体操選手・神本雄也 世界への道は「普通じゃない」練習が開く
選手が若年化するなか、その台頭を抑え、ベテランが力を発揮して世界への道を開いた。彼の夢への厳しい挑戦はまだまだ続いていくのだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.836〈2022年6月23日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.836・2022年6月23日発売
できることはすべてしたNHK杯
2022年5月に行われた体操のNHK杯。そこで2位に入り、世界選手権出場の座をつかんだのが、神本雄也だ。
現在、彼は27歳。テレビ中継でも名前の前に「ベテランの」という修飾語が入ることが多かった。確かに1位の橋本大輝、3位の土井陵輔が20歳なのだから、年齢差は否めない。そして、この大会でベテランは苦しんだ。
「(4種目目の)跳馬が終わった段階で、手がつってしまったんです。次の平行棒まで時間があったので、カラダが冷えないように、ジャージを着たり、手袋をつけていました。トレーナーにもケアしてもらったり、水をこまめに飲んだり、とにかくできることはすべてしましたね」
迎えた平行棒。「かなりいいものが出せた」と、本人が言うほどの出来。15.266の高得点を叩き出す。そして最終種目の鉄棒へ向かう。でも、まだ本調子ではない。
「(着地のために)空中に出た瞬間、いつもだったらカラダのひねりに首も合わせるのですが、それがつってしまっていつもと違う動きになってしまった。そこから先は自分がどういう姿勢でどこにいるのかがわからなくなっていて…気づいたら、マットの上に立っていました」
鉄棒での着地は大きく1歩前に出たが、どうにか止めて2位を決めた。では、なぜこのようなことになったのか?
実はNHK杯の1か月弱前、同じく世界選手権の選考大会である全日本個人総合選手権が行われていた。神本はここでも2位に入ったのだが、そこから次の大会に臨むには、間隔が短すぎたのだ。
「20歳ぐらいのころは、試合後に練習を続けながらでも、1週間も経てばカラダは回復していましたが、今はなかなかそれができなくなっている。でも、今までの経験の分だけの調整力があるから、試合をきっちりまとめられたんだと思う。
また、東京オリンピックの選考に落ちた2021年の6月から、今回の世界選手権を目標にしてトレーニングを見直して1年弱続けてきた。それが2つの大会の結果に表れたのだと思います」
あの拘束時間でも普通だと思っていた(笑)
神本の父・堅二さんは元体操選手で、高校の体育教師だった。体操部の顧問であり、練習場へよく遊びに行っていた神本は楽しさを感じ、体操をやりたいと自ら父に伝えた。5歳のときだ。
そして、小学校3年までは朝日生命体操クラブで、それから高校1年生まではオリンピックのメダリスト・池谷幸雄さんが主宰する、池谷幸雄体操倶楽部で学んだ。
「練習量は多かったですね。土曜、日曜の2日間は10時間ぐらいやっていました。朝10時に体育館にお弁当を持っていって。平日も学校が終わって5時からトレーニングをして、6時から9時半ぐらいまでは種目の練習、そしてまたトレーニング。
帰るのは11時ぐらいでしたね。子供だからいろいろやりたいことがあったけど、体操が楽しかったので全然つらくなかった。あの拘束時間でも普通だと思っていました。今考えると全然普通じゃないんですが(笑)」
もともと柔軟性には優れていた。ただ、柔らかすぎて最初のころは脱臼を心配されていたという。また筋肉が伸展しすぎると、瞬間的に大きな力を出せないマイナス点もある。
「ケガをしないように、自分を守るためにという感じで、どんどん筋肉がついていって。それで丈夫なカラダになれたし、つり輪や平行棒でパワーが必要な技もできるようになった。
とにかく量をたくさんこなしていたので、体力のベースがこのころにできたと思います。コーチの指導で、ジュニア時代にこれを作ってもらったのは大きかった。今からでは、なかなかできないですから」
もう一つ神本が感謝していることがある。それが、先述した父・堅二さんの存在だ。1984年ロサンゼルス・オリンピック代表選考会で10位にもなった父だが、息子の練習に関して、一切口を出さなかった。
「何も言わないということは、貫いていましたね。そのクラブの指導者に任せるということで。今だったら、自分にとって必要な情報かそうでないかは選択できますが、子供のころって言われたままのことを、そのまま全力でがんばることしかできない。
父がアドバイスをすることで、僕がこんがらがってしまってはいけないと考えていたんだと思う。それは、当時の自分にとって非常に大切なことだったと思っています」
サーキットトレーニングは自分への投資
東京オリンピックの代表選考に落ちた2021年の6月、神本は「トレーニングを見直した」と語ったのだが、そのトレーニングは彼以外には誰もできそうにない、過酷な内容だった。
「午後は技の練習が中心なのは、これまでと変わらないのですが、午前中にサーキットトレーニングをするようにしました。初めにダッシュとかインターバルトレーニングをして、その後6種目のゆかから鉄棒までの流れを3周まわしていくんです」
体操では“正ローテーション”と呼ばれる流れがある。競技会では予選で6位までに入れば、その流れで演技を行う。種目の順はゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒。神本はこれに合わせサーキットトレーニングを行っているという。
練習メニュー
この日の練習は、ランニングに始まり、その後1時間近くかけて入念にストレッチ。チューブを使ってのインナーマッスルのトレーニングに、さらには長時間の倒立と続く。
つり輪の力技(十字懸垂)や着地の練習、ゆか、平行棒、鉄棒を行った。最後に空中での感覚を確認するようにトランポリンを使ってのタンブリング。細かい休憩を挟みながら約3時間カラダを動かした。
「1周目より2周目、2周目より3周目と負荷を上げます。ただ、このときは種目の練習と捉えるわけではなくて、ゆかだったら脚とか、あん馬だったら腕の筋力とか支持力とか、体力の向上に焦点を置いています。カラダの調子によっては5種目を3周というときもありますが、毎日午前中はこれをやっているんです」
時間にして40~50分かかる。「ちょっと息が切れるぐらいの運動」と、神本は笑うが、とんでもない。普通、体操の選手は、午前中は感覚を養うためにトランポリンを使ったり、午後の練習のためにストレッチを行う。
トレーニングをしても、ごく軽いもの。なぜなら、午後の練習に万全を期さなければならないからだ。
午後の練習でも技を1本行うごとに2~3分は休憩を入れる。この休憩時間は今行った技を分析する時間ではあるのだが、連続で行うことで生まれるケガなどのリスクを回避するためでもある。つまり、神本のサーキットトレーニングは本来の体操の練習の方向性とは真逆なのだ。
「やはり、ジュニア時代に培ったものがあったからできたと思うんです。周りの選手と比べても、練習で器具に飛びつく回数は多いと思いますし(笑)。もちろん始めたころは、めちゃキツかったですよ。
でも、体力が向上していけば、練習の量も質も上げることができる。サーキットは自分への投資なんです」
神本はこれまでの競技生活のなかで、今がもっとも充実した日々が送れていると言う。2022年の世界選手権はイギリスのリバプールで10月28日から開催される予定。この大会に的を絞って、厳しい毎日を送っていくのであろう。
「今まで多くの国際大会に出場してます。アジア競技大会、ユニバーシアード、ユースオリンピック、どれも金メダルを獲っているんです。ただ、世界選手権は2019年に団体総合で銅メダルだったけど、一番上までは届いていない。その点、NHK杯で代表に決まったことはよかった。
まだ代表に決まっていない選手もいますし、早い時期から大会に向けて練習をしていけることは大きなプラスになりますからね。オリンピックには一度は絶対に出たいというのはありますが、今は目の前のことに全力で集中したいと思っています」
日本の男子体操は世界で一、二を争うほど選手層が厚い。この実直でタフなベテランがどう活躍していくのか、期待していきたい。