井上 皆(水球)「パリに向けてはココロの準備が必要」
水中の格闘技と呼ばれるタフな競技で、17歳の高校3年生が日本代表に選ばれた。将来を嘱望される彼の未来に期待したい。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.883〈2024年7月4日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之
初出『Tarzan』No.883・2024年7月4日発売
Profile
井上 皆(いのうえ・かい)/2006年生まれ。179cm、75kg、体脂肪率12%。アメリカで生まれ、5歳から水球を始める。海外のジュニアの大会に多く参戦。中学校2年時に日本へ戻る。京都踏水会の水球チームに入り、中学の全国大会で2連覇。京都府立鳥羽高等学校へ進学し、U-16の世界選手権に出場。得点王となる。2年時にインターハイ制覇。世界選手権の日本代表に選ばれる。今年、パリ・オリンピックの代表にも選出された。
こんなに早く代表になれるとは考えてもいなかった。
太陽の光で水面がキラキラと輝いている。だが、水中に手を入れると、冷たさに驚かされる。取材したのは初夏と呼ぶにも早い時季。だが、高校生たちは元気一杯。何の躊躇もなく屋外プールに飛び込む。京都府立鳥羽高等学校、水泳部の選手たちだ。水泳部といっても種目は水球。昨年インターハイで優勝を果たした強豪チームである。
水球は「水中の格闘技」とも呼ばれ、激しいボディコンタクトやスピーディな攻防の繰り返しが大きな魅力。しかも、選手は8分×4ピリオドの試合中、ずっと泳ぎ続けなくてはならない。静止しているときは、立ち泳ぎだ。瞬発力、持久力ともに求められるタフな競技なのである。
この競技の日本代表は、昨年のアジア大会で53年ぶりに金メダルを獲得して、パリ・オリンピックの出場権を得た。そして、今年2月に行われた世界選手権の日本代表に、17歳という最年少で選ばれたのが鳥羽高校のエース・井上皆なのだ。写真を見てもらえばわかるが、笑顔はまだ少年の面影を残す。しかし、語る言葉はすべて明確、とても高校生とは思えない大人びたものだ。日本代表に選ばれたときの心境を聞くと、しっかりした口調でこう語った。
「日本代表になってオリンピックに出場するという目標で、ずっと自分と闘ってきたのですが、まさかこんなに早く代表になれるとは考えてもいませんでした。父がずっと水球に関わってきて、僕もその影響で始めてとても尊敬しています。ただ、いつも井上剛の息子という目で見られていた。でも、いつか自分がと思うことがモチベーションになったし、本当に努力することができた。だから、ここまで来ることができたのは、本当にうれしいことだったんです」
父の剛さんは日本だけでなくアメリカの水球界でも、その存在を広く知られている人物。歌手で俳優の吉川晃司とは同級で友人。吉川はU-20の日本代表だったが、6月には吉川監督率いるドリームチームとパリの日本代表の壮行試合が行われた。
これも、剛さんとの繫がりから生まれたのだろう。井上にとって、この偉大な父の元から飛び出せたのが、日本代表に決まった瞬間だったのではないか。ただ、世界選手権までは、厳しい道を歩むことになった。何といっても17歳だったのだから。
「世界選手権の前にオーストラリア遠征があって一番苦労しましたね。自分よりダントツで上っていう選手とはやったことがなかったし、下っ端なので教えてもらわなくてはならない。練習とかで連携を取ってくださった先輩とかに、気遣いつつプレーを合わせようとしていましたね」
それが今年1月のこと。だが、2月の世界選手権に、このままの気持ちで臨んではいけないことに気づく。気遣い、遠慮は自分のためにも、もちろんチームのためにもならない。
「現地(カタールの首都ドーハ)に入ってもう最後の最後、試合前日に自分ができるプレーを本当に出し切ってやればいいという気持ちになった。そうなってから世界選手権に入れたのは、とても大きかったです」
世界選手権が始まる。初戦はリオデジャネイロ、東京オリンピックと2大会連続優勝のセルビアだった。
とその前に一旦井上の生い立ちを。アメリカ生まれ。5歳から兄姉とともに水球を始める。水球の技術は父に、競泳の基本は父の友人である競泳の監督に習った。家にはプールがあった。だが、中学校2年の冬、コロナ禍のなか日本へ戻る。そして、京都踏水会の水球チームに入り、中学の全国大会で2連覇を果たした。
「僕がいた12歳までは体格差はそれほどなかったんですが、アメリカでは(身長が)2mになるような選手がいる。だから、力で押すというような教え方がありました。ただ、自分は父が教えてくれていたので、アメリカでも日本でもない、父の水球を学んだ。スタイルは決まってなく、自由に楽しく水球をやるという感じだった。もちろん、日本に来て馴れるまでに時間は多少かかりましたが、パワーではなくスピードと技術で戦うという、日本のスタイルにも合わせられたと思うんです。ただ、両親ともに日本人ですが、向こうでは英語での生活だったので、日本語にはかなり苦労したんですよ」
高校ではU-16の代表に選ばれ世界選手権に出場する。結果は10位。これは近年の水球の歴史では好成績。若い彼らがメインになった将来は今以上に期待が持てるかもしれない。さらに、井上は得点王になった。しかし、父の剛さんは「あのときは天狗でしたね」と笑う。この親子の絆の強さもわかった気がした。
自信を持ってやれる。それが一番大切なこと。
さて、セルビア戦である。第2ピリオドで井上は初得点を挙げる。実は彼はサウスポーで、これは水球ではとても優位に働くのだ。右サイドからの有効な攻撃が仕掛けられる。
「左サイドの選手に注目が集まると、そちらに偏って、右が空いた。それでパスをもらって得点できた。このパターンは高校で何回も決めていたのですが、世界選手権ではボールをもらって緊張がすべて抜けた。これまで感じたことのないシュートが打てた。日本代表で戦っていて、一番自信が持てた瞬間だったんですよ」
ただ、結果は13位。よくやったと言えば、そうだ。しかし、日本の水球はもちろんさらに上を目指せる。現在の日本代表しかり、井上世代にはより大きな期待が持てるだろう。パリ以降のオリンピックも充分視野に入るのだから。もちろん、井上はパリでの日本代表にも選ばれている。オリンピックの夢はとりあえず叶ったわけだ。これから先、何かできることがあるのだろうか。
「ココロの準備ですね。泳ぎが0.1秒速くなるかもしれないけど、それよりもメンタル。自分は本当に弱いと思う。(サウスポーの)右ポジションは自分だけが任されている場所でプライドもあるし、17歳だけど自信を持ってやろうと思っています。今までのオリンピックの最高順位が9位だから、これを超えて8位が目標。ベスト4までは不可能じゃない。高校で尊敬する監督の三浦(敏史)先生に“審判に文句を言っても、試合の流れは変わらないよ”と言われ続けて、人間性も高まったと思う。この前、国語の授業で心・技・体という言葉を教えてもらった。ココロを優先すれば落ち着いて、技術も高まり、カラダがついていくことも理解できたんです」