樋口黎(レスリング)「この競技が大好きだから絶対負けたくない」
リオデジャネイロ・オリンピックで銀メダルを手にした天才レスラーは、壁を乗り越えてパリへと向かっていく。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.881〈2024年6月6日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/赤澤昂宥
初出『Tarzan』No.881・2024年6月6日発売
Profile
樋口黎(ひぐち・れい)/1996年生まれ。164cm、57kg、体脂肪率4%。ミキハウス所属。4歳からレスリングを始める。小学校では2~6年まで全国大会で優勝。全日本中学選手権では1~3年まで3位。高校2年のインターハイからは無敗を誇った。2015年の全日本選手権で優勝。16年のアジア予選で優勝し、リオデジャネイロ・オリンピックの出場権を獲得。オリンピックは2位。21年、プレーオフに敗退して東京オリンピックを逃す。23年、世界選手権で2位となりパリ・オリンピック出場を決める。
試合の直前になって、バシッとスイッチが入る。
相手の攻撃を捌き、流れるような動きで素早くタックルに入る。そして軽やかなステップで、バックに回り込む。樋口黎のレスリングには美しさがある。20歳でリオデジャネイロ・オリンピックの代表になり、銀メダルを獲得した。
ただ、周りの反応はイマイチだった。樋口なら“金”と多くの人が思っていた。高校のインターハイでは5試合の総得失点が33―0。相手に1ポイントも与えないパーフェクトを達成しているのだ。まあ、天才である。
ただ、孤高の人ではない。現在の所属はミキハウスだが、母校である日本体育大学のレスリング場では、後輩を相手に冗談を言い、笑顔で会話する。質問をされたら、自分の手の内を惜しげもなくさらけ出す。奔放なのだ。そんな彼が、2大会ぶりにオリンピックへの出場を決めた。昨年、セルビアで行われた世界選手権の準決勝で勝利し、権利を手にした。大会前、何を思っていたのか。
「現地に入ったのが、4、5日前だったんですが、減量のために、とにかくセルビアの街を走ってました」
樋口は57kg級。だが、この時点では3kgオーバーだった。5日で3kgの減量は簡単なことではない。しかし、彼は自分のやり方を体得しているのだ。それは、後に記したい。
「試合の前日までは走って、(減量のために)水分を抜いて、ユーチューブ見て、マンガ読んだりして…。試合のことは一切考えませんね。緊張もしません。リラックスしていますよ。それで試合の直前にバシッとスイッチが入る感じなんですよね」
試合当日に計量がある。樋口は当然のようにクリア。5日で3kgを見事に落とし、そして戦いが始まった。
プレーオフでは減量で、カラダがボロボロだった。
8年前。リオ五輪の後、樋口は大きな壁に行く手を遮られた。それが体重だ。当時は20歳で、まだまだ体格はよくなる。57kgに落とすのが厳しくなってきたのだ。そこで65kgへと階級を上げる。次は東京オリンピックが目標だ。ちなみに、世界選手権などの大会では61kgという階級もあるが、オリンピックでは57kgの上はいきなり65kgになる。
「ただ、65kgの選手は骨格がもうひとつ大きくなるので、自分よりリーチも長くて、身長も高い選手とやらないといけない。自分のベストは61kg級ですが、オリンピックにはない。それで、65kgにしたんだけど、乙黒(拓斗)君とかと試合をして、やっぱりオリンピックで金を獲るなら57kgしかないと思ったんですよ」
まず61kg級へと階級を下げ、そこから57kg級へと移行した。そして、全日本選手権で優勝し、2021年、東京オリンピックの出場権を懸けたアジア予選に挑んだのだ。ここで3位以上になれば東京への切符が手に入る。ところが、57kgにわずか50gの超過で計量失格となってしまう。それでも、まだチャンスはあった。プレーオフという試合だ。ここで、元世界チャンピオンの高橋侑希に勝てば東京への道が拓けた。しかし結果は負け。道は完全に断たれた。
「プレーオフでも体重を落とすのに苦労して、試合ではまったく動けなかった。減量でけっこうボロボロになっていたんです。ただ、そのときは悔しい気持ちはありましたけど、とにかく全力を出してやり切ったという感じだったので、負けをしっかり受け止めようと思いました。それで、28歳まで現役を続けると決めたので、パリまでに自分のダメだった点を改善しようと考えました。ひとつには、減量のやり方ですよね」
樋口は通常の体重は65kg前後。つまり、8kgの減量が必要となる。どうすればパフォーマンスを維持しながら、体重を落としていけるのか。さまざまな情報を取り入れて吸収し、自分なりの方法を確立していった。
「1か月で2kg体脂肪を落とすのが目安です。僕の場合は3か月ぐらいかけて59kgまで落として、最後の2kgは試合前に水分をカットして試合というカタチが一番いいと思っています。減量するときは、まずローファット(脂肪の摂取を抑える)でやって、落ちなくなったらケトジェニック(糖質を制限して脂肪を摂る)で絞る。それを繰り返すんです。そして、試合前はローファットで炭水化物を摂取するのが重要なんです」
相手のことがわかれば、不安も焦りもなくなる。
パリを懸けた世界選手権に話を戻す。減量は成功、スイッチも入った。初日は1日4試合とハード。2試合をこなし、準々決勝。コレがきつかったと樋口は言う。相手は前大会の61kg級での銅メダリスト、アルメニアのアーセン・ハルチュニャンだ。
「けっこう強いのはわかっていたんです。最初に7点取られて。7―2からのスタート。でも、5点差あっても落ち着いてひとつずつ取り返していこうという感じでした。片足タックル、一本背負い、強いローリングで冷静に勝つことができました」
準決勝は10―0とテクニカルスペリオリティ(10点差で勝利が確定)。これでパリは決まった。ただ、決勝では敗れた。樋口は「なんか気が抜けちゃったんですよね。借りは必ず本番で返します」と、笑うのだが。
さて、オリンピックである。樋口はすでに、出場するすべての選手を深く分析しているという。試合に臨む前の準備が周到なのだ。だから、試合直前になっても緊張せずに、冷静に減量に集中できるのだろう。
「相手がどのタイミングでどの技を仕掛けてくるのか。追い込まれた場面で、どういうアクションをするのか。どこが弱点なのか。そういうことが、けっこうわかっているので、そんなに不安はないですね。焦りもまったくないです。あとは自分でちょっとずつ、調整したり微修正していくという作業だけだと思っているんです。もちろん、練習しているなかで、フィジカルの部分を高めていったり、自分で試したいと思う部分はいっぱいある。常に、もっといろんなことをやってみたいという、ワクワクした気持ちで練習はやっていますね。パリでは金メダルを獲らなければいけないと思っています。やっぱり、この競技が大好きでずっとやってきて、絶対に負けたくないというココロが強いですからね」
8月5日から11日。エッフェル塔の足元にあるシャン・ド・マルス・アリーナで競技は行われることになっている。樋口の笑顔、そして勝利の女神・ニケの描かれた金メダルを首に掛ける彼に期待したい。