谷口卓(水泳)「技術を高めていって メダルまで行きたい」
いくつもの記録を打ち立てた天才型のスイマーは、決して容易に人生を泳いできたわけではない。どん底から這い上がってようやく今に繋がったのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年9月25日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之
初出『Tarzan』No.911・2025年9月25日発売

Profile
谷口卓(たにぐち・たく)/2001年生まれ。180cm、75kg、体脂肪率11パーセント。日本大学豊山高校2年時の18年、日本選手権の50mで決勝進出。19年、日本選手権の50mで日本高校新記録を樹立。中京大学4年時の23年、国際大会代表選手選考会の100mで優勝。24年、パリ・オリンピックの4×100mメドレーリレーで8位入賞。25年、世界選手権で自身が持つ日本記録を更新。GSTR財団所属。
1週間だけ一緒に生活してみないか。その言葉ですべてが変わった。
「コレ、外したほうがいいっすか」。撮影時、ネックレスを指差して谷口が言う。そのままで大丈夫、個性だからね。品行方正ばかりがいいわけじゃない。といっても、彼と話すと、競技に対してどれほど真面目で真摯で努力しているかが十分に伝わってくる。ただのヤンチャでは日本一にはなれない。
25年7月に行われた水泳の世界選手権、男子50m平泳ぎ予選で26秒65の日本記録を出した。実はこれは彼にとっても記録更新ということになる。25年5月に彼の母校である中京大学の屋外プール(写真のプールだ)で、26秒91という日本記録を叩き出していたのだ。
「愛知の小さな大会で、地元だから記録が出たんだという声もありました。ただ、屋外であの日は雨が降っていて条件は悪かった。ちゃんとしたプールで泳いだらもっと出ると言ってくれる人もいました。世界選手権のときは先に100mの予選を泳いでいて、感覚は悪くなかった。ただ、力みやすい体質なのでどうだろうと思っていましたけど。期待とか注目もある程度されていたので、さすがに(記録を)出さなくちゃいけないなって考えていたんです」
50mという種目は、一瞬一瞬が勝負。スタートで遅れる、フォームが乱れる、些細なことですべてが崩れる。失敗を取り戻す時間がほとんどないのである。実際、谷口は世界選手権の準決勝でスタートを失敗して、決勝進出を逃してしまった。
「100m、200mもインターハイで優勝しているんですが、やっぱり50mが一番難しいです。最初からマックスで行くと、バテてしまったり、筋肉が硬くなって終わりのほうで動かなくなる。ただ、バタフライや自由形だと海外選手はパワーでゴリ押しする。だから、歯が立たないところがある。でも、平泳ぎは特殊で、キックした後に、水中で足や手を(カラダに)引きつけなくてはならない。それが抵抗になって、止まる時間があるんです。他の種目は進んでいくだけですけど。いかに泳ぐか、それにはテクニックが必要になる。僕の身長は180cmで国内ではそんなに小さいと思ったことはないけど、海外の決勝なんかの舞台に立つとひと回り違う感じ。そんな連中と戦えるのって、テクニックで勝負できることが大きいと思うんです」
負けることが普通、麻痺してしまっていた。
天才としか形容できない。0歳で水泳を始め、中学では日本中学新記録を樹立してさらに更新し、高校でも日本高校新記録を出した。だが、選手として順風満帆だったかといえば、決してそうではない。ひとつは高校2年のときの心臓手術である。
「心臓がおかしいのは、小さいころから意識していました。なんか変な動悸がするって。親には成長期だからなんて言われて、中学のときに国体に出るため健康診断を受けたときも、不整脈の数値は出たんですが、スポーツ選手ではあるあるっていうので放置。ところが、高校2年のときの練習中にそれが出て、意識が飛びかけてしまった。水の中でそうなると命に関わりますから、これはヤバイと思って手術したんです」
ただ、このときは大事に至らずに済む。谷口は日本大学豊山高校に在学していたが、3年時には彼の活躍もあり、インターハイ総合優勝3連覇を成し遂げたのである。さらにひとつ。こちらは、谷口を徹底的にどん底まで落とすようなケガだった。
椎間板ヘルニアだ。中京大学に入学した年の9月に摘出のための手術を受ける。これからインカレ、そしてシニアの世界に飛び込む、そんな大きな希望を抱いていたときだった。
「落ち込みました。でも、逆に燃えてくる部分もあったんです。ところが、3年生までは全然結果が出なくて。それまで勝って当たり前だった選手に普通に負けたりして、それでその状態にも麻痺している感覚になってしまった。高校3年生のときにジャパンオープンで2番になったこともあるのに、大学の3年間はあまり決勝にも残れない。諦めきれない部分もあったけど、ほとんど諦めていた。練習もしないでサーフィンや釣りに行ったりしていましたから」
胴体が上手く動いて、それに手足を付ければ、自然な動きで速くなる。
普通はここで終わる。大学の部活動は自主性を重んじる。やるもやらないのも本人次第。だが、谷口は運がよかった。というか、諦めきれない気持ちが、運を呼び寄せたのかもしれない。大学の先輩で50m、100mバタフライの元日本記録保持者の川本武史が声をかけてくれた。
「1週間だけ一緒に生活してみないか、って言ってくれたんです。それで、すべてが変わった。泳ぐ前の補強とか泳いだ後のケアとか、もう一度初めから教えていただきました。練習の後にはスーパーで、脂質の少ないタンパク質多めの食材を選んだり。後で聞いた話ですが、武史さんは僕がそのまま潰れたらダメだと思ってくれたみたいなんです」
同時に泳法も改良していくことになる。ここで惜しみなく力を注いでくれたのが、部長の高橋繁浩さんと監督の佐々木祐一郎さんだった。
「手も足も使わない、筋肉に頼らない泳ぎって言うんです。蛇は手足がなくても泳ぐだろ、って。最初は何言っているかわからなかった。人間は蛇にプラスして手足が付いたトカゲだなんて、わけがわからない。でも、やっていくうちに、胴体が上手く動くとそれだけで進むし、それに手足を付けたら自然な動きになる。パワーに頼らなくても速くなった。これがテクニックなんですよね」
谷口自身も変わった。佐々木コーチは「全員が休みの日曜日でも谷口は一人プールで泳いでいた」と言う。やはり、運ではなく自分で摑み取った再起なのだ。そして大学4年のインカレの100mで優勝。2023年3月には国際大会代表選手選考会の100m平泳ぎでも優勝し、パリ・オリンピック4×100mメドレーリレーの日本代表に選ばれる。ここから世界選手権での日本記録更新へと繋がっていったのであり、3年後のロサンゼルス・オリンピックへと続いていくのだろう。ロスでは50m平泳ぎが初めて正式種目として採用される。実は運もいいのだ。
「50mに関しては初めて世界のメダルラインのタイムが出せた。あとはテクニック、技術を高めていきたい。6秒真ん中(26秒5前後)で泳ぐ精度を高めたいです。ただ、今回(世界選手権)の表彰台メンバーを見ても、ベストが6秒前(26秒前半)で、本番では少し力んだりして6秒6ぐらいの勝負になった。だから、6秒6を一回出したことなんかにこだわらず、6秒1ぐらいにはしておかないと。ロスでは悪くてもメダルまでは持っていきたいですからね」