• 「課題をつぶしていけば、52秒台が見えてくる」水泳選手・本多灯
COLUMN
2021.07.28

「課題をつぶしていけば、52秒台が見えてくる」水泳選手・本多灯

本多灯(ほんだ・ともる)
本多灯(ほんだ・ともる)/2001年生まれ。173cm、75kg、体脂肪率13%。日大藤沢高校在学時、19年に世界ジュニア水泳選手権の男子200mバタフライで準優勝。日本大学では20年に日本学生選手権男子200mバタフライ、400m個人メドレーで優勝。21年、日本選手権の男子200mバタフライで優勝。アリーナつきみ野SC所属。

東京オリンピック・男子200メートルバタフライで、銀メダルを獲得した本多灯選手。彼はいかに練習を重ね、五輪の舞台に臨んだのか。本誌『ターザン』に掲載されたインタビューを全文掲載。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.812〈2021年6月10日発売号〉より)

憧れの瀬戸大也を追い抜いて。

25mのプール、本多灯は両腕で水を搔き、ダイナミックなバタフライのフォームで進んでいく。この距離をわずか6~7掻きで泳ぎ切る。さまざまな厳しいメニューを、タイムを計りながら黙々とこなしていく姿を見ると、彼が競技と真摯に向き合い、追求してきたから強く、速くなれたことが十分わかる。

ところが、練習後の取材では実に楽しそうな笑顔で、しかも周囲に気を配りながら話してくれるのである。相当疲れているはずなのに、だ。19歳の青年の気遣いと優しさが感じられた。

今年4月に開催された水泳の日本選手権は、東京オリンピック代表選考会を兼ねた大会だった。この大会の男子200mバタフライで優勝し、オリンピック行きを決めたのが本多である。試合について聞いた。

本多灯(ほんだ・ともる)

「僕は初日に400m個人メドレーでレースをしたので、バタフライのときは雰囲気にも慣れていて、緊張しないで泳げました。思っていた通りに進められた、大成功のレースでした。ただ個人メドレーでも代表を目指していたので、それが叶わなかったことが、ひとつ悔しいです」

本多の隣のレーンを泳いだのが、日本のエース・瀬戸大也。1分52秒53の日本記録保持者だ。レースは、150mまでは接戦で、最後のターンで瀬戸がトップに立つ。

しかし、ここからが本多の真骨頂。後半に自信がある彼は、少しずつ間を詰め、なんとゴール5m手前で追い抜いたのである。タイム的には1分54秒88と本多自身も満足する内容ではなかったが、瀬戸に勝ったことは、この先の大きな自信に繫がるはずだ。

「大也さんには200mバタフライで過去1回だけ勝っているのですが、それは偶然が重なったというか、出来すぎの感じの勝利だったんです。だから、日本選手権でしっかりと勝ち切ることがひとつの目標になった。

ここで結果が出れば、これから先もがんばっていけると思っていましたし、優勝したときはうれしかったですね。掲示板の順位を見て、思わずガッツポーズをしてしまいました」

本多にとって瀬戸は、ずっと憧れの存在だった。5年前のリオデジャネイロ・オリンピックも、代表選考会から見ていた。残念ながら瀬戸は本番では200mバタフライでは5位。しかし、400m個人メドレーで銅メダルを獲得。同じ種目を行う選手として尊敬するのは当然だ。

「日本選手権では、不思議だなと思っていました。ずっと憧れていた大也さんと隣同士のレーンになって、しかもライバルの一人として見てくれている。それだけでも、感激だったし、気持ちが引き締まりました」

瀬戸の背中を見て、追い続けた少年が、19歳になってようやく対等に戦えるようになった。その気持ちの内は、彼の溢れんばかりの笑顔にはっきりと表れているようである。

幼稚園で「オリンピックに出場したい」。

水泳を始めたのは3歳のとき。兄がやっているのを見て、自分もやりたいと言ったらしい。3歳で!と思うのだが、母親からの正確な情報のようだ。オリンピックに出場したいと思ったのも早かった。

幼稚園の卒園アルバムに書いてある。「あんまり知らなかったですが」と、本多はまた笑顔。ちょっとガチのクラスに(本人弁)入って、練習していた。

「初めての大きな大会がジュニアオリンピック。記念に出たというぐらいの酷い成績で、それでも、大きな大会に出られたことで、みんな喜んじゃって。夢はオリンピックなんですけど(笑)」

中学に入ってからは、練習の質も量も上がっていった。その結果、全国中学校水泳競技大会は2年のときに初めて出場して、3年のときには200mバタフライと400m自由形で準優勝することができたのだ。

「初めてのメダルだったのでうれしかったし、ナショナルタイム(ナショナル選手標準記録、これを突破するとジュニアの日本代表合宿に参加できる)も切れたので、上のレベルの練習や合宿に行けるというのも自分自身のためになりました。

それまでは、神奈川県代表の練習に参加していたのですが、全国になると、本当にわけがわからないぐらい速い選手がいる。本当にすごいんです。たとえば(幌村)尚さん。3つ年上なので力は違っていたのですが、50mで自分より3秒ぐらい速かった。こりゃ、勝てないわって半分あきらめていました」

本多灯(ほんだ・ともる)

それでも、水泳にはのめり込んでいった。さらに母親に「タイムが出たら、スマホ買ってあげる」と言われたことも原動力となった。現代っ子らしいエピソードだ。

高校では2年のジュニアパンパシフィックで3位、3年の世界ジュニア水泳選手権で準優勝。ここから道が開ける。まず3年生の初夏、瀬戸をはじめトップ選手、ジュニア選手とヨーロッパグランプリを転戦することになった。

「2019年です。そのとき、自分の結果がそんなによくなくて、どうすれば大也さんみたいになれますかね、と聞いたんです。いつもは気さくな大也さんですが、そのときは真面目に“練習は裏切らないよ”って。

他のコーチに言われたら、そうだなって納得するだけで終わっていたのでしょうが、大也さんに言われると、やっぱりグッときちゃいました」

そして、昨年の秋は北島康介氏がGMを務める水泳チーム〈東京フロッグキングス〉の選手として、ブダペストでの国際リーグに出場した。活動停止処分だった瀬戸に代わって、まさしく大抜擢されたのである。

「突拍子もない話で、呼ばれたときは何で?って感じ。だって、世界のトップ選手だけが集まってくるんですから。1か月ちょっとチームで行動したのですが、初めて受ける大きな刺激だったし、うれしかった。

萩野公介さんと一緒に練習させてもらって、公介さんにも憧れていましたから、そういう人の練習を見られただけでも、勉強になりました。アドバイスもしてもらいましたし」

特別な経験をいくつも積み上げて、それが今回の優勝、そしてオリンピックへと繫がっていったのだ。

筋トレをやったことで、軸を保てるようになった。

アリーナつきみ野スポーツクラブ。子供のころから通ったこのクラブのプールが本多の本拠地である。そして、週に何度か東京・豊洲にあるアリーナ・スポーツ・コンプレックスのプールへと足を延ばし練習する。

「クラブのプールは短水路(25m)なんです。ここでは主にテクニックを磨いています。水中での姿勢作りですとか、水をキャッチする技術ですね。

ただ、25mだと最大スピードを出す前に泳ぎ切ってしまう。だから、スピードや体力をつけたりするには長水路(50m)のほうがいい。豊洲のプールは低酸素状態で泳ぐことができるんです。キツいけど、もとの酸素状態に戻ったときにラクだし、心肺機能が鍛えられますね」

本多灯(ほんだ・ともる)

筋力トレーニングは去年12月から始めた。週2回、プッシュアップスクワットなど、主にベーシックなメニューで構成されている。

「まだ始めてから間がないんですが、これまでは泳いだとき、調子の良し悪しの差が激しかったんです。でも、筋トレを始めて、その差が少なくなった。

たとえば、腕を支える筋肉を鍛えたことで、水をキャッチして、しっかり捉えられるようになったし、水中でのカラダの軸を保ちやすくなったように思う。これまで使えていなかった部分が使えるようになった。そんな感じがしますね」

現在の本多のベストは日本選手権で出した1分54秒88。このタイムで世界と戦うのは少し難しい。1分53秒台前半というのが一つの目安になる。この取材を行ったのが4月。オリンピック本番までに、果たして2秒の差は埋められるのだろうか。

「僕の弱点は前半のスピード。世界の選手に比べると、最初の100mで1秒ほど遅い。ミラク(ハンガリー)が1分50秒73の世界記録を出したときは、100mを52秒台で通過した。彼は図抜けているんですが、僕は54秒台ですから、これでは勝負できない。前半はゆっくり落ち着いて泳いで、53秒台が出るようにしたい。

そのためにはスピードと体力をもっとつけていく必要があります。課題は多いから、それをつぶしていけば52秒台も不可能ではない。オリンピックは夢だったので楽しみですが、開催されるか心配でもある。まずは自分が健康でいて、真剣に取り組むことを継続して待ちます」

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.812・2021年6月10日発売

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