう』という言葉をたくさんいただいて嬉しかったし、バドミントンを続けてきて良かったなって素直に思えたんです」

バドミントン選手・廣田彩花

2024年7月24日に左膝を手術し、前回と同じように7ヶ月かけてリハビリを行なった。曲がらない膝を、痛みを堪えながら少しずつ曲げる。明確な目標もなく、当初は復帰するかどうかさえ決めていなかったため、二度目のリハビリは一度目よりもはるかに辛く苦しかったという。

「いろんな人に支えてもらっているんだなって、すごく感じたんです。それまでは自分のためにバドミントンをやっていたけれど、応援してくれている方たちのために頑張ろうと。ファンの方からの言葉がすごく胸に響いて、だから今も頑張れているんです。恩返しではないですけど、感謝を伝えたいなって。私には、コートの上でしか表現することができないから」

廣田は、引退せずに復帰することを選んだ。「怪我で終わるのが一番悔しいから。とりあえず試合をして終わりたい」と言った。

ペアを解消して、今、思うこと。

手術後、リハビリのために東京に滞在している期間に、福島から電話がかかってきた。「(他の選手から)ペアを組みたいと言われていて、きちんと区切りをつけたい」という趣旨だった。廣田は、その言葉に「私も同じように思っていました」と返した。二人は、およそ12年間組んできたダブルスのペアを正式に解消することに決めた。

「これからは新しい気持ちでバドミントンができるんじゃないかなって思いましたね。それはきっと福島先輩も同じだと思います。もう“フクヒロ”にこだわる必要もないんじゃないかなって。パリのレース前に、『パリまでは一緒にやろう』と二人で話していたので、今がいい区切りなんじゃないかな。寂しいとか、喪失感という言葉は適切ではない気がします。今の気持ちを正確に言葉にするのは……、難しいな。それよりも応援したい気持ちの方がずっと強いんです。私の2回の怪我のせいで、福島先輩は苦しい思いもたくさんしてきたから。その分だけ全力でバドミントンを楽しんでほしいと思うし、自分と組んでいた経験も活かしてほしい。福島先輩のダブルスの試合も、できるだけ見るようにしています。楽しそうにプレーしている姿を見るのが、私は嬉しいから。思いっきりやっている姿を見られるのが」

そこまで言葉にして、廣田の目から、溜まっていた涙がこぼれてしまった。

12年間同じコートに立ち続け、阿吽の呼吸が生まれるまで繰り返し練習し、表情を見なくとも何を考えているのかわかるほど、ペアとしての強さを磨き上げてきた。一緒の飛行機の隣の席に座って向かう遠征先で、同じホテルの同じ部屋に泊まり、勝利の歓喜も敗北の悔しさも、どちらも二人で分け合い噛み締めてきたパートナー。常に自分を引っ張ってくれた福島が新しい道へと歩み出す姿を見て、廣田は「嬉しい」と言った。二人が唯一、分かち合うことができなかったのが、怪我の経験なのかもしれない。

廣田と福島。ペアは解消したが、同じチームに所属する選手として、今も共に汗を流している。二人が共にコートに立つ姿を見ているだけで、胸が熱くなる。

「怪我をすることで必然的に自分の身体と向き合う時間はすごく増えました。身体だけでなく、心とも向き合わざるを得ない。今の自分の気持ちを冷静に、客観的に見ることができるようになった気がしますね。もちろん年齢を重ねてきたおかげもあるかもしれないけれど、それまでは、ただ突っ走るしかなかったから。私はストイックになることはできるけれど、不器用な選手だと思います。でも、不器用なりに、自分の経験を伝えられたらいいなと思っているんです。バドミントンが好きだっていう気持ちが一番にあるし、どれだけ楽しめるのかも大事なのかなって思うようになりました。もちろん勝ち負けはつきものですけど、一番は自分がどれだけ楽しくできるのか。これからは、そういう姿を見てもらいたいなと思っています」

「バドミントンが好き」と胸を張って言えるようになったのは、二度目の手術が終わった後からだという。幼い頃から毎日の食事や睡眠と同じように、当たり前に生活に組み込まれていたバドミントンが、二度の怪我を経て初めて、楽しむ対象になった。

引退について訊くと「どうなんでしょうね? 自分でもわからないんです。復帰しないことには辞められないですし。復帰して、自分の気持ちがどう動くのか、自分でも楽しみなんです」と言って、少し笑った。

インタビューを終えて、体育館での練習を見せてもらう。軽くシャトルを打ち合うウォーミングアップで、そのスピード感に驚かされる。少しずつ角度を変え、シャトルを打ち込み、繰り返し感触を確かめている。廣田が立つ隣のコートには、福島がいた。

同じように軽く体を動かしながら、少しずつペースを上げている。多くのプレイヤーが練習する中で、どうしても福島と廣田の動きを目で追ってしまう。ミスが少なく、圧倒的に対応力が高い。二人は一瞬、会話を交わして、またそれぞれの練習に打ち込んでいく。対戦相手を変えながら隣のコートへと移動していく練習で、二人の距離は少しずつ離れていった。

「バドミントンには、決まった動きがないんです」という廣田の言葉の通り、シャトルに合わせて身体が勝手に反応しているように見える。後輩たちに、小さな声でアドバイスをしている。膝には、簡易的なテーピングだけ。予定された復帰戦まで1ヶ月を切っている廣田の動きは、とてもしなやかで、歓びに満ちているように見えた。

バドミントン選手・廣田彩花
Profile

廣田彩花(バドミントン選手)
1994年生まれ熊本県出身。2013年高校最後の公式戦で、実業団の選手を破り、熊本県総合バドミントン選手権女子シングルスで優勝。卒業後に、福島由紀と同じチームに。2015年フクヒロペアで、スコットランドオープンで初めての国際大会優勝。以降、四度の全日本総合選手権優勝ほか、二度のアジア選手権金メダルなど、国際舞台でも優勝多数。右膝前十字靭帯を断裂したまま出場した東京オリンピックでは5位入賞。岐阜Bluvic所属。二度目の怪我から、2025年5月に復帰を果たした。