• 「写真家・田附勝を通して考えた“スポーツの身体性”」世界スポーツ見聞録 vol.23
COLUMN
2020.09.26

「写真家・田附勝を通して考えた“スポーツの身体性”」世界スポーツ見聞録 vol.23

田附勝
米国のオレゴン州・キャノンビーチを歩く写真家の田附勝。

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、田附勝という写真家について。

私の数少ない親友の一人に、田附勝というとても面白い写真家がいる。彼はスポーツ誌の表紙などで選手のポートレートを撮影したりと、一応はスポーツという分野に関わりがあるものの、本人は特別アスリートというわけではないし、トレーニングをしている様子は見かけないし、ひょっとすると野球サッカーのルールですらとてもあやふやに理解しているのではないか、と疑っている。つまり、それくらいスポーツからは遠いところにいる人だと私は思っている。

写真家が送ってくる“音”の意味。

本題に入る前に、彼のこれまでの活動を少し紹介したい。

写真家として最初に注目を集めたのは2007年に出版された『DECOTORA』(リトルモア)という写真集だ。煌びやかに装飾されたトラック、それを取り巻く人々と風景をおよそ9年にもわたって追い続けた。

ただシャッターを切るのではなく、人の話に耳を傾け、信頼されるまで現地に足を運び続けるそのやり方は、他の作品でも共通している。2006年から何度も訪れることになった東北地方で切り取った作品たちは、奇しくも東日本大震災が起こったのと同年、2011年に写真集『東北』(リトルモア)として発表し、第37回木村伊兵衛写真賞(1975年に創設された賞で“写真界の芥川賞”と呼ばれたりもする)を受賞した。

最近、都心を離れ、山の麓に住み始めた田附からよく送られてくるのが音声ファイルだ。川を流れる水の音を録ったものを聞いた時は、なるほど引っ越した心持ち同様に自然に焦点を当てたのかと安易に考えていたら、次に届いたのは東京・新宿区歌舞伎町の雑踏だったり、あるいは香港の交差点だったり、さまざまなシーンで拾った生々しい音たちだった。

なぜ“音”なのか。彼は写真家である。写真とは、言うまでもないかもしれないが、辞書を引くと「光・放射線・粒子線などのエネルギーを用い、視覚的に識別できる画像として記録すること」とある。紙に焼き付けたものでも、デジタルでも、平面的に見るものであって、ましてや音は聞こえない。しかし田附は、視覚だけに囚われすぎることをとても嫌っているように思う。

彼とやりとりするテキストはいつも何往復にもなるし、会って話すと何時間でも議論は尽きないけれど、乱暴にまとめるとこうだ。見えている景色とは、視野はもちろんのこと、音や匂い、あるいは肌感覚のようなものすべてを含んで対峙している。視覚を遮断し“音”だけで情景が浮かび上がる体験を改めてすると、景色は視覚だけでなく、さまざまな感覚が重なって認識していることをより自覚的にしてくれた。

スポーツは視覚や体躯のみの活動ではない。

コロナ禍にあって、この状況がどうやらしばらく続きそうな気配の今、フィジカルな接触をともなう練習や試合、そして観戦が多くで制限されるがゆえに、スポーツの身体性について否が応でも考えさせられることになった。

目にするゲームのルールや内容に大きな違いはなくても、その“場”で観戦が叶わず、身体性の何かしらが欠けていると心が以前より躍らないこと。トレーニングをオンラインで行うことができても、コーチの覇気や仲間たちの姿を身近に感じられずモチベーションが高まらないこと。つまりスポーツは、視覚的に楽しむだけでなく、あるいは体軀を動かすだけの行為ではなく、あらゆる感覚を総動員して成立しているということだ。

ワクチンが開発されて状況が落ち着いた後も、過去に戻るのではなく、身体性により自覚的になり、在り方がアップデートされれば、何気なく手足を動かしていると捉えていたスポーツの観戦がもっと複雑で面白みのある体験になるかもしれないし、トレーニングでもこれまでにない身体性の高め方が開発されるかもしれない。

そんなことを写真というスポーツの“外側”の活動を通じて考えさせられた。他のあらゆる物事に言えるかもしれないが、スポーツをスポーツの世界だけに留めず外側に目を向けることが、時に大きな示唆をもらうことに繫がるのは間違いない。

数年前、田附勝と一緒に数日かけて米国のオレゴン州を旅した。彼はカメラのシャッターを切る以前に、土を踏みしめ、あたりの匂いを嗅ぎ、そこにいる人々の声に耳を傾けていた。撮影すると決めて三脚を立てる時、少し離れた距離から見る彼は、なんだかその場に溶け込んでしまうような、景色の中にある違和感が消えてしまうような、そんな感じがした。

今思えば、視覚だけでなく聴覚や嗅覚すべてにおいて、その景色との程よい接点を発見したからなのだと理解できる。

突拍子もないアイデアだとは思うが、たとえばスポーツに取り組む子供たちが、田附勝と海岸や山道や街を歩いたらどうなるだろうと想像してみる。カメラを手にしてもいいかもしれない。手足を使って進むだけでなく、景色を見、音に耳を傾け、その他あらゆる身体的な活動に自覚的になれるのなら、ひいてはスポーツの見方やトレーニングへの向き合い方がもっと豊かになるかもしれない。オレゴンの浜辺を歩いた時を思い出しながら、そんなことを考えた。

田丸尚稔(たまる・なおとし)/1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。

文/田丸尚稔

初出『Tarzan』No.795・2020年9月10日発売

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