【棚橋弘至・連載】第7回:目標設定の大切さ。プラトーを打ち破れ!
新日本プロレス「100年に一人の逸材」棚橋弘至が綴る、大胸筋のように厚く、起立筋の溝のように深い筋肉コラム。第7回のテーマは「プラトーとその乗り越え方」について。
筋トレの「プラトー問題」。
トレーニング用語に「プラトー」というものがあります。「プラトー」は英語で「Plateau」と書き、意味は「高原」です。どういったときに使われるかというと、伸び悩みの期間です。
成長曲線は右肩上がりが良いのですが、その線が横ばいになるときがあります。その横ばいの様子が高原っぽいことから、スポーツ選手の伸び悩みの時期、トレーニーのカラダに変化があまり見られない期間を「プラトー」といいます。
このプラトーには、知らず知らずのうちに陥っていることがほとんどです。特にトレーニング歴が長くなればなるほど、陥り易く、多くの方が経験したことがあるのではないでしょうか?
かく言う僕も、ぶっちゃけ、ここ15年くらいプラトーの様な気がします。ええ。長いですよね。毎回、トレーニングの度に、「前回よりも1kgでも重く」「1回でも多く」と心掛けてきたつもりなのですが、なかなか思うようには大きくならないものです。
筋トレ人生を思い返すと。
中学生の時に親戚のおじさんにもらったブルワーカー(当時流行ったこれだけあれば全身鍛えられるアイソレーション器具)でトレーニングを開始。本格的なウエイトトレーニングを始めたのが、高校の野球部時代のオフシーズンでした。
この頃は、まだプロテインも1日1回程度で、若くて代謝が良い上に野球部の練習時間も長かったため、充分な栄養を定期的に摂れていなかったのが体重の増加に繋がらなかった原因でした。
ただ、ウエイトトレーニングが性に合っていた僕のカラダは、体重は変わらなかったけれど、どんどん引き締まっていき、この頃から腹筋が割れていました。割れた腹筋を手に入れた僕は体育の水泳の時間に女子からのキャー!キャー!を期待していたのですが、待っていたのは同じ体育会系の男子からの「すげぇ腹筋割れとる」という熱視線でした(笑)
話が逸れましたが、高校でトレーニングの基礎を学び、大学で栄養学を学んだ僕のカラダは一気に変化して行きます(法学部卒)。65kgで入学して、トレーニング+学食食べまくり+プロテインをたくさん飲んだ結果、大学2回生になった頃、体重は80kgに増えていたのです。
1年で15kg増。特筆すべきは、そんなに体脂肪率が変わらなかったこと。「1年間で増える筋肉量のMAXが7kg」と何かで読んだ気がするので、この年の変化は驚くべきものだったと思います。我ながら。
実際、京都から岐阜の実家に帰省したとき、メキメキ大きくなって帰ってくる息子を見て、両親は「弘至は大学で何をやっとるんや?」と心配になったそうです(後日談)。
入門後も進化は止まらない。
こうして、どんどん変化していくカラダを見ることは、トレーニングのモチベーションにも繋がりました。そう、やればやるだけ成果が出たんですね。大学2回生の終わり頃には83kg。新日本プロレスの入門テストを受けた大学3年の頃は85kg。大学を卒業して、新日本プロレスに入門するときには90kgになっていました。
65kgで実家を出て、4年間で25kg増えて、しかも「プロレスラーになりたい」と、言い出した息子を持ってしまった両親の気持ちは察するに余りありますね。
新日本プロレスに入門後の生活は、僕にとっては夢のような空間でした。というのも、道場でいつでもトレーニングできるし、食堂には常にちゃんこ鍋が作られていて、いつ食べてもいいし、プロテインを飲むタイミングも嫌と言うほどある(新人はデビューするまで、外出できないので)。
こうして、トレーニングとちゃんこを食べまくった生活の結果…90kgで入門した体は、10月にデビューするまでの半年間で12kg増の102kgになっていました。
ここから、さらに鍛えまくりの食べまくりで2003年くらいが自己最重量の110kgまで行きました。まさに進化が止まらない感じでした。
減量効果の痛し痒し。
転機が訪れたのは2005年の「G1 CLIMAX」が始まる前でした。シングルマッチを戦い抜くスタミナをつけるために、「少し体重を落としてみよう」と考え、5kgくらい減量して102kgくらいにしました。
膝への負担も軽くなったし、スタミナも続く様になった。減量してプラスのことがたくさんありましたが、この2005年を境に、筋肉に劇的な変化が見られなくなった様に思います。
そう。無意識のうちにカロリー計算をして、食べすぎない習慣がついてしまったんですね。摂取カロリーが消費カロリーを上回り、なおかつ、必要なタンパク質量を摂っていて、初めて筋肥大が起こります。それができなくなってしまったんですね。
言い訳になってしまいますが、年間を通して試合があり、常に見られるカラダを維持するために、増量期を設定できなくなってしまったんです。
そして、16年が経ち現在に至るわけです。
プラトーの打開策とは?
大学生の頃の様な、寝て起きたら体がデカくなっている感覚をもう一度味わいたいという思いも、もちろんあります。しかし、基礎代謝は年齢と共に落ちて行くものなので、食いまくることへの恐怖心がつきまといます。
一体どうすればいいんだ!?と、こうして肉体遍歴を書いていて気が付きました。「肉体的なプラトーは、精神的なプラトーとイコールである」と。きっと、知らないうちに自分で限界を決めてしまっていた様に思います。
このプラトーを打ち破るためには、トレーニングに新たな刺激を入れたり、パートナーを組んだりと、変化が必要なんだと思います。
そして、何より大事なのは、目標なんですね。プロレスラーになりたいと願った時期とデビューしたい一心で走り続けた時期に僕のカラダは変化しました。となると、これから僕が設定しないといけない目標は何か?それはもう。あれですね。
現在開催中の「G1 CLIMAX」優勝!からのIWGP世界ヘビー級王座のベルト奪取!
キタコレ!今、モチベーション、やばいくらい高いっす!
棚橋弘至
たなはし・ひろし/1976年生まれ。新日本プロレス所属。立命館大学法学部卒業後、1999年デビュー。低迷期にあった同団体をV字回復に導き、昨今のプロレスブームをリング内外の活動で支える。
本連載『モテ筋肉でいいじゃないか』は毎月・第2金曜日に公開予定。次回は、2021年11月12日に公開予定です。