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コンビネーションが重要な競技で、今年3月に一緒に船に乗った2人。ただオリンピックを目指して漕いだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2024年8月22日発売〉より全文掲載)
今年4月に韓国で行われたローイングのアジア・オセアニア予選。男子軽量級ダブルスカルで優勝し、パリ・オリンピックの代表に決まったのが宮浦真之と古田直輝だ。ダブルスカルは全長約11mのボートをスカルと呼ばれるオールを1人2本持って2人で漕ぎ、勝敗を競う。距離は2000mで、宮浦・古田の出場する軽量級では2人の体重が平均で70kg以下、個人の体重が72.5kg以下という制限がある。
さて、2人は大会4日前に韓国へ入ったのだが宮浦、古田は口を揃えて「あまり緊張しなかった」と言う。
「出場することが叶わなかった東京オリンピック以降、ただパリ・オリンピックだけを目指して、ずっとボートを漕いできました。これをやったらパリ、あれをできればパリって、すべてのことがそこに繫がっていた。だから、そもそもこの予選は前提に含まれていたんですね」(古田)
パリへの通過儀礼。そんな気持ちで臨んでいたのだろう。ただ、一つだけ心配事がないわけでもなかった。それは、自分たちの使うボートだ。
「使い慣れた船は3月の半ばぐらいにはコンテナで韓国へ送っていて、日本では別の船で練習していたのです。船って型が同じでもやっぱり作り方の問題で若干マッチングが変わる。だから、韓国に行ってからはそれを合わせることを中心にして練習したんです。とくに、レースの後半、肉体的に厳しくなる場面で自分たちの動きで船がどうなるのか、そのときにどうリアクションを与えられるのかが心配だったんです」(宮浦)
簡単に言えば、ただ高速で走ることを求められた船は、非常に鋭敏な性質を持つ。漕ぐときのフォームが少しでも乱れれば、船は揺れて推進力を失う。それを回避する方法も探らなくてはならない。大会では予選が2組行われた。2人はライバルのインドを終始先行し、1位で通過した。ただタイム的にはもう一組の1位、ウズベキスタンの方が上だった。
「宮浦が言ったようにマッチングがまだまだで、ベストなパフォーマンスではなかった。自分たちも漕ぎながらわかって、ぎりぎり及第点といったところでした」(古田)
ウズベキスタンは先行逃げ切りを得意としていた。予選タイムも最初の500mがとても速かった。
「だから、決勝ではもう少し攻めるというか、ウズベキスタンに好きなようにさせないことだと思っていました。先行されるかもしれないけど、そこについていくか、横に並べたらいいなんて話をして、翌日はそんなイメージで練習しました」(古田)
迎えた決勝。ウズベキスタンはやはりスタートダッシュをかける。しかし、2人もよくつき、その差を半艇身(ボート半分の距離)に留めた。
「我々の中ではとてもいい位置につけたなという感覚でした。半艇身につけられているってことで、ポジティブになれた部分もあった。ただ、オリンピックのためには、確実に1位で上がる必要があったので、どこかで抜き返さなきゃいけないというプレッシャーもあって、1500mまで漕いでいた感じでした」(宮浦)
ローイングではゴールに背を向けてボートに乗る。前が宮浦、後ろが古田だ。漕ぐときのリズムは古田が作る、宮浦はそれに合わせる。焦りはなかった。先行されたときを想定して話し合いができていた。ラスト500m。2人は「上げればイケる」と感じた。結果は快勝。ただ、
「ラストはもっと上げられたという感じがあるんです。あと200mというところで、ウズベキスタンを大きく離してミスをしなければ勝てるような状況になったとき、もう一段奥の扉を開いてプッシュすることができなかったんですよね」(宮浦)
日本代表選考で、1人乗り軽量級シングルスカルの1位と2位が組みダブルスカルの日本代表になる。それが宮浦と古田だった。組んだのはなんと今年3月からである。たった1か月で大会に出場したのだ。
「それぞれがシニアの代表以前からダブルスカルの経験があって、それぞれがダブルスカルの進め方というのを持っていると思うんです。だから、私は自分のそういう感覚に自信があったし、古田のダブルスカルに対する感覚にも信頼を置いている。それぞれが感じたことをボートの上で言語化して、共有して、擦り合わせていけば、ただそれだけでよかったというのはあります」(宮浦)
「運が良かった。どこで強く漕いでいるのか、乗っているかなど、よく似ている部分が多かった。だから、思い切りやって、細かいところはオリンピックでと話したんです」(古田)
代表に決まったあと、2人は早々とフランスへ渡った。途中、6月に行われた全日本選手権のために帰国し、サラッとダブルスカルで優勝し、再びフランスへ飛び立っていった。実は、ダブルスカルの軽量級は今回のオリンピックより先では競技種目から外される。だから、2人にとっては最初で最後の挑戦となる。
「プレッシャーはないですね。オリンピックに出るからには、いい結果を残さなければいけないというのは、言い方が悪いかもしれませんが、周りから見た僕たちへの期待なので。僕らは出せることを出して、最大限で今を駆け抜けたいです」(古田)
「この3年間、本当にパリだけを目指してやってきました。その間はずっとプレッシャーがあった。そのせいか、やっとパリとなったとき、これで思い切りを出せるといった気持ちになった。ようやく何の縛りもなく、ただ全力を注ぎ込めるなっていうような感じがして」(宮浦)
この取材はオリンピック前に行ったのだが、彼らにもう一度話を聞く機会が持てた。オリンピックでの14位という結果が出た後で、だ。
「この結果は悔しいけれど、満足しています。矛盾していますが、それが今の心情。持てる力は全部出した。オリンピックでそれができたことは、やはりとてもうれしいです」(宮浦)
「レース後は動けなくて、陸に上げてもらったんです。上がれば動けると思ったのですがダメ。酸欠と疲労感と吐き気、眩暈もするし医者に囲まれて車椅子で救護室に行きました。全部を出し切った。あんな苦しいレースは二度としたくない(笑)。本当に楽しかったし、宮浦と同じで悔しいけど満足しています」(古田)
やれることはすべてやった。そう言う2人の表情は、一切の曇りもなく非常に晴れやかだったのである。
取材・文/鈴木一朗 撮影/岸本 剛
初出『Tarzan』No.886・2024年8月22日発売