両腕・両足がない状態で生まれてくる「四肢欠損」という障害に向き合ってきたことで知られる乙武洋匡さん。その乙武さんが近年取り組んでいるのが、膝から下の身体がない人でも歩けることを示すための「義足歩行プロジェクト」。なぜ乙武さんは4年にもわたってこのプロジェクトに取り組み続けているのか、そして、義足で歩くためにどんなトレーニングが必要なのか。今回は実際に行なっている路上でのトレーニングの様子を見学させてもらいつつ、その経緯を取材してきました。
「L字型」に固まっていたカラダを改造する
乙武洋匡さん(おとたけ・ひろただ)/作家。1976年、東京都出身。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員など歴任。近著に『四肢奮迅』(講談社)、『ヒゲとナプキン』(原案:杉山文野、小学館)など。
編集部
この「義足歩行プロジェクト」において、義足で歩くときに乙武さんにはどんなハードルがあったんでしょう?
乙武さん
「
膝がない」ことや「
腕がない」ことは問題でした。世の中には義足で歩いていらっしゃる方がたくさんいますが、その中でもいろいろあり、基本的には片足がないか、両足がなくても膝はあるという方が多いんです。
私のように両膝ともにない人だと、義足を履いても歩けるようになるのは難しい、と言われてきたんですね。それぐらい、人間の膝が「歩く」ときに果たしている機能は重要なんです。また、腕がない私にとっては、歩き初めた当初はなかなかバランスがとりづらく、歩行には腕でバランスを取ることも大事なんだと身をもってわかりました。
あと、「そもそも歩いていた経験がない」のも大きかったです。後天的に足を失った人は、義足で補ってあげると歩いていた頃の感覚を取り戻すことができる場合も多いらしいんですね。でも私の場合は先天性障害なので取り戻すべき感覚を持ち合わせておらず、ゼロからの獲得になる。
ところが、いざ始めてみるとゼロどころかマイナスからのスタートで…。
電動車椅子で義足とともに現れた乙武さん。
乙武さん
私の場合、これまでは起きてから寝るまで
1日17時間くらいは「座って」生活をしてきたんですよ。だからカラダが
アルファベットのLの字に凝り固まってしまっていた。そうすると、いざ義足を履いて立ち上がると、瞬間的にカラダがIの字にはなっても、歩き出そうとするとすぐに慣れ親しんだLの形に戻ろうとして、倒れてしまう。
「やっぱりカラダそのものを改造しないと難しい」ということで、理学療法士の方にチームに加わってもらって、ストレッチや筋トレを始めることになりました。
編集部
「L字型になってしまう」というのは、やはり筋力が足りていなかったのですか?
乙武さん
なにせ義足は一本4.5kg、両足で9kgあるので、その「重いものを持ち上げるための」筋力を太ももにつける必要がありました。
両足で重さ9kgもあるという機械式の義足。これを装着して、路上での歩行トレーニングを開始します。
乙武さん
しかも、カラダの左右のバランスが悪いことで、左足から右足に上手く体重移動ができなかったんですね。一年くらい悩んだ挙げ句に原因を掴もうと病院でMRIを撮ってもらったら、どうやら相当前から左股関節を脱臼していて。
編集部
脱臼した状態でずっと生活していて、それに気づかなかったのですか?
乙武さん
ええ、「
偽関節」といって、本来の関節ではない位置に大腿骨がくっついてしまっている状態でした。
本来なら筋トレで左右ともに筋力をつけて、歩行を支える方向で考えていたんです。でも、それとは違う方法で歩行距離を伸ばしていく方法を探らざるを得なかった。そこで今は、体幹と股関節の可動域を広げ、筋持久力をつけることをメインにやっています。
筋持久力をつけるために2日に1回を目安に行っている階段トレーニングの様子。1階から約60階までを義足なしで駆け上がる(※動画/乙武さんのInstagramより)
乙武さんが日常的に運動するようになって感じたこと
編集部
正直に言って、乙武さんが義足で歩行している様子を見ていると、
めちゃくちゃ体力的にキツそうだなって感じるんです。
そもそも乙武さんは、こんな運動をしなくても十分に車椅子で精力的に活動できているわけで…うがった見方で申し訳ないのですが「誰かのため“だけ”にやってないかな?」「乙武さん個人はちゃんと楽しいのかな?」と思ってしまって。
今日の義足歩行トレーニングを終えて一休み。けっこうキツそうです。
乙武さん
もともとこの活動を始めたのは「
両膝のない人でも歩けることを次世代に示したい」という遠藤さん(遠藤謙さん:ソニーコンピュータサイエンス研究所のエンジニアで、乙武さんが使用しているモーター付き義足を開発した)の思いに共感したからでした。
でも、堀江貴文さんなんかは「健常者でもパーソナルモビリティで移動したほうが効率がいいし、そうなったらバリアフリーも自然に進むよね」とおっしゃっていますね。しかし、私たちがやっているのは、「移動を便利にするためのプロジェクト」ではないんです。
乙武さん
いまの社会は
二足歩行での移動が前提となっていて、二足歩行できる人とできない人とでは
移動格差がある。だから「パーソナルモビリティ」によって、その格差がリセットされるなら、すごくいいことだと思います。
移動を便利にするためだけなら、電動車椅子をもっと改良して段差が登れるようにしたり、軽量化していったりする方が多分早いし、人間は楽になれると思うんですよね。
ただ、今のタイミングで現実的な話をすると、車椅子ってすごく目立っちゃうんですよ。
特に日本は同調圧力の強い国なので、「目立たずにみんなの中に溶け込みたい」と思う方も現実にいるんです。彼らのために私は、あえて健常者の二足歩行に近づけることを頑張っています。
歩行トレーニングの様子。この日は上り坂を登る練習でした。
乙武さん
そもそも、本来の私自身が歩きやすい歩き方なんて、歩幅を大きくして足をぶん回すような、不格好な歩き方なんです。それで歩けても「乙武、ちゃんと歩けてないよね」というふうに見えてしまう。
編集部
それって、なんとなく「正しい歩き方とはこういうものだ」という固定観念に合わせていませんか。「乙武さんの歩き方はこういうものだ」という個性はあっていいはずだけれど…。
乙武さん
ええ、そう批判する人もいますよ。それは私にとって、ジレンマでもあるんです。
そもそも健常者の皆さんのなかにもX脚やO脚の方もいらっしゃって、その人の歩き方は本当に正しいのか、という話はある。それどころか四足歩行で歩く人間がいたとして、咎められる話でもないですよね。
編集部
法律違反でもないし…ヒトに近い類人猿も四足歩行を行いますね。
乙武さん
横断歩道を四足歩行で動物のように歩き出した人がいたとして、それを社会がどう受け止めるのか、そういう人が出てきたときに手にはめる靴が売られたりするのかとか…そう考えると面白いですよね?
「義足歩行プロジェクト」にはなかなか一言では言い表せない複雑な背景があるようです。
5年目に突入。トレーニングを継続できている理由とは?
乙武さん
ただ、そういう難しい問題とは別に、そもそもトレーニングをやっていくうちに「これは自分のためにもなるな」と感じたんです。
乙武さん
お話ししてきたように、課題ばっかりでちっともうまく歩けないんですよ。それが悔しくて…だけどトレーニングのメニューに真面目に取り組んだりしていると、本当に歩行距離が伸びてくる。この努力したらだんだんできるようになるのが、快感なんです。そういう悔しさと隣り合わせの達成感が、いまの自分の生活にはちょうどいい負荷になっています。
編集部
トレーニングの楽しさに目覚めたんですね。確かに、義足歩行プロジェクトは5年目に入るわけですから、楽しくなければ続かない期間ですね。
乙武さん
気持ち悪いぐらいかっこいい言い方になっちゃいますけど、続いてるのは「成長が止まらないから」なんですよ。
「成長が止まらない」とドヤ顔を見せる乙武さん。
乙武さん
毎回、トレーニングのときに編集者の方が「歩けた距離」や「歩行スピード」を克明に記録をとってくれていて、それが更新できたときはみんなで「よっしゃあ!」ってなります。
他にも色んな課題を取り入れていて。例えば2年目の大きな目標が「止まる」でした。皆さんは歩いて止まるのが当たり前ですけど、私は歩き出したら誰かに倒れこまないと止まれなかった。他には「右に曲がる」「左に曲がる」「Uターンする」、それと「上り坂を登る」「下り坂を下る」、あとは「段差」なんていうのも。
編集部
僕たちからすると普段気にもとめない動作ですけど、それが乙武さんにとってはバリエーション豊かな課題として、目の前に広がっているんですね。
乙武さん
ええ。最初に「ここをゴールにしよう」と決めずにプロジェクトを始めたんですが、やればやっただけ今のところ伸びているので、「やめどきを見失っている」というのが正直なところです(笑)。
上り坂を登ったあとは、横断歩道を渡る実戦型トレーニングも。
乙武さん
あと、もうひとつ良かったのは、メンタルが安定するようになってきたことです。もともと私はネット上では「鋼のメンタル」と言われていましたけど…。
編集部
ひと頃のネットユーザーの間では「Z武」などと言われて、乙武さんにはどんな不謹慎なネタでいじっても本人は許してくれる、という雰囲気があった気はしますね。
乙武さん
でも本当は、感情の起伏は割と激しい方だったんです。ところが今、本当に毎日のようにトレーニングをするようになって、科学的なメカニズムはわからないですけど、
頭と心がすっきりする感じがあって。特に階段トレーニングは、夏場は非常階段なんて空調も効いてないのでサウナみたいになるから本当につらいんですよ。
ところが、旅行に行って3日もやらないでいると、ちょっと「やりたいな」って気になってくる。そんな自分に「バカじゃないの!?」と思ってるんですけど(笑)。それが習慣になってきたんで、やらないと気持ち悪い、やってスッキリしたい、という風になってきてるんです。
続けるのに必要なのは「仲間の存在」
乙武さん
あと、続いている理由にはもう一つ大きなものがあって…これも気持ち悪いですけど、仲間の存在ですかねー。
乙武さん
そう(笑)。このプロジェクトって私が歩いているから、どうしても私に注目が集まっちゃいますけど、モーターを開発した遠藤さん、義足自体を作ってくださっている沖野敦郎さん、カラダ作りに携わってくださっている理学療法士の内田直生さん…そういう仲間たちと一緒にここまで来ているので、それが楽しいんですよね。
もともと私はスポーツライター時代に野球やサッカーなどのチームスポーツの取材をたくさんやってきましたが、一人ひとりの強みとか個性を組み合わせて前に進んでいくチームプレーがすごく好きなんです。
「止まる」にしても「曲がる」にしても最初は当然できなかったんですけど、そこを内田さんが「どういうトレーニングをすればできるのか」を考えてくださって、私も「実際に身体のバランスのどこに力をかけて、どのタイミングで足を振り上げたらクリアできるか」を考えて言語化して内田さんに伝えるんです。
すると、また内田さんからフィードバックを頂き…やがて、できるようになる瞬間が来る。もう、めちゃくちゃ嬉しいですね。
編集部
今日のトレーニングを見学させてもらっても感じましたが、ちょっと部活感があると言うか…。
乙武さん
ある、ある。 めちゃくちゃある 。大人の部活です(笑)。
取材当日は義肢装具士の沖野さん、エンジニアの遠藤さん、理学療法士の内田さん、そして乙武さんのマネージャーの北村さんと、「チーム乙武」が勢揃いして歩行トレーニングをおこなっていました。
編集部
運動習慣って、個人でやっているとどうしても続きにくいのかなと思っていて。
乙武さん
私が階段トレーニングを続けられているのは、「今月は何フロア登った」というのをSNSで公開するようにしているからだと思うんです。だからサボれない。「あいつ今月サボったんだな」と思われたくないので、見栄を張るために頑張っちゃう。
編集部
どうしても見栄を張りがちなSNSという場を、逆手にとっているわけですね。
乙武さん
だからジョギング仲間なんかでLINEグループを作って、今月の目標の宣言と、その結果を報告するだけでもいいと思いますよ。一人ひとり課題は違うけど、みんなで目指すだけでもきっと違います。
編集部
面白いですね。誰であってもSNSをうまく活用してみる、一緒の目標ではなくとも「仲間」を作ってみるというのは、もっと考えてみる価値がありそうですね。今日はありがとうございました!
取材・文/中野慧 撮影/安田光優
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