カラダと同時にハートも鍛える。日本のプロレスとスクワット、その歴史
取材・文/廣松正浩 撮影/小川朋央(三澤さん、書影) 写真:日刊スポーツ/アフロ
初出『Tarzan』No.812・2021年6月10日発売
多くの闘士を育ててきた基本のキ。
昭和の昔からプロレスラーたちの力強い巨体は、日々の大メシと休息、そして長い長い時間と途方もないエネルギーを費やすトレーニングによってゆっくりと作られてきた。
「鬼軍曹として鳴らした故山本小鉄さんには“膝が痛かったらスクワットしろ。腹が痛かったら腹筋しろ。頭が痛かったらブリッジしろ”などと発破をかけられたものです」と懐かしそうに思い起こすのは、自身、選手時代を経て、現在はトレーナーとして新日本プロレスで若手選手たちの指導に当たる三澤威氏だ。
今も新日本プロレスには、そうした精神が生き続けているのか、新弟子を待つ最初のメニューはヒンドゥースクワット1000回。腕を振ってリズムをとりながら行っていく。
「これをクリアできるとジャンピングスクワット50回を10セット。下地が十分にできないと、受け身や基本技の練習には進めません」
ただ、回数を稼ごうと脱力し、すとんと腰を落としてしまうと、膝を壊す可能性も高い。そのため大臀筋、大腿四頭筋などを終始総動員した上げ下げが重要。辛いに違いないが、強くなりたい思いは揺るがない。
「ベテランの域に達してからも、変わらず猪木さんは昔のように、深く腰を沈め続けていましたよ」
求めるものが単なる筋力ならマシンを使うまでのこと。だが、リングの上で対するのは生身のカラダだ。自分の足でバランスをとりながらの自体重トレはここでものをいう。
プロレスとスクワットの歴史
1953|力道山、日本プロレスを設立。日本のプロレスの歴史が始まる。
1955|インドの国民的人気レスラー、ダラ・シン来日。日本プロレス界にヒンドゥースクワットを伝える。感化された力道山はベンチプレスとフッキンに“足の運動”(ヒンドゥースクワットのこと)を基本の練習とした。
1960|ジャイアント馬場、アントニオ猪木デビュー(馬場は力道山の前でスクワットを行って、入門を許されたという)。
1963|力道山最後の弟子、山本小鉄デビュー。現役引退後は新日本プロレスのコーチを務め、鬼軍曹として知られる。口癖は「とりあえず(スクワット)1000回!」。
1967|馬場と猪木の人気沸騰。BI砲の時代到来。
1968|プロレスの神様、カール・ゴッチ日本に移住。日本プロレスのコーチに就任。「スクワット1万回、腕立て伏せ3000回で一人前」と語る。
1972|猪木の新日本プロレス設立にゴッチ合流。同年、馬場も全日本プロレスを設立。プロレス黄金時代へ。50年近く経った現在でも、入門テストでスクワットは試験項目にあり、プロレスにとってスクワットは欠かせないものとなっている。
始祖・力道山がその意義に気づき、馬場、猪木が継承し、多くの闘士を育ててきた基本のキは、常に練習の最初の種目。皆が集まり、声を張り上げ回数を唱和すれば、これから立ち向かう厳しいメニューへのモチベーションも自ずと高まっていく。
プロレスラーにとってヒンドゥースクワットは、カラダと同時にハートも鍛えるトレーニングなのだ。