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走る奴なんて馬鹿だと思ってた・特別編|呑んだ翌日のレースでまさかの記録! 作家・松久淳さんが「おかやまマラソン」を走る

11月11日に行われた「おかやまマラソン2018」。創立4年目を迎えたこのレースを、『ターザン』本誌で「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」を連載していた作家・松久淳さんが特別レポート! 前日の夜に、しっかり地酒を楽しみつつ臨んだレースで、予想外の記録が生まれました。

ランライフ5年目の49歳の春、ついにこんな話が舞い込んできた。

「11月に行われる『おかやまマラソン』に、広報企画ランナーとしてぜひ走っていただけないでしょうか」

ついにきました。東京マラソンをはじめ各マラソン大会に普通に落選し続けてる私に、初の特別扱い。どんと来い、癒着、談合、忖度、接待! ふだんは高潔な私ですが、袖の下をびろんびろんにして行ってやるぜ岡山!(シャレの通じない人のために一応書きますけど…いいか、もうそんな人は相手にしないで)

と、その2週間前にまず、昨年台風のために中止になった横浜マラソンがあった。2年7か月前、初めてのフルマラソン大会経験となった横浜マラソン。前回はスタート地点に剛力彩芽さんがいらっしゃったが、今回は姿が見えなかった。何かあったのだろうか。

いざスタートすると、前よりも快調に走ることができた。もしかしたらサブ4突破を果たすかもしれないとワクワクしていたくらいだった。

結果、4時間16分2秒。あれ。前回のタイムは、4時間23分53秒。あんま変わってない。8か月前の京都マラソンのほうが、4時間14分16秒とややタイムはよかった。

ここで私は気づいてしまったのである。フルマラソンを走れるようになってから、結局私はまったく進化していていなかったのだ。ポテンシャル一定。もしかしたらランの進化と体の老化がちょうど比例してるのではないだろうか(根拠はもちろんない)。

そして11月10日、翌月に50歳の誕生日を迎える私は、満を持して岡山入りした。新幹線の到着は午後3時過ぎ。バスでスタートとゴール地点でもある、岡山県総合グラウンドへ向かい、ランナー受付を済ませる。

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そしてまた駅のほうへ戻りホテルにチェックイン。ゼッケンをつけたり明日の準備を終わらせてから繁華街へ。岡山出身者などに薦められていた目当ての居酒屋に、オープンの5時ジャストに入店。すべて居酒屋からの逆算での完璧なスケジューリングである。

ビールの大瓶で乾杯。アキアミ(小エビ)ポン酢や、ヒラの煮付けなど、あまり聞き馴染みのない瀬戸内海の幸を頼んでみる。

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これがうまい。これだけでも岡山に来て良かったと酒が進む。ビールを終えて日本酒へ。加茂五葉という岡山の酒を常温で頼む。くーっと腹に染みる。タラの白子との相性が抜群である。

店の名物だという「みんちしそ揚」を、ハイボールで流し込んだころには、すでに満席の賑わいを見せる店の雰囲気と相まって、心地よく酔いが回ってきている。「松久淳の居酒屋放浪記」岡山編、今夜はこのへんで。大将、もう一杯。

何を書いているのだ私は。

そもそもフルマラソン前の酒量ではない。さらにホテルに戻ってもハイボール缶を開けたことは内緒だ。

そして当日。2週間前の横浜マラソンも20度くらいの暖かさ(走ってる身には暑さ)だったが、晴れ渡った岡山の天気も、昼にはそれくらいになるらしい。もはや熟練ランナー気取りの私は、予報段階でウィンドブレーカーも持ってこず、いつも長袖のウェアも半袖に変更(で、前日に配られた本大会のTシャツに変更)、一応持ってきた帽子と手袋はバッグにしまったまま。

朝早くのスタート前はさすがに少し寒いので、100均で買ったレインコートで凌ぐ。ここで役立つのが、京都マラソンで配られた「バフ」という代物だ。寒ければネックウォーマーにもなるし、耳を覆っての帽子にもなる。走っているうちに暑くなれば、直射日光から頭を守ってもいいし、手ぬぐいがわりに汗を拭いたり、水に浸して首に巻いてもいい。各マラソン大会に、ぜひ導入していただきたい一品。

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ちなみにそんな「流用」がもうひとつ。おかやまマラソンは、そのまま荷物預けをするので(それでもいいんだけど)、先日の横浜マラソンの袋を捨てずに持参。バッグも汚れず上着などもそのまま突っ込めるので、各ランナーの皆さんご参考に。

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ところで昨日の受付も、その荷物預けも、後に走ったときの給水場もなのだが、高校生のボランティアの姿が多い。そして彼ら彼女らが、まあいい子たちで泣きそうになる。先に書くが、ラン後にメダルを配る子たちも荷物預けの子たちも、拍手と歓声で出迎えてくれて、疲れた初老は本当に涙が出そうだった。

そんなわけで8時45分、いよいよおかやまマラソンスタートである。さあ、わざわざ東京から呼んでいただいたのだから、4時間10分台ランナーの走りをお見せするぜ! なんという中途半端さなんだ私!

今回、私にはひとつの作戦があった。毎度毎度、どうせ後半にがくんとタイムが落ちる。筋力体力気力がないのはよくわかっている。そうであれば、下手にペース配分など考えず、前半飛ばすだけ飛ばすのだ。ただし飛ばすといっても、全速力でというわけではない。ふだん10〜20キロくらいを走っているとき、私はだいたい1キロ5分(時速12キロ)ペース。いつもどおりのこのペースで行けるだけ行き、疲れたらあとはなりゆきに任せればいい。

だがこの「いつものペース」が、普通のマラソン大会だと難しい。理由は簡単で「人混み」だ。スタートからしばらくは団子状態、道幅が広がったり狭まったり、曲がったりなんだりで、とくに後ろのブロックからのスタートだと自分のペースなどではとても走れない。

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というわけで私の雑な作戦が通用するか不安だったのだが、おかやまマラソンはそれを可能にしてくれた。まずBブロックという比較的前のほうからのスタートだったおかげもあるが、そもそもコース自体がいい。道幅が広い。そしてひたすら真っ直ぐ。そして高低差ほぼナシの平坦な道。景色もいいし走りやすいし、自分のペースを保つにはもってこいだったのだ。

ヨイショっと。

いや、ご招待いただいたお返しのヨイショでなく本当なのだ。というのも8キロ地点くらいのときに、私は3時間30分のペースランナーを追い抜いた。これまでの大会で、後ろ姿すら見たこともない方々。もちろん、いつかはまた抜かれ返されるのはわかっているが、できるだけ引き離そうとペースを落とさずに進む。

後でわかったことだが、前半は作戦どおり、時計などでチェックしていないのに、計ったように1時間44分。ジャストで1キロ5分(時速12キロ)ペースだった。しかし21キロを過ぎたとき、本当に自分でも笑ってしまうのだが、はっきりとペースが落ちた。足がパンパンになってきている。右脇腹も少し痛む。そして少し前からずっと、水ぶくれでもできてるのか右足の小指がずきんずきんと痛む。前に神戸マラソンのとき、足の裏に水ぶくれができてしまって、ずっとそれを気にして走る羽目になったことを思い出し、とにかく気にしない、シューズを脱いでチェックしたりしないと決めて走り続ける。

そして23キロ地点で、15キロ前に抜いた、3時間30分のペースランナーとそれに合わせて走っている大群の皆さんに、地響きを上げて抜き返されていった。

まあ、想定内さ。と言いたいが、実のところやっぱり悔しい。

30キロ地点からほぼ唯一のアップダウン、岡南大橋という巨大な橋を渡る。なかなかの絶景で走りながら見とれる。見とれるが、そこに流れるのが旭川、流れ込むのが児島湖という地名すら、いまこの原稿を書きながら調べるまで知らなくてすいません。

橋を降りると、給食箇所にまさかのラーメン広場があった。何種類ものラーメンが一口サイズで提供されている。まだ脇腹が怪しいし、ラーメンなんか食べるわけにはいかないと5メートル前まで思ってたくせに、「でもなあ、せっかくおかやまマラソン走ってるわけだし」とすぐに寄り道して、ずるずると食す私。

ここからはその旭川沿いの気持ちのいいルートを走る。気持ちいいのだが、このくらいから私の足はバッキバキになっていて、走る、歩く、ストレッチするを1キロごとに繰り返すようになっていた。

「前半飛ばし過ぎですね。ペース配分を考えましょう」

誰にかわからないが、確実にそう言われること間違いなしな状態。

しかし、先にも書いたが給水の高校生たちの声援に力を取り戻し、沿道の皆さんの応援にも、岡山は30歳前後くらいに美人が多いなあとニヤニヤし、ラブホテルの電光掲示板にも「がんばれ!」と後押しされて、私は進んだ。

しかし36キロ地点過ぎ、4時間のペースランナーが、無情にも私を追い抜いていった。37キロくらいまで追いすがったが、やがて彼らの姿は見えなくなった。

もうこれだけ歩いたりしてるのだから、無理だろうとはわかっていたが、どこかで前半飛ばした貯金で、サブ4達成できたらと願っていた私。そのはかない夢が打ち砕かれた瞬間だった。

でもこれではっきりした。残り5キロちょい。予想タイムは4時間10分台ランナーの面目躍如となるではないか。言葉の使い方が間違ってる気がするが。

そして走る、歩く、ストレッチを繰り返し、残り1キロとなってからは足を止めずに必死に走り続けた。ゴール地点は岡山県総合グラウンドのスタジアム。そこに走り込んだときに、私はスクリーンにある時計を見て愕然とした。え、嘘だろ!? 誰も見てないが本当に目が丸くなっていたと思う。

そしてゴール。ゴールの感動よりも、やはりそこにあるデジタル時計の表示に我が目を疑った。なんと私のタイムは、4時間3分16秒だったのだ。過去最高。自己新。なんと10分もタイムが縮まっていた。

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やはり、走りやすいコースが功を奏したのだろう。そして高校生ボランティアの皆さんの熱心な応援のおかげだろう。ヨイショ2。いや、ヨイショじゃなくて本当にそうだとしか言えない。

しかしここで私は、ひとつ疑問を持つのである。

あの4時間のペースランナー、早過ぎじゃね?

抜かれてしまったときに、ひとつ挫けてしまったのは確かだ。もし彼らの姿を見なかったら、もう少し気力を持って、タイムが縮まったかもしれない。そしてそれは、夢のサブ4というやつだったかもしれない。

こういうのを人は「八つ当たり」と呼ぶ。わかってますよ、自分でも。

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さてタイムを見返すと、前半は書いたとおり、1キロ5分(時速12キロ)で、後半が1キロ6分36秒(時速9キロ)だった。作戦どおり、なのかどうかはわからないが、というか本気ランナーの皆さんが全員納得されない走り方なのはわかっているが、自己新が出たのだからよしとしよう。

そして後で靴下を脱ぐと、右足の小指は1.5倍に膨れるくらい、思いっきり内出血していた。やはり途中で見なくて良かった。見たら気になって(気持ち悪くて)走れなかったもしれない。

でもそんな小指の内出血なんかどうでもいいくらい、岡山の酒と食事を堪能して(名物の岡山ラーメンやデミグラ丼もいただきました)、私は東京へと戻ったのでした。でなく、おかやまマラソンを満喫して、東京へと戻ったのでした。楽しかった。

ここで終わればいいのだが、余計な一言を最後に。

岡山行きの少し前に、東京マラソン様から恒例の落選の知らせを頂戴しました。

ちっ。(都庁まで届け、私の舌打ち)

松久淳

まつひさ・あつし/1968年生まれ。作家。著書に『天国の本屋』シリーズなど多数。4年半前、45歳のときに突然ランニングを開始。現在は3日に一度15~20kmを走る。金沢、京都、横浜などに参戦するも“4時間の壁”にぶつかり中。

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