この連載の筆者・内坂庸夫さんはこんな人

前回「その3」はこんな話でした。
1)2007年2月、「市民」のための第1回「東京マラソン」が開催。新宿、日比谷、銀座、浅草、築地など東京の名所を3万人が駆け抜けた。この東京マラソンは全国の主要都市のシティマラソンの先駆けになり、同時に時代の健康指向、フィットネスブームに背中を押され、日本中が走り出していった。ランナーの増加はトレイルランナーの増加につながる、と〈ザ・ノース・フェイス〉(以降〈TNF〉)の三浦務さんは確信していた。
2)同じ2007年、トレイルランナー石川弘樹さんが第1回「斑尾フォレストトレイル50」を開催している。それまでの「山岳マラソン」「山岳耐久」などの登山道を使った競走とは一線を画し、「山を走る楽しさ」を堪能させてくれた。以来、「斑尾」はトレイルラニング大会のお手本になってゆく。
3)そして翌2008年の「UTMB」で鏑木毅さんが4位に入賞する。走る鏑木さんも、サポートの三浦さんも、前年の苦い経験から多くを学び、最高のレースができた。鏑木さんが神とも仰ぐ2006年、2007年連勝のマルコ・オルモさんを追い抜いての4位だった。
4)「UTMB」の1週間後の東京。歓喜と興奮の醒めやらぬ三浦さんを訪ねて、NHKエンタープライズのプロデューサー中尾益巳さんがやってくる。手がけているイベントへの協賛のお願いのつもりが、三浦さんの話す「UTMB」話に引き込まれてゆく。必死の形相でパスタをむさぼり喰う鏑木さんの写真に、強烈な衝撃を受けてしまう。
人間パリダカ。
中尾さんは学生時代、オフロードバイクに夢中だった。片岡義男のバイク小説を読み漁り、「ヤマハ・XT250」にまたがって北海道を旅し、バイク乗りのアイドルだった女性ライダー三好礼子に憧れ、彼女が目ざす「パリ・ダカールラリー」(*)に取り憑かれる。
やがてNHKに入局した中尾さんは、1992年に「パリ・北京ラリー」が開催されることを知り、なんとしても「行きたい、取材したい!」。ドキュメント番組制作の企画書を何枚も書き直し、ついに「パリ・北京ラリー」の取材・放送を実現させる。
*1978年にフランスの冒険家、ティエリー・サビーヌが創設したバイクと四輪車のラリーレイド。第1回大会はパリをスタートし、アフリカ大陸を縦断してセネガルの首都ダカールにフィニッシュするおよそ1万2000kmだった。日本では通称「パリダカ」、海外では「ダカール・ラリー」と呼ばれる。三菱自動車の社員ドライバーだった篠塚建次郎さんが大活躍し、日本に四駆ブームを引き起こすことになる。
さあ、本題。三浦さんの強烈な語りを聞かされ、写真を見ているうちに、中尾さんはモンブランを巡る絶景トレイルの「UTMB」はTV映えするんじゃないか? と思いはじめる。そして「パスタをむさぼり喰う」鏑木さんのカットを見るやびっくり仰天。「え、なに、なぜ食べてるの? しかもこんなにがっついて?」

鏑木さん、水とバナナとジェルだけで123kmを走ってきた。ガス欠寸前、ここでようやく「食べ物」にありつけた。
中尾さんは、「顔を皿に埋め、パスタをがつがつ喰う」迫真の、異常なビジュアルに魅かれてしまう。テレビ屋の直感で、これはドキュメンタリー番組になる、と。走ることにはまったく興味がなかったし、走る競技といえばマラソンしか知らなかった。水は飲むだろうけど、競技しながら食事をするなんて、考えもしたことがない。
「えええ!なぜ食べる?」 三浦さんが応える。「だって「UTMB」は距離が長いから、モノを食べないとエネルギー不足になって、走り続けられなくなっちゃうんです。そのためにエイドステーションという補給施設がコース途中にいくつも用意してあって、そこにサポーターが待ちかまえているんです」
食べて走る。中尾さんはすぐに「パリダカ」をイメージした。1日をかけて次のキャンプ地まで走り、そこで食事して、マシン整備をして、夜は眠る。翌日、またその次のキャンプ地まで走って…の繰り返し、たくさんのドラマが生まれていく。「UTMB」はそれの短縮版、エイドステーションで補給して、カラダを整備して、再び走り出してゆく。ただし、距離が「パリダカ」の100分の1ほどの「UTMB」は夜になっても休まない、眠らない。トップ選手でも一昼夜ぶっ通しで走り続ける。多くの選手は徹夜2回になる。

三浦さんの2007年度「UTMB」のプログラム。コースマップ、主要ポイントの標高、エイドステーションの区間距離と通過予測時刻(遅い選手、早い選手)などが記されていて、選手とエイドを巡るサポーターにとっては聖書のような存在。(撮影/編集部)
そうか、ランニングレースなのに途中で食べるのか、「人間パリダカ」じゃないか! そりゃおもしろいな、すごいな。聞けば「UTMB」はTVや映画になったことはないらしい。中尾さんは、ますますNHKで番組にしたらおもしろそうだと思う。いままでにない、見たことのない番組ネタを発見したぞ。もっともっと「UTMB」を知りたい。

特定非営利活動法人ディスカバー・リアス代表理事・中尾益巳。殿堂入りの大傑作だろうテレビ番組『激走モンブラン!』を作った人。「むさぼり喰う写真」から「人間パリダカ」をイメージし、テレビにしたら絶対におもしろいに違いない・・・そこからの動きの早いこと、手堅いこと。彼の発明した「ランカメ」による撮影手法は、いまや国内外を問わず当たり前のものになっている。NHK退職後は岩手県大船渡市に移住し、東日本大震災で被害を受けた三陸を縦断するステージレースを立ち上げている。(撮影/編集部)
「この鏑木毅という人に会わせてくださいよ」
「あ、もちろん」
2008年10月の「日本山岳耐久レース」(優勝は山本健一さん、鏑木さんは横山峰弘さんと同着の2位)の少し後、中尾さん、三浦さん、鏑木さんの3人はNHK放送センター近くの焼鳥屋に集い、「UTMB」話で盛り上がる、ますます「UTMB」をドキュメント番組にしたい中尾さん。番組制作を実現させるには企画書を書くことからはじまる、とはいえ、聞いただけの話では企画書に盛り込む情報が足りない、実際にトレイルラニングのレース現場を見ておかなきゃ。
鏑木毅のプロ宣言。
ここでちょっと時を戻します。10月の「山岳耐久レース」直後に、三浦さんは大会会場の裏に呼び出された。呼び出したのはその年準優勝の鏑木さんである、「え、なに?」。現場に行くと前年の「ハコネ50K」開催で共に苦労を重ねた滝川次郎さんもそこにいる。
「どうした?なになに?」
「群馬県庁職員を辞めます、プロになります」と鏑木さん。横から滝川さんが「ウチもサポートしていくからさ、〈TNF〉でもなんとかしてやってよ」と。
「えええ?!」。いまから20年も前だ、日本にトレイルラニングは広く認知されていない。一部のマスコミにトレイルランナーは山の暴走族だと叩かれ、環境団体と話が通じず、あれだけ盛況だった「ハコネ50K」が2度と開催されなかった時代に、鏑木さんはトレイルラニングのプロになると言う。
「バカヤロー、トレランで食っていけるわけないだろ」。とは言ったものの、鏑木さんのあまりの熱意にほだされ、三浦さんはプロ契約について〈TNF〉事業部長をどう口説いたものか、思案するのである。
この事業部長は「トレラン正史 vol.4」で登場している。社内で「ハコネ50K」開催について滝川さんと打ち合わせしているときに、たまたま通りかかり、なにひとつ説明しないうちに「お前ら、何をたくらんでいるんだ? おもしろそうだなあ、いくらお金がかかってもいいぞ、やれ!」と応援してくれたアウトドア・ビジネス業界のレジェンド、現ゴールドウイン代表取締役社長、その人である。
三浦さんのプレゼンがよかったのか、事業部長の先見の明なのか、ほどなく「〈TNF〉契約アスリート鏑木毅」が誕生する。トレイルラニングは趣味ではなく仕事、鏑木さんは期待に応えなければならない、レースで結果を出さなければならない。
そんな覚悟の鏑木さんが12月にサンフランシスコで開催された〈TNF〉主催の「The North Face Endurance Challenge Championship in California 50km」に出場する。3位入賞。レースの現場をその目で確かめたい中尾さんは休みをとって自費で同行しちゃう。
「ランカメ」の発明。
サンフランシスコのレース。エイドステーションにやって来る選手や、彼らがエイドの中でどんなことをするのか、中尾さんは記録のためにビデオカメラをまわしていた。その流れでエイドの前後で走る選手を「走りながら」撮ってみた。
「あれ、あんがい追いついていけるじゃないか、選手を追って撮ることができるぞ」 トレランのレースは距離が長い、ましてやアップダウンのある山道だから、エリート選手であっても全行程を全速力で走り続けることはない。100km、100マイルと距離が長くなればなおさら巡航速度は遅くなる、そうか(ろくに走ったことのないこのオレでも追うことができるのだ)カメラマンを走らせよう、走って撮ろう。短い区間なら大丈夫だろう、絵になる区間にカメラマンを何人か配置すればいい、カメラマンを交代させてゆけばいい。
中尾さんは自分が走って撮ったことで、「走るカメラマン=ランカメ」のアイディアを思いつく。いや、のちに出会う「“走れる”カメラマン」のおかげもあって、「ランカメ」という撮影方法を発明したといっていい。
ゴープロもドローンも存在していない時代。普通のハンディビデオカメラだから、撮れた映像はぶれぶれだ。それでもいままで誰も見たことのない、説得力のある映像が撮れるはずだ。
唯一無二の競技。
そしてもうひとつ。中尾さんはとんでもないことに気がついた。トレイルラニングだけが競技中の選手に近寄ることができる、それどころか、選手に密着して声をかけ、ひと言ふた言、話ができる。走っていないときなら(たとえばエイドステーションで補給中などで)ちょっとしたインタビューまでできてしまう。
こんな競技は他にはない。サッカーの試合中、ピッチの中に取材メディアが入ることはできないし、ドリブルしている選手にインタビューするなんて、そもそも物理的に無理。バスケットボールしかり、野球しかり。同じ走る競技でも、マラソンのトップ集団に、クルマが真横を伴走することはできないし、仮にクルマからマイクを差し出すことができても、選手がインタビューを受けてくれるわけがない。
競技スポーツの中で、競技中の選手に取材メディアが直接コンタクトできるスポーツはトレイルラニングだけだろう。この「唯一無二性」も「UTMB」で生まれるであろうドラマを深く伝えられるはずだ。
『ワンダー×ワンダー』
タイミングがよかった。NHKはドキュメントの看板番組ともいえる『NHKスペシャル』とは別に大型企画の新番組を開発していた。タイトルは『ワンダー×ワンダー』、プロデューサーは中尾さんの親しい先輩だった。「見たことのない映像を、いままでにない撮り方で、たっぷり見せたいんだ、何かアイディアを出せ」と言われていた。見たことのない映像、いままでにない撮り方、とはいうけれど、前述の通りゴープロもドローンもない時代、そう簡単ではない。
実は、中尾さんは三浦さんから「UTMB」話を聞いたときから、もしかしたら『ワンダー×ワンダー』向きのネタかも、と思っていた。そしてレースの現場を知ることで、「もしかして」は確信に変わる。「UTMB」はいける。『ワンダー×ワンダー』の番組になる、と。
『・・・絶景のモンブラン山麓を走って1周する「UTMB」というレースがあります。距離は100マイル、選手は夜も眠らず山道を走り続けます。選手に24時間密着してずっと撮りながら追います。山道にはクルマもバイクも入れないので、カメラマンが走って選手を追います・・・』
こんな企画試案を先輩プロデューサーに見せると、
「中尾さあ、密着カメラはおもしろいけどさ、1人で追い続けられるわけじゃないんだし、たとえばカメラを30台(カメラマンを30人)使うとか、書けよ」と。
そんなに風呂敷を広げていいものか? 30台(30人)かあ、どうかなあ? できるかなあ、と思いながらも先輩の言うことを聞くのだ。企画書を書き直す。
これまたタイミングのいいことに、2009年に入ると〈ソニー〉から画期的な手ぶれ補正機能を搭載したビデオカメラが発売された。試してみるとなかなかいい、ランカメに持たせよう。中尾さんは5台ほど借りることができた。
山岳競技チャンピオンの平賀淳。
とはいえ、NHK局内に走れるカメラマンはいるかなあ? しかも現場は山、それもモンブランだし。相談すると三浦さんが「アスリート・カム」を名乗る平賀淳さんを紹介してくれた。彼もまた重要な役割を果たすことになる。
平賀さんを知る人は多いだろうけど、いちおう説明しておこう、山梨県立韮崎高校山岳部の主将で3年生のときにインターハイ山岳競技で優勝、山本健一さん(2009年「UTMB」に初出場する)は山岳部の1年後輩にあたる。映像制作を学び、アドベンチャーレーサーとしても活躍し、高山や僻地に特化したドキュメント映像製作の第一人者となる。のちのNHK『グレートレース』、田中陽希さんの『グレートトラバース/日本百名山ひとふで書き』、『TJAR(トランスジャパンアルプスレース)』など、平賀さんの手がけた多くの傑作映像は、この「UTMB」を「走りながら撮る」ことから始まっている。
平賀さんは「UTMB」話を聞くなり「おもしろそうっすね、ぜひやらせてください」と。でもひとりでは足りないんだよ、他に誰かいない?
「佐藤佳幸ってのがいます、あと駒井研二ってのがやろうとしています」と。ふたりとも平賀さんのアドベンチャーレース仲間だ。彼らも平賀さんと同じくらい走れるし、タフな現場でも心配ない。ここに、過酷なアウトドア百戦錬磨の最強ランカメ・トリオが結成される。
こんなふうに「UTMB」取材撮影のあれこれが現実化していくなかで、先輩プロデューサーが企画書を通してくれた。「UTMB」は『ワンダー×ワンダー』の番組になることに決まった。
激走モンブラン!
少しややこしいのだけど大事なことなので理解しておいていただきたい。放送局としては、たくさんのお金と時間と人を使って作ったコンテンツをひとつの番組枠、総合テレビ『ワンダー×ワンダー』だけで終らせてしまうのはもったいない、そう考える。そこで「BSハイビジョン特集」枠でも、この「UTMB」ドキュメントを放送することになった。1粒で2度おいしい作戦。
いわゆる転用なのか、というとそうでもない。総合放送『ワンダー×ワンダー』はスタジオもので、司会の山口智充(ぐっさん)がゲストとともに「ドキュメント物語」を紹介しながら、語り合うバラエティ色のある60分番組。60分の中には「UTMB」以外のスタジオで収録されたトーク部分が含まれる。「BSハイビジョン特集」は90分、まるまる「UTMB」のドキュメントそのものが放送される。
さて、『ワンダー×ワンダー』も「BSハイビジョン特集」も番組枠の名称、番組そのものの名前は? いうまでもなく『激走モンブラン!』、このタイトルは中尾さん自身が名づけた。編集作業の最終段階で、思いついたらしい。
前述の通り、中尾さんが「UTMB」に魅かれた理由のひとつに「パリ・北京ラリー」を取材して番組にしていることがある。このときの番組名が『激走!16000キロ』。「激走」が好きなのだ、けれど「激走!モンブラン」だと、「同じじゃないか」と誰かに言われそう。なので『激走モンブラン!』。
「ウェスタンステイツ」準優勝!

2009年当時「UTMB」はまだしも、「ウェスタンステイツ」は情報が乏しい。現地で日本人の血を引くピーターさんがサポートしてくれた。記録的な暑さのなか、(年齢的にも)世界のトップで戦える時間は少ないのだから、と切迫した思いと、集中力を切らさず駆け続けたという。16時間52分06秒で2位、優勝のハル・コナーの32分後にフィニッシュした。(写真提供/鏑木毅)
2009年6月、プロフェッショナル・トレイルランナー鏑木毅さんは米国の伝統ある100マイルレース、「ウェスタンステイツ/WSER(*)」に出場し、見事2位(!)でオーバーンの競技場にフィニッシュしている。あとにもさきにも日本人選手最高位である、「UTMB」まであと2ヶ月、鏑木さんの鼻息は荒い。
*トレラン正史 vol.1で詳しく紹介しています。
そして「UTMB」の3週間前に三浦、中尾、平賀さんたちはモンブラン山麓を巡る「UTMB」のコース「ツールデュモンブラン」を、100マイルを、1週間かけて歩いて下見をしている、いわゆるロケハン。鏑木さんの通過予定時刻を計算して、中尾さんはカメラマンの配置ポイントと、その移動方法を。そして三浦さんは、通過予定時刻にあわせて、それぞれのエイドへのアクセスの確認と、レース戦略を。平賀さんは予定される撮影現場と予定時刻(朝なのか夜なのか)の確認、そしてビデオカメラのテストを。
「めちゃくちゃ大変だけど、めちゃくちゃおもしろいことになりそうだ」、3人の目は輝いている。『激走モンブラン!』はレース前から熱く熱く始まっていた。
「その5」、ついに「UTMB」3位、に続く。



