フェンシング江村美咲、世界選手権初の快挙を経て
日本人には馴染みの薄いサーブルで、初めて世界の頂点に立った彼女は、最強の選手になるために日々練習を重ねている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.839〈2022年8月10日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.839・2022年8月10日発売
女子サーブルW杯で日本人初の金
2022年5月に開催されたフェンシング女子サーブルのワールドカップ・チュニジア大会で、優勝を果たしたのが江村美咲だ。この種目では日本人初の金メダルだった。その感想を尋ねると、「もちろん狙っていました」という答え。自信には理由がある。
「今年に入ってから、コーチがフランス人のジェローム(・グース)に代わって、今まで以上に手応えが湧いてきていたんです。
優勝したときには、朝からすごくいい感じで…、自分の中に集中力と緊張感とリラックスが、すごくいいバランスで存在する感覚を持っていました。1試合目では苦戦してしまいましたが」
ただ、「初めに苦労したのがよかった」と、彼女は笑う。この後の5試合は、危なげなく勝利を重ねて、その強さを世界に見せつけた。世界ランキングも3位まで上昇した。これも日本初なのである。
サーブルは止まったらやられる
彼女が取り組んでいるサーブルという種目は、あまり馴染みがないかもしれない。日本では北京オリンピックで太田雄貴さん(日本フェンシング協会前会長)が銀メダルを獲ったことで、フルーレがスポットを浴びた。現に、今もフルーレを習っている子供は多い。
そして、エペがそれに続く。2021年の東京オリンピックの男子エペ団体で日本が優勝したのだ。この2つに比べ、サーブルではこれまで目立った成績が残せていなかった。その突破口を、江村が見事に拓いたのだ。
ただ、見る人にとっては、サーブルは一番面白い種目かもしれない。理由の一つはフルーレ、エペは“突き”だけで勝敗を決するが、サーブルでは“斬り(カット)”も有効なため、よりダイナミックで多彩な試合展開になりやすい。
また、攻撃できる有効面は腕、頭を含む上半身に限られる。下半身への攻撃でポイントを得失することがないため、脚さばきが大胆になる。試合はピストという縦長のコートで行われるが、サーブルではまるでスプリント競技のように、ダッシュを何度も繰り返し、ピスト上をスピーディに動き回る。
「フルーレやエペは、間を計るというか、見合って、見合って一瞬の動きで決まるんです。でも、サーブルは止まったらやられるという感じ。
私もジェロームに指導してもらう前は、100%スピードで勝負というスタイルでした。ただ、今は陸上の短距離選手というよりは中距離選手というか、動きはゆったりして粘り強くなったと思います」
ジェロームコーチが指導するようになり、江村のフェンシングのスタイルは変わった。それまでの彼女は、自分のスタイルをただ頑なに守り通していたのだ。
「立ち会いの入り方とか、その後何をするかは自分の中で軸があって、それを大きく外れるのはダメだと思っていたんです。
でもジェロームに“相手によっても、その日の感覚によっても決まる技は変わってくる。だから、その日その相手に決まる技をやり続けろ”と言われて。
それまでは、オフェンシブな戦い方ではなかったのが、その言葉で自分から行くことも多くなった。新鮮でした。引き出しがいっぱい増えて、いろいろ試しながら考えながら、本当にゲーム感覚で楽しいと思えるようになったんです」
本気で取り組むのを待っていてくれた
父の宏二さんはソウル・オリンピックのフルーレ代表で、北京オリンピックでは代表監督を務めた。母はエペで世界選手権に出場している。が、両親は娘に無理強いはしなかった。
父がコーチをしていたクラブに遊びに行くうち、江村自身が興味を持って始めた。最初はフルーレ。だが、小学校を卒業した年の春休み。サーブルの全国大会で優勝する。
「優勝賞品が当時好きだったウサビッチのジグソーパズルで、それにつられて(笑)。ただ、その頃はみんなフルーレですから、出場者はたった4人。でも、とてもうれしかった。フルーレではいいところまで行けても、優勝はできませんでしたから」
しかし、難敵が現れる。JOC(日本オリンピック委員会)にはタレント発掘・一貫指導育成事業というものがある。運動能力に秀でた子供をトップ選手に育て上げるのが目的だ。
江村が中学生になったとき、この事業で初めてサーブルを始めた同じく中学生になった少女が2人いた。もちろん最初は江村が勝った。ところが、半年(たった半年!)で、2人には勝てなくなった。2人が1、2位で江村は常に3位の位置だった。
「それまでは週1回しか練習していなかったし、全然本気じゃありませんでした。厳しかったら、やめていたかもしれない。
父も楽しめるようにという感じでやっていてくれて。だから、本当に父には感謝、感謝です。私が本気で取り組むのを待っていてくれたと思うんですよね」
本気になった。そして、2年かけて2人に追いつき、突き放した。中学校3年生のときに、世界カデ(14歳以上17歳以下)サーキット選手権ロンドン大会で優勝するのである。
「まさか優勝できるとは思っていなかったし、しかも1回は負けていて敗者復活で勝ち上がったんですよ。それまで、日本人がサーブルで世界に勝てるなんて思いもしなかったのですが、もしかしたら勝てるかもって気持ちになったし、勝ちたいと強く思うようになっていったんです」
2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは4ポイント差で代表を逃すが、それ以降は日本を代表する選手として力を発揮していく。日本サーブル史上初となる、ワールドカップ2度の表彰台という快挙。
そして、中央大学の卒業を機にプロに転向(フェンシングでは初)。2021年の東京オリンピックでは個人は3回戦敗退に終わるが、団体は5位(過去最高)という成績を残したのだ。
あまり数字に囚われすぎるのもよくない
「東京では目標はメダルでしたが、あれが実力だった。これまでの戦績で、確かに国際大会でメダルを獲っているけど、安定しているのではなくて、たまたまみたいな感じですから。
だけど、今年から新しいコーチでスタートして、今のパフォーマンスを続けていけたら絶対オリンピックでメダルを獲れる選手になれると思うんです」
現在は毎日、午前と午後の2回、3時間の練習をこなしている。そして、月・水・金曜日の午前中はチームでのウェイトトレーニングがある。
練習メニュー
フェンシングの練習はストレッチから入る。江村のフォームでわかるが、選手の股関節の柔軟性は驚くほど。その後、アップを経てコーチと1対1のレッスンとなる。ここで姿勢や技術を学ぶ。
そして、チーム全員で一列に並んでフットワークの練習。ここまでが、午前中に行うこと。そして、午後には相手と向き合っての実戦的な練習となる。午前、午後とも3時間ほどだ。
「ただ、私は月曜日だけ参加して、他の日はパーソナルの先生とトレーニングをします。ウェイトではなく、カラダの使い方を覚えるようなトレーニングですね。
その先生に見てもらうようになってからは、力を抜くときは抜き、入れるときは入れて軽やかに動くという、理想のフェンシングに近づいたと感じています」
新たな出会いで、江村はこれまでとはまったく違うフェンシングを手中に収めようとしている。そして、それがしっかりとカタチになっていけば、結果はついてくるだろう。
「世界ランキング3位というのは、やっぱり誇りに思うし、自信にもなります。1位を目指したい気持ちもあるんですが、あまり数字に囚われすぎるのもよくないとも思う。まずは、安定的に表彰台に立てる、そんな選手になることを目標にしたいですね。
今、足りないことは自分をコントロールする力だと考えています。精神的にも技術的にも、まだ全然足りていない。だから、伸びしろはものすごくあります。
それで優勝したり、世界で3位になっているんだから、これから先もっと追求すれば、圧倒的に存在感のある選手になれるんじゃないか、そんな選手になりたいと今は思っているんです」