筋トレが(トータル4分トレ「HIIT」が)脳にいい、いくつかの理由
運動後の脳機能のアップには、かつて疲労物質の汚名を着せられていた「乳酸」が深く関わっているらしい。どのような運動によって脳の「実行機能」は向上するのか。そのメカニズムとともに学んでおこう。
取材・文/石飛カノ イラストレーション/松原光 取材協力/橋本健志(立命館大学スポーツ健康科学部スポーツ健康科学科教授)
初出『Tarzan』No.811・2021年5月27日発売
目次
運動中の脳のエネルギーは、糖質ではなく乳酸だった!
こちらの記事でも伝えた通り、全身の組織の中でも随一の大食漢、脳のエネルギー源は糖質だ。ただしこれ、あくまで「平常時」という条件つき。ひとたび運動を始めると、脳は別のエネルギーを糧として作動する。何を隠そう、その名は「乳酸」だ。
改めて説明しよう。運動によって糖質が分解されるとピルビン酸という物質になり、一部は細胞内のエネルギー産生工場、ミトコンドリアに取り込まれて多くのエネルギーを作り出す。そして大部分は乳酸へと変化する。
運動を続けてカラダに乳酸が溜まっていくと細胞の活性が低下し、疲れを感じるようになる。よって乳酸=疲労物質。これが長年信じられてきた定説。でも後年、乳酸がエネルギーとして再利用されることが分かり、ひとまず濡れ衣は晴れた。
事実、立命館大学の橋本健志教授は、運動を開始すると乳酸を運ぶ分子の働きが活発になり、ミトコンドリア内に直接取り込まれることを突き止めた。だが、そればかりでなく、脳のエネルギーとして活用されていることが近年分かったのだ。
乳酸を作り出せないと、運動後に頭が働かない!
下のグラフをご覧いただこう。脳に取り込まれる糖質と乳酸の量を測定したものだ。
これによると、運動強度が高まるにつれて糖質の取り込み量が減り、逆に乳酸の取り込み量が増える。つまり、運動時は乳酸が糖に取って代わって脳のエネルギー源となる。その昔は獲物を延々追いかけているとき、現在では遅刻ギリギリで駅の階段を駆け上がっているとき、脳は乳酸を燃やしてエネルギーを得ているわけだ。
さらに、橋本教授らとコペンハーゲン大学の共同グループはすごい実験を行った。被験者に乳酸が多く出る条件とそこそこ出る条件を設定し、動脈から脳に取り込まれる物質と静脈から出ていく物質を計測。すると、前者は脳への乳酸の取り込みが低下して運動後の認知機能は改善せず、後者は逆に運動前より認知機能が高まった。
「脳の神経活動が高まると酸素やエネルギーの需要は当然高まります。乳酸がしっかり神経活動を支えることができていれば認知機能、とくに実行機能が上がっていくはず。この仮説を基に実験を行った結果、それを証明することができました」(橋本教授)
サッカーやマラソンでは、後半で判断ミスをしがち?
さて、ここで問題です。サッカーのゲームでは前半と後半、どちらが血液中の乳酸の量が多いでしょうか。ゲームが長引くほど糖質が分解されてどんどん乳酸が増えるから後半? ブブー、答えは前半。
というのも、乳酸は主にグリコーゲンという形で筋肉に蓄えられている糖質が分解されてできるから。糖質は脂肪のように体内に大量に蓄えられない。体脂肪は10kg、20kgと蓄えられるのに対して、グリコーゲンは肝臓に約100g、筋肉に約400gしか貯蔵できないのだ。
肝臓のグリコーゲンは主に血糖値の維持に使われるので、運動時のエネルギー源として使えるグリコーゲンはわずか400g。材料となるグリコーゲンが運動中にどんどん減っていけば乳酸の量も減っていく。よってサッカーのゲームでは後半、マラソンでも終盤になるほど頭はモーロー、判断能力が鈍る。
運動開始後、カラダの中でいかに乳酸を作り出せるかが最後までパフォーマンスを維持する決め手になるというわけ。
糖質はいわば丸太、乳酸はウッドチップ。
では、脳と筋肉はエネルギーとしての糖質を取りっこして、脳は枯渇していくグリコーゲンの代わりに乳酸を利用しているのだろうか。いやいや、こうした考え方は未だに乳酸の実力を舐めている証拠。
「筋肉自体も運動時に乳酸をエネルギーとして使っています。心臓などはとくに顕著。安静時は約8割程度、脂肪をエネルギーとしていますが、ちょっと歩くだけでも5割程度乳酸をエネルギー源として利用するようになります」
つまり、乳酸は運動時のエネルギー源としてとても重宝する物質ということ。
「糖と乳酸を分けて考えるのがそもそもの誤解です。グリコーゲンが分解されてできるピルビン酸と乳酸は安静時で1:10くらいの比率で平衡を保っていますが、運動すると1:100くらいになるんです。
ピルビン酸のほとんどは乳酸になり、直接ミトコンドリア内でエネルギーとして利用されます。筋グリコーゲンが丸太だとすると、乳酸はより使いやすいウッドチップのような燃料、のイメージです」
すごいぞ乳酸!
局所の筋トレによっても、認知機能はアップする!
ウォーキングのような低強度の有酸素運動でも脳の海馬の容量が増え、認知機能は高まる。このように、これまで多く報告されてきたのは有酸素運動が及ぼす脳への好影響だった。では筋トレのようなレジスタンス運動は脳にどのような影響をもたらすのか? 世界中の研究者たちが、今この分野に注目している。むろん、橋本教授の研究グループも同様だ。
2017年に行った実験は、マシンによるニーエクステンション(膝を曲げ伸ばしする筋トレ)による実行機能の変化。下のグラフをご覧の通り、実行機能は見事に向上することが分かった。
「これまではサーキットのようなマルチな筋トレで認知機能が上がるという報告はありました。この実験のように局所の筋トレで何らかの影響を脳に与えられることを示すことができたことには、意味があると思います」
筋トレが脳をブラッシュアップさせるなんて、世のトレーニーには嬉しい知らせ。今後期待は高まる一方。
実行機能を高めるには、高強度運動の方が有効だ。
有酸素運動は継続することで新たな脳細胞が新生され、海馬が大きくなる。一方、筋トレという一過性の運動では、運動直後に脳の神経細胞同士のネットワークを密にする可能性があるという。
運動中、筋肉から分泌されるマイオカインのうち、脳の神経細胞に働きかけるBDNFやIGF-1という物質があることは、前編で述べた通り。このうち、BDNFはどちらかというと有酸素運動で、IGF-1は筋トレでより分泌が促されると考えられている。
ここで注目したいのが運動強度。運動後、ただちに実行機能がアップし、それが維持される可能性は強度の高い筋トレに分がある。下のグラフの高強度間欠運動がそれに当たり、運動後30分間の実行機能は高いまま維持されている。
この結果を後押ししているのが運動開始とともに急上昇する乳酸、と推測することができるのだ。とすれば、乳酸は脳に好影響を与えるマイオカインのひとつと捉えることも可能。なぜなら、乳酸もまた筋肉から分泌され血液に乗って全身に循環する物質だから。
実行機能は情報を統合して最適解を導き出す能力。ならば、朝一発目の筋トレで乳酸を出して午前中のプレゼンに臨めば、普段以上のパフォーマンスが期待できるかもしれない。
頭を冴えさせる最高の運動、さて何をどう選ぶ?
動かないよりは動いた方が脳にとっては断然有益。たとえ散歩程度のウォーキングであっても、脳の実行機能がアップすることは、数々のエビデンスが証明している。まるで運動していない人なら最初は10分程度歩くだけでも価値はある。慣れてきたらむろん、10分より20分、40分と時間を長くしていった方が大きな効果を得られる。
また、同じ時間でも速歩きやジョギングのように強度を高めれば、さらに脳は活性化される。アメリカスポーツ医学会が、中等度程度の運動を30分行おうと提唱している背景には、こうした根拠があるのだ。
「30分から1時間のウォーキングやジョギングがひとまずおすすめの運動です。さらにもっと実行機能の向上が期待できるのが高強度運動と低強度の運動を組み合わせた間欠運動、いわゆるHIITです」
ただし体力のない一般人にとっていきなり高強度運動を行うのは現実的ではない。通常の筋トレをゆっくり行うスロートレーニングがおすすめ、と橋本教授。理由はHIITと同程度の乳酸の分泌がスロトレで期待できるからだという。
高強度ほどいい、はウソ。強度が高すぎると逆効果に。
では、乳酸の恩恵に与るために運動強度は高ければ高いほどいいのか? 頑張るほど脳の機能はアップするのか? 残念ながら答えは、否。
「認知機能をバルーンとすると、運動強度が高く乳酸の量が多くなるほどバルーンは膨らみます。ただし、強度が高すぎると今度は活性酸素が急激に増えて脳の血管にダメージを与えてしまうのです」
活性酸素はカラダに取り入れた酸素の一部が反応性の高い酸素に変換されたもので、細胞を傷つける最大の原因のひとつだ。活性酸素が脳の血管を傷つけることで、せっかくの乳酸が脳に取り込まれにくくなる。結果、バルーンはオーバーフロー状態で割れてしまう。
「たとえばウルトラマラソンのような長時間の高強度運動は脳にとっては逆効果。インターバルを挟んだHIITがおすすめというのは、そうした理由もあります」
過ぎたるは及ばざるがごとしだ。