五輪開催中にスポーツフォトグラファーが垣間見た、パリの様子。
長年、さまざまな競技で取材を続けるスポーツフォトグラファー・中村博之さんによる、五輪開催中のパリを舞台にしたフォトエッセイ。当時の記憶と重ねてご覧ください。
取材・文・撮影/中村博之
満員のスタジアムに響き渡る観衆の大声援、割れんばかりの拍手。その先には感情をマスクで隠す必要もなくなったアスリートとの躍動する姿があり、スタンディングオベーションで応援する大観衆と勝者の笑顔、敗者の涙がコラボされ、スポーツの魅力をさらに輝かせてくれるような気がして、改めてアスリートを後押ししてくれる応援は必要だと強く思った。新型コロナウイルスの世界的大流行から4年半、夏季オリンピックの有観客は2016年リオデジャネイロ大会以来8年ぶり。通常運転に戻ったオリンピックが花の都パリで開催された。
過去の大会と比べて市内はオリンピック開催に浮き足たっておらず、普段通りの生活をしているように感じた。そのうえ、バカンスの時期とも重なっているためパリを離れている市民も多く、地下鉄などは想像していたよりも混雑する事は少なかった。また、通常だとメインプレスセンター周辺や各会場の大会関係者入り口付近に一般市民や観客は近づけないようにセキュリティーが厳しく、動線が分離されているが今回は細かくて繊細な運営では無いため観客と交わる事が多かった。良く言えば、フランスらしく人々の行動を縛る事なく自由を大切にしているのだろう。
取材をするメディアの立場としては、関係者の動線やメディアバスの移動はスムーズに行い、競技の取材に集中したいところだが、僕はこの状況が楽しかった。会場周辺で観客がどのように過ごしているのかを知りたいし、観戦後に会場周辺で自国選手の活躍に歓喜している応援団やレストランで楽しく家族、恋人、友人達と食事をしている姿をみると、やっぱりスポーツには人々を幸せ気持ちにさせてくれる力がある のだと嬉しくなる。
勝敗の結果やメダルの獲得数ばかりではなく、市内の様子や会場周辺を多角的な視点から1枚,1枚丁寧にシャッターを押していく事で、十分にオリンピックを感じ取れて、大切な瞬間が沢山あるのだと再確認できた大会でもあった。
メインメディアセンターはパレ・デ・コングレ – パリ・コンベンションセンター内に設置された。開幕3日前の写真だが、セキュリティーはのんびりと椅子に腰掛け、世界最大のスポーツイベントが開催さる雰囲気は全く無かった。 テロを警戒して新凱旋門と呼ばれる『グランダルシュ』付近を巡回する地元警察官。 バレーボールや卓球などが行われた会場のパリ南アリーナ付近で撮影。普段通り仕事に出かけるパリ市民も多くいた。 セーヌ川で行われた開会式は厳重な警備体制を敷かれ、フォトグラファーもポジションが決められており自由に動く事ができなかった。写真はVIPの食事を担当しているホールスタッフのランチ風景。 雨の降る朝6時台にメインメディアセンターの近くで、ゴミ収集車にゴミを集める作業員。
フェンシング会場のグラン・パレに向かう途中には、自由に落書き可能な黒板が設置されていた。さすが芸術の都パリだ。 オリンピックのメインイベント男子100m決勝には世界中のフォトグラファーが集結した。 カヌー会場の一角にあるテントのオフィスを除くと、スタッフが表彰式で使用する国旗にアイロンをかけていた。珍しい光景でついついシャッターを押した。 セーヌ川スタートで行われたトライアスロンには大勢の観客が詰めかけた。 自転車のツールドフランスで慣れているのか?自転車競技の応援は大いに盛り上がった。 ホッケー会場となったスタッド・イヴ・デュ・マノワールスタジアム。100年前に開催された1924年パリ大会では開会式と陸上競技が行われた。 ブルボン宮殿に展示されている6競技のビーナス像を綺麗に撮影しようと試みている観光客。 柔道で世界1位の競技人口を誇るフランス。柔道会場は常に熱気に包まれていた。 少女はマスコットのフリージュリュックを背負い、フランスの世界遺産『コンコルド広場』にある会場に一人で向かっていった。 閉会式の夜も大騒ぎすることもなく、静かにパリ市内の夜はふけていった。
フォトグラファー・中村博之
中村博之(なかむら・ひろゆき)/1977年生まれ、福岡県出身。1999年スポーツフォトエージェンシー『フォート・キシモト』に入社。2011年フリーランスとして活動を始める。オリンピックは夏季冬季合わせて11大会を取材。世界水泳選手権は2005年モントリオール大会から取材中。2015年FINA世界水泳選手権カザン大会より、世界水泳連盟のオフィシャルフォトグラファーを担当。国際スポーツプレス協会会員(A.I.P.S.)/日本スポーツプレス協会会員(A.J.P.S.)。 Instagram:@hiro_sportsphoto