• 美しくも残酷なスポーツ〜東京オリパラを終えて思ったこと〜|世界スポーツ見聞録 vol.32
COLUMN
2021.09.21

美しくも残酷なスポーツ〜東京オリパラを終えて思ったこと〜|世界スポーツ見聞録 vol.32

ピンバッジ
パラリンピック時、選手村で各国からやってきたアスリートたちと交換したピンバッジ。国際的な大会ではよくある習慣で、交流の場になっている。

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、スポーツの10年後を決める「東京オリンピックの体験からスポーツの美しさと残酷さ」について。

モヤモヤを抱えて観たオリ・パラ。

東京オリンピックそしてパラリンピックが終わった。コロナ禍もあって、もう随分前から本当に多面的な議論がわき起こり、自分が出場したわけでもないくせに、なんだかとても疲弊したように思う。頭の中がいつも葛藤に揺れていた。今もなお、課題は課題のまま、政治や利権格差の問題、あるいはオリンピックそれ自体の意義まで問われ続け、明確な答えは見つかっていない。

ここでそれらを考察するつもりはないし、果たしてこの巨大なイベントをやって良かったか否かの議論は他に任せるとして、とにかくスポーツに関わるすべての立場……やる人、観る人、支える人が「スポーツとは何か」というそもそもの原点を多かれ少なかれ、考えざるを得なかったのは間違いないだろうと思う。

心にモヤモヤを抱えたまま、テレビやインターネットを通じて可能な限り観戦した。様々なドラマが生まれ、地元開催だからかメダルの獲得もたくさんあって、試合だけを考えれば、とても楽しむことができた。そんな中、静かに、そして最も強烈に印象的だったのは、オリンピックの陸上男子400メートルリレーだった。

記憶に残っている方も多いと思う。100メートルでは10秒を切るタイムを持つメンバーが揃い、前回のリオ五輪では銀メダルを獲得したこともあって、日本チームの金メダルもあるか、と期待されていた。しかし今回は予選を突破したものの、決勝に進んだチームのうちタイムは最も遅かった。

そして翌日の決勝の舞台。“攻める”プランに日本チームは変更した。第一走者の多田修平選手が勢い良く飛び出し、これ以上にないくらい素晴らしいスタートを切り、続いて第二走者の山縣亮太選手も爆発的なスピードで加速する。しかし、彼らの好走とは裏腹に、規定の範囲内でバトンが渡らず失格になってしまった。

東京五輪・男子400メートルリレー決勝
写真:長田洋平/アフロスポーツ

予選とは異なり、より好タイムを目指すために第二走者がスタートを切るタイミングを早くしたことも一因だっただろう。大外のレーンという条件や、あるいは各選手のスピードが想定とは違った等、これまた議論を呼んだが、いずれにせよ、残念ながら日本チームの挑戦はあっけなく幕を下ろした。

とても残酷だった。いや、残酷というよりは、もっと純然たる何かがそこにあった。それが、私が陸上男子400メートルリレーで最も心を動かされた理由だった。

感動は「届ける」ものではない。

メディアでは、選手の背景にある様々を物語化する。5年間の想い、とか、兄妹で、とか、復活、とか。メダルの価値も大きい。前回大会に比べてどのくらい多いとか、連続でメダルを獲得しただとか。それらがスポーツの最大の魅力であるように、讃え、感動を「伝えて」いた。

アスリートたちからも、誰に影響を受けたのか、あるいはメディアで見聞きするからだろうか、感動を「届けたい」というコメントを多く耳にした。私はそれらに少なくない違和感を持って、心の中で抵抗しながら試合を観ていた。

多田選手が必死に伸ばした右腕を思い出す。バトンが届きそうで届かない、集慮に駆られる時間は永遠のように流れ、音が脳裏から飛んだ。山縣選手のキレのある身体が躍動していた。バトンを必死に受け取ろうという意志を持った左腕の無駄のない筋肉はとても美しかった。バトンを渡さねばならないテイクオーバーゾーンを超え、しばらくしてうなだれた多田選手。どこでもない中空に視線を投げたような表情の山縣選手。

すぐには理解できない感情のようなものが、私の全身を疾走していた。

彼らの想いや積み上げた努力が結果に結実はせず、メディアが言うような物語など当てはめる余地のないある種の残酷な状況に、私はスポーツの純然たる美しさを見たのだと思う。そして感動は伝えられるものでも、届けられるものでもなく、身体の内側にある、心のずっと奥の方が自ら震えてしまうものだということを改めて思い知った。

不確実な神の領域。

脳科学者の茂木健一郎氏がYouTubeで「神の領域に近づいた」と表現していたけれど、まさにそれだと考えている。スポーツのある領域には、人の理解を超えた、もっと身体的な、動物的な、あるいは宇宙的な何かがある。ゾーンと呼ばれる状態がそれかもしれないし、その領域を目指すアスリートだからこそ見える景色があり、そこに心が動く。

メディアが作り上げる物語は到底及ばない、不確実な世界だ。仕事で選手村に何度か通ったのだが、そこには何千ものトップアスリートが世界中から、美しくも不確実な戦いの舞台に集っていたのは、感慨深いものがあった。

一方で、だからスポーツはとても残酷になり得る。アスリートの努力がどれだけ壮絶でも、必ずしも報われるわけではない。例えば山縣選手は、幾度も怪我を乗り越え、常人では考えられないほど自身と向き合い、100メートルの日本新記録を樹立し、この五輪に望んだ。

金メダルを獲得していれば、悲願達成、努力の結晶などと表現されていたのかもしれないが、そうではなかった。しかし、だからこそ、神の領域を目指すアスリートを心の底から応援したいと思う。不確実で、人間の思いではどうにもならない世界で戦う覚悟は、私には想像すらできないことだ。メダルを獲得するか否かに関わらず、ただそこで戦っているだけで、拍手を送りたい。

子供たちとどう向き合うべきか。

今、日本でたくさんの子供たちと接する機会をもらっている。スポーツを通じて、競技のスキルを上げるだけでなく、人として成長できる場所を作りたい。そう思って、海外で得た知見を役立てながら、総合的なトレーニングのプログラムを開発しているところだ。

そんな中、レベルの高い選手にも多く出会い、少なくない彼らはプロ選手として将来は活躍したい、と話す。夢があって素晴らしい。応援したい。

しかし一方で、プロになること、あるいはトップアスリートを目指すことの厳しさを知ってもらいたい。プロ選手になれたとしても、思うような活躍ができないこともある。怪我のリスクもあれば、人生のキャリアとして考えるとそうそう長続きするものでもない。スポーツは誰でも楽しめる寛容さとポテンシャルを持っているけれど、トップを目指すということは、また別次元のことを考える必要がある。でも、だからといって、ネガティブにならずスポーツに取り組む彼らを支えていきたい

子供たちに誠実に向き合えるか。大きなリスクを知った上で伴走し、同時に別のオプションを用意できるか。とても難しい。難しいけれど、間違いなく必要なことなのだと、オリンピック・パラリンピックが終わった今、先を見据えた長期的な視点でスポーツについて改めて考えている。巨大なイベントの終焉は、スポーツにとって新しい時代の始まりでもあるはずだ。

田丸尚稔

たまる・なおとし/ 1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。現在は日本に帰国し、スポーツ教育の新しい事業に取り組む。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。

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