なぜ夏の食欲は乱れるのか? そのメカニズム
取材・文/石飛カノ 撮影/小川朋央 スタイリスト/高島聖子 ヘア&メイク/村田真弓 イラストレーション/コルシカ 取材協力/篠原菊紀(諏訪東京理科大学教授)
(初出『Tarzan』No.770・2019年8月8日発売)
食欲は、視床下部で起きている!
切ないほどの空腹感を感じたとき、人は「おなかが空いた」と言う。苦しいくらいの満腹感を感じたとき、人は「おなかいっぱい」と言う。
とはいえ、当たり前のことだが、空腹感や満腹感を感知しているのはおなかではなくて、脳。満腹中枢が発見されたのは1942年。9年遅れた1951年には摂食中枢が発見された。
で、これらの食欲の中枢の在り処は視床下部という脳の特定の部位。上のイラストで示したように、脳の深層近くにあり、さまざまな神経核が集合している自律神経やホルモン分泌のコントロールセンターだ。
70〜80年前に発見された満腹および摂食中枢はそれぞれ、腹内側核、外側野にあると考えられていた。でもこれ、ネズミの脳の部位を一つ一つ壊す実験で得られた答え。
視床下部は非常に小さい部位でヒトでもその重量はわずか4g程度。ネズミのそれはもう芥子粒のよう。当時の実験で他の部位も一緒くたに破壊した結果、食欲の増減が見られた可能性が極めて高い。
時代が下り、破壊を伴わない遺伝子改変マウスによる実験が可能になると、新たな摂食中枢の在り処が判明。同じく視床下部内の弓状核と呼ばれる部位がそれだ。
でも、事はそんなに単純ではない。
さて、血糖値が上昇すれば満腹感が高まり、血糖値が低下すると空腹感が増すということはよく知られている。でも、事はそんなに単純ではない。脳の中枢や消化器などの末梢から分泌される食欲関連物質が実は無数にある。
たとえば、脂肪細胞から分泌されるレプチンは食欲を抑制し、胃から分泌されるグレリンは食欲を増進させるホルモンとして機能する。
これらの情報は一旦、すべて弓状核に集められる。弓状核にはNPY/AgRPニューロン(神経細胞)とPOMCニューロンの2つが存在していて、前者が摂食中枢、後者が満腹中枢とされている。
これら2つのニューロンに各種情報が届き、近くにある室傍核などの神経核に働きかけて食欲がコントロールされている。というのが今のところ分かっている食欲の基本メカニズムだ。
ちなみに弓状核にはレプチンの受容体が多く存在している。旧食欲中枢にはこうした受容体がほとんどない。これだけでも、新たに見つかった弓状核の方が食欲中枢として適切と考えられる。
報酬系が、食欲の増減に関わっている。
とはいえ、食欲にまつわる脳の機能は視床下部の専売特許ではない。「報酬系」と呼ばれる脳の神経伝達ルートも少なからず、というか大いに関与している。これは、視床下部よりもっと深い部分にある中脳に端を発するドーパミン神経系というルート。
ドーパミンは気持ちを緊張させたり興奮させる神経伝達物質で、ドバドバ出ることで達成感や快感がもたらされる。というわけで、ドーパミンが脳幹で分泌され、脳内に広く伝達されると、やる気や学習意欲のスイッチが入ることが知られている。いわゆる「やる気スイッチ」の正体がこれ。
一方、ドーパミン神経系が過剰に働いて厄介なことが起こるケースもある。うなぎの匂いを嗅いで空腹感がマックスになる人、夜中にジャンクフードのCMを見て、辛抱たまらずコンビニに走る人は、ドーパミン神経系のオーバーラン状態。
ドーパミン神経は「好きな人に褒められた」とか「ものすごく美味しい」というご褒美によって発動するだけでなく、「褒められるかも」とか「美味しそう」という報酬予測でも発動する。
夏の食欲に、どんな異変が起こるのか?
ところが、人より食べ過ぎてしまう傾向のある人は、ご褒美を期待してドーパミン神経が働いた後、実際にご褒美をもらったら期待値より小さいと感じてしまう。
脳は報酬予測と実際の報酬の誤差を計算してドーパミンを出し、それによって快感を得るが、誤差が大きければ大きいほどドーパミンの出が悪い、あるいはドーパミンを受け取るシステムが働かず、「まだ足りない」と過剰に食べ過ぎてしまうわけだ。
このように、視床下部と報酬系は2大食欲調節器官だが、他にも自律神経や体内リズムなど、食欲に関わる脳のシステムは複雑に重なり合って作動している。
では次に、夏の「おなかいっぱい」や「おなかが空いた」にどんな異変が起こりがちかを見ていこう。