安楽宙斗(クライミング)「自分が納得する登りで1番。 それが本当の強さだと思う」

17歳の青年は2年弱という凝縮された時間のなか、逞しく成長してトップクライマーの仲間入りを果たす。そして今、彼は新たなスタートを切ろうとしている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年3月6日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎

初出『Tarzan』No.898・2025年3月6日発売

安楽宙斗 クライミング
Profile

安楽宙斗(あんらく・そらと)/2006年生まれ。169cm、59kg。小学校2年の7月にクライミングを始め、翌年の3月には全国規模の大会で7位に入る。18年、アクアバンクボルダリング小学生競技大会で優勝。21、22年、世界ユース選手権のリードで2連覇。23年のワールドカップではボルダーとリードの2種目で総合優勝を果たす。同年11月のアジア大会で優勝し、パリ・オリンピックの出場権を得る。五輪ではクライミング日本男子初の銀メダルを獲得する。

苦手でもテンションが保てる。こうなれたのは、大きなことだったと思う。

「めっちゃ、緊張するっていうイメージで行ったんですけど意外と普通、何かこれまでと変わらないって感じがありました。結局、2、3時間で競技は終わってしまう。だから、やっているときも淡々と時間が過ぎていったという印象でした」

2024年のパリ・オリンピックのクライミング、男子複合で銀メダルに輝いた安楽宙斗は、競技前から競技中の自分の心境についてこう語った。2023年、つまりパリの1年前にIFSCクライミングカップのボルダーとリードの2種目で年間王者となり、勢いのままアジア大会でも優勝。これで、オリンピックの出場権を得た17歳の青年は、2年弱という凝縮された時間のなかで大きな舞台を踏み続けてきた。それだから、平常心でオリンピックにも臨めたのだろう。

安楽宙斗 クライミング

だが、彼の言う「淡々と時間が過ぎていった」のは、準決勝が終わり、決勝のリードが始まる前までだった。複合ではボルダーとリードの2つの種目の総合点で順位を競う。パリでの決勝は、安楽は得意のボルダーで1位になり、リードへとコマを進めた。リードではボルダーの順位が下位の選手からスタートするので、安楽は最終の競技者となった。

「緊張しました。ボルダーの2位の選手との差があまりなくて、全然油断できなかった。リードで1位にならないと優勝できないこともわかっていました。ただ、あのときは今以上に経験も少なくて……。ワールドカップは年に何回もある。その中で1回勝つというのは簡単ではないですが、なくはないことなんです。でも、4年に一度という本当に規模の大きな舞台で勝ち切ることに対しては、まだ未熟だったということです。だから、出場したけれど、いろんなことが完璧に調整できているわけじゃなくて、中途半端で終わってしまったというのが正直な感想です」

試合後に安楽は「いつ落ちてもおかしくない、けっこうダメダメな登りだった。完敗だった」と、悔しさを滲ませた。ただ、17歳でこの競技では日本男子初となるメダルを獲得したことは、これから先の大きな経験になるであろう。

力を使わないような登り。その感覚が染みついていた。

中途半端というキーワードが安楽の口から出たが、これは結果的にそうなってしまったということだ。実は彼は自分のスタイルに疑問を持ち始め、なんとオリンピックの2か月ほど前から、改善しようと努力していたのだ。自分のスタイルを本番の直前に変えるということは、どんなに勇気がいることだろう。すべてが狂ってしまうこともあり得る。しかし、彼は修正にチャレンジして、完璧には改善できないままオリンピックへ突入してしまった。中途半端と言ったのは、その辺りの事情がある。

安楽宙斗 クライミング

「小学校2年でクライミングを始めたんですが、小さいころは力がないから、力を使う登り方はしなかった。その感覚が染みついてしまっていたんです。だから大きな動きだったり、腕の力だけで支えたりする必要があるパートが苦手。オリンピックのリードではそういうパートが多かった。それでちょっと迷ったりとか、行きつ戻りつみたいなことをしちゃって、体力を消耗してしまったんです」

ただ、今はオリンピックのときに比べれば、格段の進歩を遂げているといえる。それは、2025年2月に行われたボルダージャパンカップで優勝したことが証しとなった。この大会では全体を通して、パワーが必要となるパートが多く、これまでの安楽ならば苦手意識が先行していたはず。だが、このときは実に堂々たる登りで、ボルダーでは4つの壁に設けられた4つの課題を登るのだが、そのうちの3課題を見事完登したのだ。

安楽宙斗 クライミング

「自分向きじゃないと全然できないという感じだったのが、少しずつ変わってきたように思います。やっぱりクライミングは苦手がない人が勝つ。そのうえで2、3の分野で飛び抜けたところを持っている人が強い。僕の場合は苦手だったらテンションが落ちてしまうことがあったのですが、今はテンションを保っていけるようになった。これは、けっこう大きなことだと思いますね」

週4回の練習は6時間。テーマを決めて集中する。

もちろん、この意識変化は毎日の練習によって作り上げられた。「地味で本当に基礎のクライミングってところに取り組んだ」と安楽も言う。

安楽宙斗 クライミング

「週4回、常に自分でテーマを決めて行っています。時間は“今日はこれぐらいでやめておいたほうがいいな”と思うまでですね。疲れまくってもいいわけじゃない。やっぱり一回一回を集中することが大事だと思っているので、そうなると5、6時間ということになってしまいます」

これと並行して行っているのが筋力トレーニングだ。週1、2回、自分が足りないと思った部分を補う。

「大事なのは体幹と、脚の瞬発力、それに肩ですね。たとえば体幹ならばプランクです。足の裏が滑るような素材を履いて、プランクの状態で脚を上げたり下ろしたり。あと、ゴムをつけて引っ張るように動くとか。脚は片足を後方に下げて腰を下ろす(バックランジ)などをやります。肩を含めた上半身は懸垂。10kgのウェイトをつけて、6回を3セットがギリギリできるぐらいです。他の選手は60kgとかで全然持ち上げちゃうので、僕は弱いんですけどね」

クライミングはあくまで自分との闘い。相手のことはあまり考えない。

2025年は、前述したようにジャパンカップで優勝し、絶好調のようだ。「ココロもカラダもすごくいい感じなんです」と笑う。18歳になった彼には、あるのは伸びしろだけである。これまでのキャリアを生かしつつ、今後はどのように成長していくのか ? それが楽しみである。

安楽宙斗 クライミング

「やっぱり、将来的には名だたる大会で優勝したいと思っています。たとえば、リードジャパンカップとか世界選手権のボルダーとか。最後はやっぱりオリンピックですね。前までは、ただ一所懸命やるだけだったのが、最近は1位を獲りたいとか明確な目標を持つように変わってきた。大会に出場するときも直前まで登っていたのが、今は疲労を抜くため練習量を減らしていったり、いろいろ気も使うようになりました(笑)。

ただ、クライミングという競技は対人競技ではなく、あくまで自分との闘いだとは思っています。試合のときも相手のことはあんまり考えないですし、自分がこうしなきゃいけない、こうしたいということばかりを考えている。だから、自分ががんばって、自分が納得する登りができて、最終的にまわりと比べたら1番だったっていうのが本当の強さだし、大切だろうなと思っているんです」