日下尚(レスリング)「20年間の集大成。 全部ぶつけようと思った」

日本レスリング史上最重量クラスで優勝した。だが、彼の人生は決して順風満帆ではなかった。もがき苦しんだ末に摑み取った栄冠だったのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年2月6日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎

初出『Tarzan』No.896・2025年2月6日発売

日下尚 レスリング
Profile

日下尚(くさか・なお)/2000年生まれ。172cm、77kg、体脂肪率7%。3歳からレスリングを始める。香川県の高松北高校の3年時に全国高校生グレコローマン選手権71kg級で優勝。日本体育大学1年時に全日本選抜選手権、全日本選手権で優勝。4年時には全日本学生選手権で2連覇。23年、三恵海運に所属となり、世界選手権で3位。これによりパリ・オリンピック代表に内定し、24年の五輪では優勝した。

緊張はカラダが準備しているサイン。そう考えることで前を向いて行ける。

2024年、開催されたパリ・オリンピックのレスリング、男子グレコローマン77㎏級で優勝したのが、日下尚である。日本レスリング史上最重量クラスでの金メダルだった。決勝で勝利したときにはバック転、バック宙を決め、彼の名の由来となった高橋尚子さんがシドニー・オリンピックのマラソンで優勝したときに残した言葉、「すごく楽しい42kmでした」になぞらえ「すごく楽しい6分間でした」と、満面の笑みで語った。

だが、彼は派手なパフォーマンスで自らを積極的に前へと押し出すタイプではない。寡黙までではないが、淡々と積み重ねていくことだけを考え、ここまで上り詰めた男なのだ。

日下尚 レスリング

「自分は今、24歳ですが、オリンピックのときは23歳でした。3歳からレスリングを始めて、ずっともがき苦しんできた。だから、20年分の集大成というか、全部ぶつけてやるという感覚は、パリを目指していたころからずっと持っていたんです」

とにかく努力の人である。ずっと自分の身体能力は人並みと思い続けていたため(決してそうではないと思うのだが)、勝つためには人よりやるしかなかった。ただ、練習量は選手に自信をつける源になるのだが、その量が異常なほどの日下も、オリンピック直前には緊張したと言う。

日下尚 レスリング

「リラックスとか、全然できないですね。でも自分の場合は、これまでやってきたこと、何のためにやってきたのか、こんなところで相手に負けるためにやってきたわけじゃない、という思いがある。もちろん、最初は緊張に潰されそうになりましたが、経験でこう思えるようになったんです。だから、緊張というのはカラダが準備しているサインで、そう考えることでマイナスではなく、前を向けるという感じになれるんです」

緊張すら味方につけ、日下は満員の観衆が見守るなかマットに立った。

足腰とレスリングが嚙み合って爆発した。

ほとんどの選手がそうであるように、日下もまたフリースタイルからレスリングの世界に入っていった。レスリングにはフリースタイルとグレコローマンがあり、違いは全身を攻めることができるか否か。グレコローマンでは腰から下の攻撃は反則となる。

ただ、小中学時代の日下は、これといった成績を残せなかった。このことが彼に自分は人並みと思わせるようになったのであろう。しかし、中学で始めた相撲では全国大会に出場するなど才能を見せ、高校への推薦話もあったという。日下は「相撲レスラー」との異名を持つが、足腰の強靱さはこの経験で生まれた。

日下尚 レスリング

「今でも、たまに相撲の先生から連絡があったりすると、“四股踏めよ”と言われたりするんです。だから、高校から始めたグレコローマンで、これまでキツかったけど鍛えてきた足腰とレスリングがミックスできて、上手く嚙み合ったときに爆発したっていう感じですね。相撲をやっていたとき、最低100回は踏んでいたけど、今は20〜30回を練習の前後、試合の前にも足腰に刺激を入れるためと動作の確認のために行います」

トレーニング、食事、睡眠。自分で決めたことを徹底的に行うことが大事。

下半身を攻められないグレコローマンでは力勝負という面があり、これが日本人に不利な要素となる。外国人に比べて日本人は筋肉がつきにくいといわれる。そのため日本の選手は、押してきたタイミングで引いて投げを打つとか、相手の力を利用するような作戦をとることも多い。しかし日下は押し一辺倒。「見た目のカラダは1回戦負けなんてよく言われる」と日下は笑うが、それとは裏腹に誰とでも堂々と渡り合える力がある。そして、その力は“もがき苦しんだ”20年のなかで生まれた。

日下尚 レスリング

「フリースタイルのときは全然勝てなかったんです。その悔しさがずっとあって、それだから絶対に(オリンピックへ)行くというブレない気持ちがあった。この気持ちは誰にも負けない。それがなければ何で練習しているのかわかんないですし。人と同じことをしていたらダメといいますが、たとえば具体的に言えば、みんな練習後に“もうちょっとやろうよ”って言って、それが終わったら帰る。それってプラスアルファなのって思います。練習前、練習後にも自分で決めたことを徹底的に行うことが大事です。さらに、カラダのケア。これができないのは二流、三流。睡眠に関して言えば最低7時間。朝と午後の練習の間に90分寝るとか。湿度も疲労回復に関係あるから、乾燥機をかけるとか、食事もトレーニングも自分で厳しくやりました」

日下尚 レスリング

高校時代の恩師に「才能は努力で超えられる」という指導をしてもらった。日下はずっとそれを信じ続けた。だが、努力をここまで継続できるというのは、それはそれで大きな才能だと言うことができるだろう。

終わったとき強いと思った。こんなのは初めての感覚。

さて本番だ。日下は初戦から2回戦までテクニカルスペリオリティー(グレコローマンでは8点差がついたら試合終了)で勝利。「大声援で本当に楽しめた」と言う。そして彼が、ここが勝負だと思っていた準決勝に進む。相手は22年に敗れているマルハス・アモヤン(アルメニア)。

「絶対にリベンジしてやると思っていました。ただ、ポイントが1対1で折り返したときには、ウァッてなってしまいましたが(笑)。終わったときに、本当に強いなって思ったのは、初めての感覚でしたね。その選手に勝てたのも、決勝に進めるということもうれしかったですね」

決勝の相手は組み合ってすぐ、負けないとわかった。先行を許すが、休まずに押し切って勝利し、最初に記したパフォーマンスと一問一答となった。最高の一日であっただろう。

日下尚 レスリング

そして、今も日下は歩みを止めていない。昨冬は強豪選手が集い、競い合うドイツのブンデスリーガに参加した。ドイツではレスリングが人気で、観客は足繁く会場に通う。ここから新たなスタートが切られた。

「ブンデスリーガでは80kg級で参加したから、パワーが凄いヤツがイッパイいたし、観客の盛り上がりも凄くて、それを経験できたことは大きいと思います。今後の目標はまず世界選手権。まだ優勝したことがないんです。さらに、オリンピック2連覇。よくオリンピックがすべてじゃないと言う人がいますが、実際にレスリングではオリンピックがすべてですから。それから今、20連勝しているのですが、これをもっと伸ばしていきたいと思っています」

じゃあ女子のように100連勝以上を目指しますか?と聞くと「女子が簡単にやってしまうので価値が落ちてしまっているんです、イヤ、マジで」と、苦笑いする日下だった。

Loading...