教えてくれた人
中野ジェームズ修一さん/(なかの・じぇーむず・しゅういち)福原愛元選手ほか、数々のオリンピック選手を指導。2014年からは青山学院大学駅伝チームのフィジカル強化も担当。近著に『血管を強くする 循環系ストレッチ』(サンマーク出版)。
芸術系の競技以外では、180度開脚は不要
スポーツ中継を見ていると、解説者が「この選手は股関節を柔らかく使えていますね」とコメントすることがある。しかしファンはその言葉の意味を正確には理解できていないかもしれない。
「股関節が柔らかい」というと、つい「180度開脚ができる」といった柔らかさをイメージしてしまうが、それは正しいのだろうか? フィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さんはこう語る。
「まずは股関節の構造を知る必要があります。大腿骨の先端はマイクのような形になっていて、それが骨盤にはまっています。その上を覆うように靱帯がねじれながら骨同士をつなぎ、大腿骨が動くと骨盤も動くような構造になっています」
大腿骨と骨盤のつながり方
「多くのスポーツでは、骨盤の位置が動かずに大腿骨が動くことはありません。180度開脚のように、骨盤を固定したまま大腿骨を開こうとするのはそもそも無理。芸術系の競技である新体操やフィギュアスケートの選手が180度開脚できるのは、脚を開いて上げることができなければ得点が上がらないからですよね。
他のスポーツ、特に股関節が重要だといわれるゴルフ、テニス、野球などでは、そこまでの柔らかさは必要ありません」(中野さん)
非芸術系のスポーツに必要な「股関節の柔らかさ」とは?
となると、非芸術系のスポーツに必要な「股関節の柔らかさ」の正体が気になるところだ。
「ほとんどのスポーツは体重移動が重要です。足を地面から浮かせ、着地するときに地面から受ける衝撃はとても大きい。それを足関節、膝関節、股関節の順番に受け止めていくのですが、股関節は一番最後に衝撃を受け止めるので大きな重量がかかります。
それに加え、頭を含めた上半身の重みも股関節で吸収しなければならない。これができないと極端な場合、転んでしまい、次の動作に移れません。着地したあと一旦力を抜いて、股関節を伸ばす動作を合わせながら動けるかどうかが大事なんです。
スポーツの解説者が“股関節を柔らかく使えている”と言うのは、着地をして次の動作にスムーズに移行できている様子を指しているのでしょう。大谷選手をはじめとした一流選手はみな使い方が巧みですよ」
股関節でカラダを安定させる
たとえば大谷翔平選手のバッティングは、骨盤を水平に安定させたまま体重移動ができている。股関節周辺のすぐれた安定性がもたらすものだろう。この安定性が弱いと、骨盤が地面からの力に負けて左上に向かって傾いてしまい、骨盤が安定せず体幹の力も抜け、地面反力を上半身に伝える力が逃げてしまう。
これが“柔らかい”股関節、つまり機能的な使い方の正体だ。では、アスリートたちはどのように機能的な股関節を作り上げているのか?
「柔軟性には“他動的柔軟性”と“自動的柔軟性”の2つがあります」
他動的柔軟性(左)/自動的柔軟性(右)
他動的柔軟性は「手など他の力で補助してカラダをどれぐらい動かせるか」。一方、自動的柔軟性は「補助なしでどれぐらい動かせるか」だ。この図の場合、ハムストリングスの一例にすぎないが他動的柔軟性に比べ自動的柔軟性が不足していることがわかる。自動的柔軟性を高めるには、股関節まわりの筋力と連動性を鍛える必要がある。
「手の補助なしで脚を上げるには、腿裏のハムストリングスが伸張し、前腿の大腿四頭筋が収縮しないといけません。こうして複数の筋肉を連動させるのが自動的柔軟性。これの有無で、競技力に大きな差が生まれます」
まずは他動的柔軟性と自動的柔軟性にどれぐらい違いがあるか、自分で確認してみよう。
股関節を支える臀筋も重要。だけど一番大事なのは…
いかがだろう。“自動”が劣る方が多いと想像するが、改善するには何から始めればよいのだろうか。
「上下から来る衝撃を吸収したり、股関節を伸ばしていく動きにはお尻の筋肉(臀筋)が大きく作用しています。日本人は日常生活で大腿四頭筋に頼ってしまう傾向があり、臀筋をうまく活用できていない場合が多いんです。そのため股関節がしなやかに使えず、結果として膝関節を痛めてしまいます」
股関節というと太腿の付け根付近が重要なのかと思ってしまうが、股関節全体を支えるお尻が重要なのだ。では、臀筋を鍛えるにはどうしたらよいのだろう。
「普通のスクワットで臀筋に刺激を入れるには、フォームの正確さが必要になるので難しい。臀筋をターゲットにするならスプリットスクワット、ブルガリアンスクワット、ヒップリフトなどが効果的。
それと股関節は上下の動きだけでなく、左右の動きも重要です。外転(右脚なら、立った状態で脚をカラダの右側に上げる動き)を鍛えるのにはアブダクション、内転(右脚なら、立った状態で脚を左側に上げる動き)を鍛えるにはアダクションなどの種目があります」
まずは各部位を単体で鍛えていくことが必要になるようだ。しかし中野さんはこうも付け加える。
「身も蓋もないことを言いますが、股関節だけを重点的に鍛えても全身のバランスが悪くなってしまいます。
たとえば椅子から立ち上がる動きでは股関節に加えて、脊柱を立てて、肩甲骨を閉じる動きをスムーズに連動させているわけです。股関節がスムーズに動くためには、上半身を含めて全身が連動するようにバランスよく鍛えていく必要があります。
アスリート並みの股関節にするには、連動性を上げるトレーニングをしないといけない。そのためには《エンコンパス》(下図参照)のようなマシンが必要ですね」
連動を鍛えるマシン《エンコンパス》
股関節周辺の筋肉群を連動させるためには、いわゆる「股関節回し」も悪くないが、脚の重さ分しか負荷をかけられないので、動かす方向によっては鍛えにくい部分が出てくる。
この《エンコンパス》であれば、負荷を入れた状態で体幹を収縮したまま多くの筋肉を連動させて、股関節にさまざまな方向から刺激を入れてトレーニングすることが可能になる。アメリカの病院やリハビリ施設では70年代から普及が進んでいる。
まずは他動的柔軟性と自動的柔軟性をチェックし、自動的な柔軟性を上げていく。さらに骨盤を安定させるために臀筋を鍛えていきつつ、結局は全身をバランスよく連動させるトレーニングが必要になるようだ。