「100マイルを伝えた人たち」その5 最終回トレラン正史 vol.8

今やすっかり市民権を得たトレイルラニング。でも冷静に考えてみると、山を走るという”競技”はどこから来たのか、そして、どこへ行くのだろうか。国内外でシーンを黎明期から取材してきたレジェンドエディター・内坂庸夫さんによる、山を駆ける者たちを取り巻く壮大なクロニクル。第8回はついに「その5」。「100マイルレース」を日本に伝えた人たちのストーリー、最終回です。

text: Tsuneo Uchisaka photo: Yosuke Kashiwakura , Masato Kameda , Sho Fujimaki

この連載の筆者・内坂庸夫さんはこんな人

前回「その4」はこんな話でした。

1)2008年夏、鏑木毅さんが「UTMB」出場2回目にして4位! 表彰台に上がる。帰国直後の「 ザ・ノース・フェイス(以後〈TNF〉」の三浦務さんから冒険活劇のような「UTMB」話を聞く「NHK」の中尾益巳さん、パスタをむさぼり喰う鏑木さんの写真を見て、これは「人間パリダカ」じゃないか、「UTMB」はドキュメント番組になる、と直感する。

2)2008年秋、日本山岳レースの会場裏で鏑木さんに「プロ宣言」された三浦さん、あれこれ苦労し〈TNF〉の上司を説得してプロ契約書のサインをとりつける。

3)2008年冬、鏑木さんが出場するサンフランシスコのレースに同行した中尾さんは、トレランレースでは、選手を「走って追いながらビデオ撮影できる」ことを知る。また、レース真っ最中に選手に密着して会話すらできる。ここで中尾さんは「走るカメラマン=ランカメ」による映像制作を思いつく。

4)「走って撮れる」カメラマンとして、高山・僻地に特化した映像制作者、平賀淳さんが採用され、アドベンチャーレース仲間の佐藤佳幸さん、駒井研二さんとともにランカメ・トリオが結成される。

5)「UTMB」はNHK『ワンダー×ワンダー/60分』と『BSスペシャル/90分』で放送されることが決まった。2009年大会の直前に三浦、中尾、平賀さんたちは1週間をかけて、「UTMB」コースをロケハンする、ついに『激走モンブラン!』が走り出す。

「UTMB」の取材撮影は大変、ちょうどいい光のタイミングで狙った選手がやってくるとは限らない。

わかっていないジャポネ。

シャモニに乗り込んだNHKチーム。選手を「走り」「追い」「密着して」撮るランカメは平賀さん、佐藤さん、駒井さんと、シャモニで急遽お願いしたオリエンテーラーの市岡隆興さんのあわせて4人。走らないカメラマンが2人、シャモニ在住のコーディネーターとアシスタント、スタッフ輸送のドライバーたちに、そして三浦さんと一緒にエイドをまわるディレクターにもカメラを持たせた。加えてフランス人クルーのカメラも合わせて合計25台。

中尾さんは「UTMB」番組制作の企画書に「カメラ30台を使う」と書き、それで(それだけじゃないけど)上司に制作のOKをもらっている。少し足りないがそれでも25台、レースは一発勝負、何が起こるかわからない。どんな「画」でも撮っておきたい。使う、使わないはあとで決めればいい。「選手が来たらとにかく撮れ」なのだ。

大会賛歌「1492 Conquest of Paradise」が大音量で鳴り響くなか2,327人が走り出す。

*8月28日金曜日、夕方6時30分。シャモニのサン・ミッシェル教会前のスタートゲート。昨年4位の鏑木毅はほぼ中央の2列目。最前列に構えていいはずなのに、敬愛し神と仰ぐマルコ・オルモ選手の後ろに控える。10mほど後ろに横山峰弘が並び、松永紘明は大きく後ろに離れた。

カウントダウンが始まり、そしてその瞬間、シャモニの街が沸騰する。誰もが手を挙げ手を叩き、歓声をあげる。世界中から集まった選手が、教会前より雪崩をうって流れ出る。角を曲がりカフェの横を抜け、シャモニの街を駆け抜けてゆく。

*ターザン544号「2009ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン報告」より(以下同じ)

スタッフ全員が160kmのコースと山々に配置され、レース進行にあわせて、その位置を変えている。中尾さんはチームからひとり離れ、シャモニのフランステレビの本部で、テーブルの片隅と椅子ひとつを使わせてもらっている。他国のメディアはいない。

現場のスタッフから無線と電話で、鏑木さんをはじめ日本人選手の「体調」「走り」「順位」「前後の選手」「次の撮影ポイントの到着予定時刻」などが刻々と伝えられてくる。中尾さんはチーム全体を動かす司令塔、それらの情報をまとめ、スタッフそれぞれにさらに詳細な指示を出している。

スタッフとのやりとりはひんぱんだし、貧弱な携帯電波や無線電波を介しての会話だから声は大きくなる。しかも日本語だ。

フランステレビのボスが呆れたように英語で尋ねてきた、「騒がしいな、いったい何なんだ?」

中尾さんは自分たちが「ランカメ」をメインにした、「選手を追う」取材チームであることを説明する。人数が多く、それぞれが細かい動きをするのだ、と。

すると、「わかってないなあ、あんたたち」。ボスが鼻で笑う。

「このレースはエイドステーションで順位が変わるんだよ、エイドの滞在時間を短縮して、先に出た選手が勝つんだよ」「そもそも、選手を追っかけることなんてクレージーだ、途中で選手を追い抜く瞬間になんて、出会えるわけがない」

ヘリコプターによる空撮という例外はあるけれど、フランスメディアのカメラはエイドで選手を待ち構えるだけ。選手を追ってカメラマンがトレイルを走るなんてとんでもない、山を駆け上がるなんてとんでもない。

「へえ、そうか。こっちは「UTMB」は初めてだし、なにもわからない。追っかければ映像は撮れると思ってるんだよ」。

「UTMB」のコース。クールマイヨール以降、アルヌーヴァ、グランコルフェレ、シャンペラクなど、位置と距離がわかると今回の話が理解しやすい。ターザン544号より

30分のミスコース。

*レースいよいよ半ば、横山峰弘はクールマイヨールをあとにする、初参加ながらいいペースで進む山本健一と一緒だ。

「えっ!」。後ろから鏑木がやってきた。そんなはずはない、鏑木は30分も前にクールマイヨールを出たはずだ。「やばい、やばい!」「ミスコースしちゃった!」 いつも冷静沈着な鏑木があきらかに動揺している。

「大丈夫です、まだ、先は長いんです、追いつけますよ」

驚きながらも横山が答えると、鏑木はすっと前に進んで遠ざかる。横山とて歩いているわけではない。ついていきたいが、遅れを取り戻そうとペースを上げた鏑木について行ったら、間違いなくこっちがつぶれてしまう。「追いついてくれ」、横山は山本とともに見送る。

予定より30分近く遅れて、アルヌーヴァで待つ三浦の前に鏑木があらわれた。8位。集団に引っ張られるままにミスコースをしたという。「ヘンだ、おかしい」と言ってもまわりの選手はこれが正しいコースだと信じて疑わない。イチかバチか、鏑木ひとり元に戻る。正解だった。30分のロスで済んだと思えば気がラクだ。

「カラダは大丈夫」と聞き、三浦は安心する。30分くらいどうにでもなる。「この時点で去年よりいい順位に位置している、前を行く選手との差を考えれば大丈夫、あせるな」「ひとりづつ捕まえればいい」。鏑木は三浦の言葉に落ち着きを取り戻し、アルヌーヴァを出て行く。

「グッドラック!」

グラン・コル・フェレへの上りは平賀さんが撮っている、そして山頂で待ちかまえる佐藤さんに引き継ぐ。ここで鏑木さんは7位。佐藤さんは山頂から20kmも続くラ・フーリーまでの下りを追い、さらにシャンペ・ラクまでのトレイルをMTBに乗って追いかけて撮る。

そしてシャンペ・ラクの手前。フランスメディアに鼻で笑われたランカメの面目躍如、満塁逆転さよならホームラン、中尾さんが喉から手が出るほどほしかった「画」が撮れる。

7位の鏑木さんはミスコース30分の遅れを取り戻そうと、ペースを上げている。トレイルの先に選手が見えた。猛追が始まる。ぐいぐい迫る。先を行くのは「ウェスタンステイツ」7連覇の米国ウルトラの帝王、スコット・ジュレク。
逃がさない、ぐいぐい追いつめる。そしてトレイルが広くなったところで「帝王」をあっさりと抜くのである。鏑木さんは横に並ぶや、ジュレクに手を挙げ「グッドラック!」とまで言うのだ。なんとかっこいい。この一部始終がMTBに乗る佐藤さんのカメラにおさめられた。

「撮ったよ、抜いた瞬間を撮ったよ!」。

電話の向こうで佐藤さんが大声をあげている。遠く離れたシャモニのフランステレビの本部で、それを聞く中尾さんは「やった、やったー!」と大騒ぎ、フランス人ボスが「うるさい!」と怒鳴ってくる。

「あんたが言ってた、『出会えるわけがない』っていうその「瞬間」をジャポネが撮ったんだぞ!」。口には出さないが「ざまあみろ」。

中尾さんは嬉しくてたまらない。世界初だろう、レース中の追い抜きシーン映像。しかも追い抜くのは日本の鏑木毅、抜かれるのはS・ジュレクだ。

7位でラ・フーリーを出て、4位でシャンペ・ラクに到着した鏑木さん、あと4人、残り40km。ミスコースで失った30分を取り戻そうと飛ばしてきた、だからここで4位なのだけど、もう脚が終わってしまっている。辛い、痛い、思うように走れない。けれど飛ばす。

シャンペ・ラクを出て、次の山ラ・ジト1884mの手前の集落で、疲労困憊の3位ジュリアン・ショリエ(前年3位)に追いつく。追い越す。このとき抜かれたジュリアンが鏑木さんに「グッドラック!」と声に出し、その3位を譲るのだ。ともにヘトヘト、山との戦い、自分との戦いでもある。戦友が戦友に贈る言葉、その音声も第4のランカメ市岡隆興さんが記録している。これもすごい。

鏑木さんはこの3位を含め、合計4回「UTMB」の表彰台(10位入賞まで)に上がっている。こんな選手は二度とあらわれないだろう。

*鏑木のフィニッシュは威風堂々、王者のそれであった。万雷の拍手と大歓声の中、日の丸を手に、悠々と歩き、観客と手を合わせ、ゆっくりと進む。このときシャモニの街のすべてが鏑木のものだった。2位のセバスチャンがゲート下で出迎え、鏑木を抱きしめる。22時間48分36秒。総合第3位。

横山のフィニッシュ。いままでの多くは必死の形相のままにバッタリ倒れるか、ぶすっとまるで他人事のようにラインを通過するだけ、このどちらかだった。いや驚いた、大はしゃぎ、満面の笑顔、飛び跳ねてフィニッシュしたのだ。23時間36分14秒。総合6位。

2009年の「UTMB」は日本人選手が大活躍した。三浦さんが率いた〈TNF〉チームのうち、鏑木さんが総合3位、横山さんが6位、ともに年齢別(40〜49歳)で1位と3位だ。そして間瀬ちがやさんが女子9位、年齢別2位になっている。初出場ながら山本健一さんが総合8位、年齢別3位になっている。

感無量、言葉がない。表彰台に立つ彼らを見つめ、三浦さんは嬉しかった。2年前、初めて彼らをこのレースに連れてきたときは惨敗だった。まったくレースになってなかった。リタイアと大ケガ。とんでもないところに連れてきてしまったと後悔もした。それがどうだ、いま目の前で鏑木が、横山が、間瀬が、そして山本までが表彰台に上がっている。しかもこれがNHKで放送されるのだ、「俺のやってきたことは間違っていなかった」。

2007年の惨敗からの大復活、大リベンジ。横山さんはうれしい、表彰式でははじけまくっていた。

『激走モンブラン!』

映像を選び、つなぎあわせ、番組にするまで1ヶ月半がかかっている。『激走モンブラン!』というタイトル(*1)がついたこのドキュメントは10月31日、総合放送の『ワンダー×ワンダー』60分のバラエティ番組で紹介された。続いて11月29日にBSハイビジョン特集の枠でドキュメントだけの映像90分に再編集された『激走モンブラン!』が公開されている。

*1 名称の由来は「その4」をご覧ください。

その後、BSハイビジョン版『激走モンブラン!』はその人気から何回も再放送されることになる。また中尾さんの発明したランカメによる撮影は、後の『グレートレース』に代表されるスポーツドキュメント番組では当たり前になった。近年の「UTMB」ではトップ選手たちの「走り」のライブ映像を公開しているが、もちろんランカメが撮っている。シャモニで地元メディアに笑われた手法を、いまや彼ら自身が行っている。わかっていないのはそっちだった。

『激走モンブラン!』ではトップ選手の活躍だけでなく、70歳のレジェンド、ガンと戦いながらも「UTMB」に出場し続けるウェルナー・シュバイツアーさん(*2)と奧さんとの夫婦愛も描いている。

*2 1987年「UTMB」の前身となる「スーパーマラソン・デュ・モンブラン」で優勝、2003年の第1回大会(5位)から2009年まで連続出場している。詳細は「『UTMB』が世界一の理由。」をご覧ください。

さらにコース半ばにして、モノが食べられなくなり、残り120km余りを歩いて完走した松永紘明さんの苦悩も、シャモニへの最後の上りでランカメ駒井さんが、本人の「つぶやき」までも密着で撮っている。

松永さんは日本中のトレイルランナーに「食べられなくなったら走れない」を教えてくれた。

『激走モンブラン!』は日本全国にモンブラン山塊の美しくも厳しいトレイルの魅力と、そこを走る「トレイルラニング」という新しいスポーツを伝えてくれた。すでに山を走っている者には、輝かしい高みがあることを教え、トレラン未経験者には憧れを抱かせてくれた。

以後、「UTMB」に挑戦する日本人が急増し、2013年には「CCC」など他種目もあわせてエントリー総数は400人以上にもなったと聞く。『激走モンブラン!』のDVDが枻出版から発売され、あっという間に売り切れてしまう。いまや貴重品、ネットショップでは1万円以上の高値がつくこともある。

ビブ番号1。

石川弘樹さんがアメリカから持ってきたトレイルランニング。〈TNF〉の三浦務さんがアウトドアマーケットを広げようと「UTMB」に鏑木毅さんたちを誘い、そして〈NHK〉の中尾益巳さんが「それ、おもしろそう! 」とテレビ番組にしてしまう。彼らと、彼らをとりまく人たちがいなかったら、日本のトレイルランニングは、そして100マイルレースは、いまのような形で広まらなかったかも知れない。

3年後の2012年5月。霊峰富士の山麓をぐるりと1周する「ウルトラトレイル・マウント・フジ/UTMF(*3)」第1回大会が開催された。三浦務さんは演習場敷地内を通らせてもらうよう自衛隊富士学校と交渉を重ね、コースを輪につなげた。そしてスタート前日には会場のゲート作りに汗を流している。実行委員長の鏑木毅さんはコースをまわり、トレイルの安全を確認し、各区間の所要時間を測り、大会進行のデータを作っている。中尾益巳さんはコース各所に平賀淳さん、佐藤佳幸さん、駒井研二さんの3人を(それ以外のランカメも)配置して、映像を撮る準備をしている。

*3  現在は「マウントフジ100」に改称。

「UTMF」は「UTMB」の姉妹レース(*4)になった。はるばるシャモニから「UTMB」の顔、オーガナイザーのカトリーヌ・ポレッティさんが来てくれ、開会式では駐日フランス大使が挨拶してくれた。

*4  現在は大会名の改称とともに姉妹関係は解消されている。

「UTMB」ではエリート選手には前年の順位と同じ番号のビブが与えられる。「1」は前年の王者の証だ。けれど第1回大会の「UTMF」には前年の順位がない。どうしよう? 

ビブ番号「1」はこの人につけてもらいたい。

大歓声とともに日本最大規模の100マイルレースがスタートした。「1」のビブをつけた石川弘樹さんが、800人のランナーとともに富士山を巡る旅に走り出していった。