完走率は1%以下!? 悪魔のレース、「バークレーマラソンズ」。

今やすっかり市民権を得たトレイルラニング。でも冷静に考えてみると、山を走るという”競技”はどこから来たのか、そして、どこへ行くのだろうか。国内外でシーンを黎明期から取材してきたレジェンドエディター・内坂庸夫さんによる、山を駆ける者たちを取り巻く壮大なクロニクル。第3回は、40年近い歴史の中で完走率が1%以下。悪魔のレース「バークレーマラソンズ」について。

取材・文/内坂庸夫 撮影/藤巻 翔

この連載の筆者・内坂庸夫さんはこんな人

悪魔の「バークレーマラソンズ」。

すでにこのトレラン正史で紹介している「WSER(ウェスタンステイツ)」しかり、「UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)」しかり、多くの人に愛され支持されている大会は、起源となる「そもそも」がとても面白い。

「WSER」は伝統ある乗馬レースに、ある男が馬なしで(自らの足で)走っちゃったことが始まりだし、「UTMB」はそこに西ヨーロッパ最高峰のモンブランがそびえ、麓に「氷河見物」と「モンブラン登頂」で栄え発展し、やがて「山を登るというアクティビティ=アルピニズム」を生み育てた、シャモニの町があるからだ。

完走率は1%以下。

今回の正史3は「バークレーマラソンズ」。「そもそも」がいくつもあって、それぞれが本になるくらい奥の深い大会。1986年(『Tarzan』創刊の年)に第1回大会が開かれているから、もう40年近い歴史がある。それにもかかわらず、完走率は1%以下。89年から94年まではひとりも完走できていないし、2024年まで26回20人(*)の完走しか許していない、25年はひとりも完走できなかった。

(*)同一人物が複数回完走している。

そう、完走できないことが当たり前、完走できないレースとして有名な「バークレーマラソンズ」、「悪魔のレース」と呼んでいい。

なぜ完走できない? 答えは明解、大会の創設者・主催者(2025年から現場の実際の仕切りを仲間に譲り、共同主催者となっている)のゲイリー・カントレル(通称ラズ)は、そう簡単には選手を完走させたくないから。え、完走させたくない!?。ちなみに「バークレー」はサンフランシスコにある大学の町とはまったく関係なく、綴りも違う。

西海岸の町は「Berkeley」、こっちは「Barkley」。「マラソンズ」の「ズ」にもちゃんと理由があり、もちろん平坦な舗装路42.195Kmを走ることとも無縁だ。悪魔ついでに言えば、この「バークレーマラソンズ」、参加費は1ドル60セント(!?)だけど、エントリーすることがむずかしい。だってエントリーの方法が公にされていないのだから。

キング牧師

さあ、その「バークレーマラソンズ」の「そもそも」、アメリカの歴史を少し遡りましょうか。奴隷解放の父がエイブラハム・リンカーンなら、その流れに続く人種差別撤廃の父はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師。彼が1963年ワシントン大行進で、20万人を前に演説した「私には夢がある」は20世紀最高のスピーチであるとされている。

《私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ》《私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、自由と正義のオアシスへと変わることだ》《私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ》

日本ではキング牧師をこの曲で知った人が多いかもしれない。Dion DiMucciの自作自演「Abraham, Martin and John」。悲しい。

ノーベル平和賞

このキング牧師の演説によって黒人の公民権運動(選挙権、被選挙権、公務員として働く権利などを要求する)はますます盛り上がり、翌1964年に「公民権法」が制定され、ついにアメリカ国内で “法的には” 人種差別は撤廃されたことになる。

64年といえば、日本では東海道新幹線が開通し、その10日後に東京オリンピックが開催されている。すでに現代といっていい時代だと思うけど、米国ではその年まで黒人には選挙権がなく、議員に立候補することもできず、国の各機関に勤めることもできなかった。

州によっては乗り物や施設、公の場で、黒人が差別されること、黒人を差別することが社会通念として当たり前のことだった、われわれ日本人にはびっくりなのだけど。

その64年、黒人の自由を勝ち取った(公民権法制定)キング牧師はノーベル平和賞を受賞。ところが4年後、1968年4月4日テネシー州メンフィスのモーテルのバルコニーで、集会の打ち合わせを行っていた牧師の喉に1発の銃弾が撃ち込まれ、彼の喉は破壊されてしまう。

残念なことに偉人暗殺の歴史をもつアメリカ。A・リンカーン大統領、J・ガーフィールド大統領、W・マッキンリー大統領、ジョン・F・ケネディ大統領、ロバート・F・ケネディ司法長官に続き、キング牧師も、39歳とあまりに若くして生命を奪われた。

ジェームズ・E・レイ

白人男性ジェームズ・E・レイの指紋のついたレミントン・ライフルがモーテルから60m離れた下宿部屋で発見され、その銃から発射された弾丸が牧師の生命を奪ったことが確認される。E・レイは国外に逃亡し、事件から2ヶ月後、ロンドン・ヒースロー空港で偽装パスポートを使ってブリュッセルに出国しようとして逮捕され、米国に連れ戻されるのだ。

ケチなチンピラに牧師暗殺など大がかりな計画を立てられるわけがない、資金もない、そもそも理由がない。いまだに「身代わり」「陰謀」が囁かれている。

さあ、少しずつ「バークレーマラソンズ」に近づいてきた。E・レイは無罪を主張するも99年の禁固刑を喰らい、収監されたのがテネシー州ペトロスのブラッシーマウンテン州立刑務所(現在は刑務所としては使われていない)。そうなのだ、「バークレーマラソンズ」はこの刑務所のあるフローズンヘッド州立公園で行われ、レースコースはこの刑務所のひと区画を通っている。

なぜ刑務所をレースコースに? 実はE・レイは1977年に囚人仲間6人と脱獄を図る。だがしかし、刑務所の名にあるように周囲はブラッシーマウンテン(まるで鉄条網のよう、棘だらけの木々に覆われた山、しかも急斜面)に取り囲まれ、脱獄犯たちは塀の外に出るや行く手を阻まれてしまう。棘で全身を傷だらけにした囚人たちは寒さと疲労で動けなくなり、次々と捕まってゆく。

舞台はテネシーのブラッシーマウンテン刑務所と、そこをとりまく急峻な山々。斜面を覆う棘だらけの木々は鉄条網のよう。

最後のひとりとなったE・レイも54時間後には拘束されてしまう。2日以上も逃げまわったのに、E・レイは直線にして刑務所からわずか5マイル(8Km)しか離れることができなかった。いかにこの山の自然環境が厳しいか、走るなどもってのほか、足を踏み入れることさえ、ふさわしくないかおわかりだろう。

エベレスト3つぶん。

さてさて、冒頭に登場した「バークレーマラソンズ」の創設者ゲイリー “ラズ” カントレルはこのテネシーの在、アメリカ大陸を横断するほどのウルトラランナーでもある。

ゲイリー “ラズ” カントレル。主催者が完走させたくないレースに挑む世界トップの選手たちは、誰もが彼のヘンクツな魅力に惹かれてゆく。

地元のこの脱獄事件の一部始終を知り、「54時間で8マイルしか進めない? オレだったら100マイルはいけるぜ」と、レースの構想と準備に9年をかけ、1986年に第1回「バークレーマラソンズ」を開催するのだ。

普通のトレイルラニングレースではない。もちろん平坦な舗装路をゆくマラソン42.195Kmでもない。刑務所周辺の(つまりはフローズンヘッド州立公園の)急峻な、そして棘だらけの薮に覆われた山々に、1周およそ40Km(道に迷えばもっと長くなる)、およそ標高差累積4000m(道に迷えばもっと高くなる)のルートが作られ(毎年変わる)、そこにチェックポイント(ブック=1冊の本)が15ヶ所設けられている(その位置は毎年変わる)、これを5周して完走。

つまり総距離は最短で200Km、標高差累積は最低でもで20,000m(エベレストを3つ積み上げたくらい)。2025年にブックは16ヶ所になったから、それぞれは最短といえど、さらに長くなっている。

これを60時間以内に、だ。とんでもない距離、とんでもない標高差累積だけど、60時間と聞けばなんとかなりそうな気もする。16ヶ所のブックの位置は1周目も5周目も変わらないから、なんとかなりそうな気がする。

いやいや、そんなことはない。「バークレーマラソンズ」がなぜ悪魔のレースと呼ばれるのか、そう簡単には完走(つまり5周)できないのか、その理由を説明しよう。

チ-プな時計が支給される。

まず、「バークレーマラソンズ」には進む方向を示すサインやマーキングテープなどひとつも用意されていない。コースのGPSデータも公開されない(そんなものはハナからない)。

前日に公開される地図(を書き写したもの)とコンパス、そしてブックの位置をあらわす「説明文」・・・『川を渡って3つ目の大きな岩を左に見て、10歩進んだところにある木の根元』などのリスト。これだけで選手は16×5周=80のブックを見つけ出し、自分のビブ番号と同じページを破り取って持ち帰り、通過証明とするのだ。世界一の走力だけでなく、世界一の記憶力、読解力、地図読み能力も試される。

ある年のマップと切り取ったページ。左下は配布された救助要請の大音響ブザー、もちろんまったくのウソ、ダミー。ビブにある通り「誰も助けてくれない」んだから。

ブックの置かれた場所は変わらないから、2周目からは簡単じゃないか、と思うだろうけど、とんでもない。2周目は真っ暗闇の夜になる、しかも1周目とは逆まわりになるのだ。当然、GPS機能のついた時計やスマートフォンなどは持ち込めない、とはいえ選手にとって時間管理は生命の次に大事だから、時刻表示だけの単機能デジタル腕時計が選手に支給される。

かくして、選手はトレイルとオフトレイル(たいていは棘だらけの薮)へ突っ込んでいく。繰り返すけど、コースは平坦ではない、上りでキスできるくらい目の前に近づく急斜面、お尻を使って滑り下りるしかない急斜面の山々なのだ。

皮肉たっぷりのファンラン。

次は時間のルール。60時間内に5周すれば完走だが、その時間内に、というのが実に厳しい。1周目は明るい時間帯にコースを時計まわり、13時間30分以内に戻ってこないと2周目(反時計まわり、しかも夜)に進めない。36時間以内に3周目を終えないと4周目(時計まわり)に進めない。そして60時間以内に5周目を終えないと完走と認められない。これが基本ルール。

周回ごとに選手は公園の入口の黄色いゲート(ここがスタート&フィニッシュ、ラズも選手のサポーターたちも待ちかまえている)に戻ってくるのだ。ラズに破り取ったページを1枚1枚確認してもらい(「1枚足りないぞ!」なんて強烈なギャグをかまされながら)、すべてOKであれば、新たに別のビブ番号をもらい、次の周回に進むのだ。

で、選手には眠る時間がない。サポーターに食事を用意してもらい、着替え、装備を整えるだけで、次に走り出さないと、間に合わない。ラズは、コース取りやブックの置き場所などに、ぎりぎりの時間設定をしているのだ。かくして、選手は昼夜ぶっ通しで60時間を走り、80ヶ所のブックを探し出し、激坂を上り下りする。

200Km以上の距離を、エベレスト3つ分の高さを。そして人間の最大の弱点である、記憶も感覚も体力も意志さえも奪い去る、睡魔とも戦わねばならない。この難易度の高さが「悪魔のレース」たるゆえんである。

完走できるか、できないか? 圧倒的に完走できない選手が多いのだけど、40時間以内に3周できると、魔王ラズに「ファンラン」をしたね、と皮肉を言われる。規定の36時間を超えているので4周目には進めないのだけど。そのファンランですら、多くの選手にとっては高嶺の花である。

棒高跳び

ところで。陸上競技・フィールド種目の華は棒高跳びだろう、ファイバー製のポールを自在に扱い、そのカラダを6mもの空中に跳ばすのだ。かっこいいなんてもんじゃない。

超えるバーの高さは選手の希望で決められる、間違いなく自分がクリアできる高さから、少しづつ高くしてゆき(3回挑戦することができる)、クリアできた最高値が記録になる。現在の世界記録はスウェーデンのデュプランティス選手の6m26cmだ。

ラズは、これがなんともすごいのだが「バークレーマラソンズ」の難易度を、この棒高跳びのバーのように、自由に変えることができる。5周完走の選手があらわれると、翌年はバーの高さを(難易度を)上げる。進む斜面を変えたり、距離を伸ばしたり、ブックを増やしたり、さらに厳しい周回にするのだ。

すなわち、バーの高さは常にぎりぎりで完走できない目盛りに保たれている。

選手は脱獄犯か。

このように常にレベルの高い「バークレーマラソンズ」、だからこそ「われこそは」と、世界トップのスーパーランナーたちが扉を叩く。

けれど、繰り返しになるけれど「バークレーマラソンズ」とゲイリー “ラズ” カントレルは、自信満々で臨む(ほぼ)すべての世界トップ選手たちの夢と希望を打ち砕き、死にものぐるいの努力をあざ笑い、ことごとく絶望と悲惨の淵に突き落としてゆく。

選手の思い通りにはならない。選手の望みはかなわない。まるで脱獄犯ジェームズ・E・レイのように。

で、ここからラズの魔王ぶりの本領発揮なのだけど、「バークレーマラソンズ」は最初から最後までユーモアと皮肉たっぷりで笑わせてくれる。苦しいことは笑い飛ばしてしまえ、ということなのだろう。「バークレーマラソンズ」に出場したいのなら、困惑しながらも、苦笑いしながらも、ラズならでは儀式につき合わねばならない。いじられることを覚悟しろってことだ。

お悔やみの合格通知。

まず、困惑。エントリーの方法が公開されていない、最初からとりつく島がないのだ。けれど、どうにかしてEメールアドレスを手に入れて、ラズに手紙を書こう、「バークレーマラソンズ」に出場したい旨を熱烈に書こう。実際に毎年40名が(その中に常連もいるけれど)出場しているのだから、あなたにできないことはないはずだ。

大会は、たいてい3月に前述の通りテネシーのフローズンヘッド州立公園で開催される。出場できる選手は40名(公園駐車場のキャパによる、という噂)。参加費はなんといまどき1ドル60セント。そして、ある日、ラズからお悔やみメールが届く。こんな内容だ。

 『残念ながらあなたは当選してしまいました、これから先にいいことはひとつも起きません。完走できるなんてひとかけらも思わないでください。あなたを選んだのはあなたが嫌いだからではありません、いい人にも悪いことは起きるようです。あなたの夢は絶対にかないません、それでもよければお越しください・・』

辛いとか、苦しいとか、そんなのは最初からわかり切ってる、だから笑い飛ばしちゃえよ、ラズなりのいじり(愛情ともいう)なのだ。ついでに言えば、「バークレーマラソンズ」のキャッチフレーズは「HELP IS NOT CAMING/誰も助けてやんないよ」と、これまた強烈だ。

ホラ貝が吹かれたらスタート1時間前。

さて、その次は困惑というか迷惑というか。初めて参加する選手は自分の国のクルマのナンバープレートをラズに差し出さねばならない、お召し上げってこと? 会場には世界中のプレートがぶら下げてある。

ヴァージンは(初出場選手)はナンバープレートを差し出さなきゃいけない、いやそれは困るよ、なんて言うヤツはこのレースに出られない。

さらに言えば、すべての参加者は「キャメル」の両切り、あるいは「ドクターペッパー」、あるいはその両方を。ラズにゴマをすっておいて損はないってことなのか? もはやギャグなのか?

そしてヘンだけど大事なこと。「バークレーマラソンズ」のスタート時刻は決まっていない。23時から翌日11時までの間であることは確かなのだけど、事前に知らされることはない。ラズ(*)がホラ貝(!?)を吹き鳴らすことで、いまがスタート1時間前であることが知らされ、ラズ(キャメルの愛煙家である)がタバコに火をつけた瞬間がスタートとなる。

魔王ラズはウルトラランナーだけど愛煙家でもある。キャメルに火をつけたときがスタート、地獄のぶっ通し60時間が始まる。魔王ラズはウルトラランナーだけど愛煙家でもある。キャメルに火をつけたときがスタート、地獄のぶっ通し60時間が始まる。

なので選手もサポーターも前日の夜からずーっと起きていなきゃならない。この先60時間も眠ることができないのに。

(*)2025年は共同主催者のカール・ラニアックが吹いたが、ヘタクソで大きな音が出なかった。

儀式の最たるものに「タップス」と呼ばれる米軍葬送のラッパ吹奏がある。正確には吹奏の刑に処される。完走できずに戻ってきた選手は、大勢の見守る中、しょんぼり立たされ、目の前で吹き鳴らされる悲しい葬送の音にさらにさらに落ち込まされるのだ。苦労や努力はいっさい報われることなく、恥辱に満ちた、悲惨な終焉を味わうことができる。

制限時間に間に合わなかったら(すなわちほとんどの選手が)葬送ラッパ吹奏の刑に処される。屈辱と悲惨をたっぷり味わせてくれる。

ところでなぜ「バークレー」なのか? 冒頭のように大学のある西海岸の町とは無関係、ラズのランニング仲間のバリー・バークレーの名前から。彼は養鶏業を営んでいて、大会開催中にはバーベキューチキンが供される。友達の名前を大会名にするというアイディア、いったいどこから出てくるのだ? 

ついでに山を走るのに「マラソン」? しかも複数の「ズ」。なぜ? ラズに尋ねたわけではないけど、ラズのキャラとレースの現場を知れば、その意味と命名の理由は容易に推測できる。

街中を行く、平坦で容易で安全で、コースを間違えようがない「マラソン」。3周を走ったことを「ファンラン」と呼ぶのと同じで「超困難」「超過酷」の裏返し、魔王ラズならでは皮肉がたっぷり効いている。「ズ」は42.195Kmを超えるから、超えるどころか総距離は200Km以上になる。

屈辱の年

選手をあざ笑うごとくレベルの高い「バークレーマラソンズ」だけど、選手だって負けてはいない。2024年はなんと5人もの完走者が出ている、そのうちのひとりは女性ジャスミン・パリス(開催以来、初めての女性完走者秒)なのだ。

このとき、地元のジョン・ケリー/59時間15分38秒は完走3回目だし、ジャレッド・キャンベル/59時間30分32秒は4回もラズの鼻をへし折ったことになる。この24年は「バークレーマラソンズ屈辱の年」と呼ばれ、魔王ラズをますます奮い立たせることになった。

そして、翌年25年は距離が1周あたり3Km増え、標高差累積も800m足され、格段に難易度が上がってしまった。たいてい1周目は20~25人が完走できるのだが、25年は7人のみだった。もちろん、完走者はゼロである。25年は「バークレーマラソンズ」反撃の年となった。

いい話

2024年に女性初の完走者となったジャスミン・パリス、彼女の快挙を密かに支えた選手がいる。ジャレッド・キャンベルがその人、最後の5周目に出ていくときの彼の行いが(自己犠牲といってもいい)、仲間たちの称賛を集めている。

「バークレーマラソンズ」は「時計まわり」より「反時計まわり」の方が厳しいと言われる。ブックを見つけにくいし、超激斜面を上るか、下るかの違いもあるし。同じコースなのに、まわる向きで、1時間も違う、という人もいるくらいだ。

そしてルールとして、最後の5周目は「仲間同士が助け合う」ことを禁じ、5周目に先に出た選手が「時計まわり」を選んだら、次の選手は「反時計まわり」を進まねばならない、3番目はその逆の「時計まわり」で、という具合。

もっとも、ほとんどの場合、仲間とつるんで走れるのは2周目くらいまでで、3周目になれば走力や地図読み、メンタルの差は大きくなって、離ればなれ、同じまわりの向きでも助け合うどころじゃないのだけれど。

史上女子初めての4周目を終え、いよいよ初の女子完走者となるか、と期待されるジャスミン・パリス、あまりの疲労からエイドで座り込んだまま。すでにトップ3人の選手たちは5周目に走り出ている。残るは過去に3回(偉業!)も完走しているジャレッド・キャンベルと彼女だけ。

いまにも5周目に出られるよう、ジャレッドは身支度を終えている。彼が先に出れば、完走に有利な「時計まわり」になる。ところが、ジャレッドは椅子にへたり込んだジャスミンに近づき、「先に出れば?」と言うのだ、有利な「時計まわり」を譲るのだ。

自分だって4回目の完走(大会記録更新)がかかっているのに、ジャレッドは彼女に順番を譲り、不利な「反時計まわり」を選ぶのだ。

うながされ、彼女がスタートしたあと、すぐにジャレッドは逆方向に走り出してゆく。真っ暗闇の中、ふたりへの歓声と拍手が止まない。

ジャスミン・パリスはそれから13時間31分後に、制限時間にあと99秒しかない、というギリギリのタイミングで帰ってくる、59時間58分21秒。彼女の5周目が「反時計まわり」だったら、2024年に女性初の完走者は出なかったかもしれない。完走は男子4人だけだったかもしれない。

もうひとつのいい話

ここで不思議に思う人がいるかもしれない。最後の5周目に挑んだのは5人、いちばん先にスタートする選手が時計回りなら、2番目が反時計、3番目が時計まわり。4番目になったジャレッドは反時計まわりじゃないか?

「いい話」の裏にもうひとつの「いい話」がある。5周目をいちばん先にスタートしたのは完走経験2回のジョン・ケリー、なんと彼は反時計まわりを選び、初の完走を目ざすイホル・ヴェリスに有利な時計まわりを譲ったのだ。

ジョン・ケリー。地元といっていいテネシーのオークリッジ出身。2017、2020、2024年に完走達成。24年はあえて不利な反時計まわりを選び、イホル・ヴェリスの初完走を助けている。

ジョンの過去2回の完走は時計まわりだったから、3回目は反時計まわりで、という挑戦もあったのでは、と井原知一さん(このあとに紹介)は推測する。ジャレッド・キャンベル、そしてジョン・ケリー、このふたりのなんという自信。まさに「屈辱」、ラズはそうとうカチンときたに違いない。

「2024年の完走者5名」
  1. イホル・ヴェリス 58時間44分59秒
  2. ジョン・ケリー/完走3回目 59時間15分38秒
  3. ジャレッド・キャンベル/完走4回目 59時間30分32秒
  4. グレイグ・ハミルトン 59時間38分42秒
  5. ジャスミン・パリス 59時間58分21秒

井原知一さん

井原知一。100マイルの達人。それなのに一度も完走できずにいる「バークレーマラソンズ」。ラズの多くに共感し、日本でヘンクツな大会を開催している。

日本からは「生涯100マイルを100回」を目ざす井原知一さんが2018年から出場し続けている。失敗しては学び、を積み重ね、毎回バージョンアップしてラズに挑むのだが、なかなか完走できずにいる。『Tarzan』ではその奮闘努力を744号、764号、875号で紹介している。また井原さんのラズと「バークレーマラソンズ」への熱き想いは映画になっている。

メインクエスト~バークレーマラソンズに導かれし者たち

メインクエスト2 穢れなき負け犬の遠吠え