高橋ヒロム(プロレス)「初代タイガーマスクを超えるのはオレだと思う」
何でもアリのすごい世界を見た少年は、そこでナンバーワンになることを夢見た。そして今、彼はプロレスの再興を願っている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.822〈2021年11月11日発売号〉より掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文 撮影協力/SAWAKI GYM 早稲田本店
初出『Tarzan』No.822・2021年11月11日発売
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高橋ヒロム(たかはし・ひろむ)/1989年生まれ。171cm、88kg。2010年にデビュー。14年にはメキシコCMLLに参戦し、CMLL世界スーパーライト級王者に。16年に凱旋帰国し、翌年には第76代IWGPジュニアヘビー級王者となる。奇想天外な言動とファイトスタイルで人気を博す。新日本プロレス所属。
指の骨折くらいなら公表しない
プロレスには作家の村松友視の発した「受けの美学」という有名な言葉がある。相手の技を受け、自分の技をかけ、これを限界まで繰り返し、互いの体力が尽き果てようとするまで戦い、勝負を決するのである。
たとえば、ボクシングなら一発のパンチで決まることがある。しかし、プロレスでは相手の技をあえて受けることが、自分の強さの証明でもあるのだ。これを年間150試合以上も行うというのだから驚く。
新日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍する高橋ヒロムはまずこう語った。
「足首をひねったとかは、よくあることでみんな気にしませんね。骨折も箇所によります。指ぐらいだったら、公表もしないですね。“指折りました”なんて言って試合するのは、逆に格好悪いです。
だから、自分たちの練習というのは、ケガしないためだったり、相手の技を受けることに重きが置かれます。プロレスはただ勝てばいいのではない。上に行くためには自己プロデュースが必要。いい試合をして勝つことが大事。
そのためには相手の技やいいところを引き出したうえで、それ以上の技で勝つのが最低条件なんですよ」
毎試合、ボロボロになるまで戦うというのは本当に大げさな話ではない。しかも、高橋は身長171cmとレスラーの中でも極めて小柄。ジュニアヘビー級(ヘビー級は100kg以上でジュニアヘビー級は100kg未満)で戦うのも大変なはずだ。
ところで彼の所属する新日本プロレスも、新型コロナの影響により2020年3月から約3か月試合が開催できなかった。その後は無観客。そして2021年に入り、少しずつ動き始めた矢先の2月、高橋は大きなケガに見舞われてしまう。大胸筋断裂だ。
「これまで何万回と受けてきたブレーンバスターという投げ技があるんですよ。相手がそれを仕掛けてきた。9受けて10で勝つのがプロレスですが、あのときはもう9受けた感じで、これ以上受けたらマズイと思った。それで、投げられないように踏ん張ったらバチンと切れたんです。
さすがに医者に行ったのですが、“自らの体重で大胸筋が切れることはほとんどない”と驚いていました。大胸筋は3本の筋肉が集まっているのですが、“それが全部切れるのも珍しい”って笑われちゃいましたね」
そもそもヒトには、筋肉が大きな力を発揮して自らを傷つけないためのリミッターがついている。その安全装置を制御不能にしてしまうほどの、極限の戦いを繰り広げているのだ。
その結果、半年の戦線離脱。高橋、いやプロレスラーはまさしく異次元のスーパーモンスターなのだ。
中学から続けたスクワットとプッシュアップ
小学校のときに「モーリス・グリーンに勝てる」と思って、中学から陸上を始める。グリーンは100mの元世界記録保持者である。このころから、どこかのリミッターが外れていたのだろう。
「とにかく先頭に立って、目立ちたかった」という性格はプロレス界に入ってからも、ずっと変わってはいない。ド派手な衣装、赤髪、ヘラクレスのような肉体。そして陸上を始めた中1の夏、強い衝撃を受ける。テレビで見た蝶野正洋vs高山善廣の一戦がそれである。
「ちょうどK-1とかが流行り始めたときで総合格闘技かと思って見ていたんです。そしたら相手を場外に投げて、鉄柵にガシャンとぶつけたり、イスで叩いたり。お客さんは大盛り上がりで、“何だこの何でもアリは”って思って。そのころ戦隊ヒーローなんかが好きだったので、それを現実の世界で見ているような気がしたんですよね」
ここにも「受けの美学」がある。戦隊モノでは主人公は必ずピンチに陥る。正と邪が分かれている。まさしくプロレスの世界。高橋少年の将来は決まった。プロレスラーだ。だが、なぜか陸上は高校まで続けた。
「どうしたらなれるかと考えていたとき、本屋でプロレスの本を見つけたんです。その本にはプロレスラーになるまでは柔道やレスリングの経験を積まないほうがいいと書いてあったんです。
他の格闘技のクセがつくからって。それで、陸上を続けたんです。プロ入りしてからは、他の格闘技をやっておけばよかった、だまされたと思いましたけど(笑)」
ただ、毎日スクワット、プッシュアップ1000回を自分に課した。
「最初は20回ぐらいしかできなかった」が、中学校3年生にはできるようになる。思い込んだら突き進む。無茶苦茶だがまず真似はできない。しかし、高校を卒業して新日本プロレスの入門テストを受けるも不合格。
「スクワット500回、プッシュアップ100回などテスト内容はシンプルでした。ただ、極度の緊張で本領を発揮できなかった。だって、トップレスラーの永田裕志選手や棚橋弘至選手が試験官ですよ。特殊な大人たちがいる環境にビビりました」
とてつもなくメンタルが弱い。思い知った高橋は、特殊な男たちに動じないことを1年間で頭に叩き込み、翌年のテストで合格するのである。
スクワットで床は水たまりになった
入門した後の練習がすごかった。
「スクワット、プッシュアップ1000回がアップなんです。そこから練習が始まる。プロレスのスクワットは腕を前後に振って行うのですが、まず指先から汗が垂れ、カラダの両サイドの床が濡れて、縦の線が入るんです。
その後、額と顎から汗が床に落ちていく。ちょうど人が動いた跡というか、変なカタチに広がっていく。それを練習生全員でやるから、床に水たまりができるという表現は、まさにぴったりだと思うんですよ」
もちろん今は、そんな練習はしない。東京にある〈SAWAKI GYM〉に通い、科学データに基づいたトレーニングを行っている。
「2年ほどになりますが、根性論ではなく、効率よくカラダを鍛えることができるようになりました。それと、やはり走ることが基本。300m、200m、100mを全力で走り、それぞれの間に100mのジョグを挟む。次は100mから300mへ。
これを1セットとして3セット繰り返します。週2回です。プロレスで最後に追い込みをかけるときと、走ったときの最後の10mの感覚が似ているんです。だから、これだけはやらなくてはと思っています。キツくて大嫌いなんですけど(笑)」
高橋は、最後に自身とプロレスの未来をこう話してくれた。
「昔からの夢がチャンピオンとしてテレビのゴールデンタイムで試合をすることでした。そのためにはまずプロレスを知ってもらいたいです。知らない人には“あんなの受けているだけじゃん”って言われてしまう。
“受けの美学”があることを知ってほしいんです。だから見て、感じてほしい。昭和の時代には金曜8時のテレビは新日本のワールドプロレスリングでした。幼稚園から会社まで“昨日プロレス見た? すごかったね”って会話をしていたんですよ。みんなが本当に自然に見ていたし、生活にも溶け込んでいたと思う。それぐらいにならないとダメです。
当時、圧倒的な人気で日本中を沸かせていたのが、自分と同じ階級のジュニアヘビー級だった初代タイガーマスク、佐山聡さんです。今、もう一度そこまで行かないといけないと思っていますし、それを超えるのは高橋ヒロムだと思っています」