「自分はもうダメだと思った経験も、練習に打ち込んで力に変えたい」競泳・長谷川涼香
高校2年生のときにオリンピック代表に選ばれた彼女は4年間という大スランプを乗り越え、見事、復活を遂げた。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.806〈2021年3月11日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.806・2021年3月11日発売
淡々と繰り返す日々が築き上げるもの。
東京・碑文谷には日本大学水泳部のプールが2つある。ひとつは屋内の25mプール。もうひとつが、屋外の50mだ。水泳部員がメインで使っているのが、50mのプール。夏はもちろん、冬もここで練習に励んでいる。
というのも、このプールはボイラーの湯を循環させ、寒い時期でも27~28度の水温を保つことができるのだ。冬でもプールの中に入ってしまえば寒くないのだろうが、プールサイドで上着を脱いで、スイムウェアになるときは、たまらなく寒いはずだ。また、学生であるから、授業がある。そのため、水泳部の練習は朝6時から2時間。そして授業終了後の2時間となる。
つまり、冬なら夜が明ける前から練習が始まり、授業の後は日が暮れてから泳ぐことも多い。もちろん、ナイター設備は整っている。が、まだ暗くて寒い早朝に、“えいやっ”と起きて、プールサイドで防寒具を脱ぎ、ドボンとプールに飛び込むことを、毎日続けるというのは簡単ではないだろう。
今日はちょっと寒いから、さぼっちゃえという思いに駆られても不思議ではない。長谷川涼香を取材した日も、そんな冬の日であった。「暗いうちから練習、つらくありませんか?」と尋ねると、彼女は満面の笑みで、こう答えた。
「朝は、4時40分起きなんです。軽く補食を摂って寮を出て、30分ぐらい屋内で補強運動をして外のプールに入ります。大変といえば、大変なんですけど、自分的には何というか6時に起きるよりもいいかも。時間が早すぎて、起きたときに眠たさが残らない感じがします。といっても、寒いと起きづらいのは確かです(笑)。
目覚ましをスヌーズにして、目が覚めたらすぐに電気をつけるようにしています。実はこの早起きにはメリットもあるんですよ。試合のときに6時からプールに入るということはないから、いつもより長く寝られるし、ゆっくりと臨むことができる。余裕が生まれるんですよね」
長谷川の言葉には、なんの気負いもない。毎日、淡々と日々を繰り返しているといった感じなのだ。しかし、これが一番難しいことである。中学や高校では、選手は指導者の管理下で、指示に従うことで成績を伸ばしていく。しかし、大学では自主性が重んじられる。それは、さぼろうと思えばいくらでもさぼれるということだ。現に、大学に進学してから見事に沈んでしまった有望選手は掃いて捨てるほどいる。
しかも、彼女は高校2年生の時にリオデジャネイロ・オリンピックに出場して以来、なんと4年間という長きにわたってスランプに陥っていたのだ。タイムが伸びないどころか、ずっと低迷した状態でいた。それでも腐ることなく、黙々と練習を続け、昨年の8月に100m、200mのバタフライで5年ぶりに自己ベストを更新したのだ。精神力の強さ。もしかしたらこれが長谷川の一番大きな武器なのかもしれない。
オリンピック出場から、まさかの大スランプへ。
長谷川がその才能を開花させ始めたのは、小学校6年生の時。ジュニアオリンピック春季大会の100mバタフライで優勝したのだ。中学校に入学すると、出場する大会のほとんどで優勝。200mでは中学記録を2度更新した。そして、高校2年生の4月に行われたリオ・オリンピックの選考会を兼ねた日本選手権で2位に入り、出場権を手に入れる。
さらに、オリンピック直前の国体では2分6秒00という高校記録を打ち立てる。これが、前年に開催された世界選手権での2位(2分6秒40)を上回るタイムだったため、メダルへの期待も高まっていったのである。しかし、オリンピック本番では2分7秒33と振るわず、準決勝敗退となってしまう。そして、ここから大スランプが始まるのだ。
「リオの翌年の日本選手権では、2分6秒29で優勝できたのですが、そこでピタッと終わりましたね」
とくに2018年シーズンは酷かった。大会でも2分8秒台がやっと。原因のひとつはフォームを変えたことだった。リオまでの長谷川はストローク、つまり腕の搔きだけで泳いでいたといっていい。キックは動きに合わせるだけ。足で推進力を得ようとは思っていなかったのだ。
「ただ、それでは世界と戦うためのスピードアップは難しいんです。最初の100mのタイムを上げることが、200mの記録に繫がってくる。だから、キックも打とうと考えたんです。でも、タイミングなどが難しく、フォームを崩してしまった。世界水泳でも2分8秒台しか出なくて、そのときは絶望感というか、自分はもうダメだと思いましたね」
この状況で、あらためて長谷川が頼ったのが、父・滋さんであった。3歳で水泳を始めた彼女を小学校まで指導した父に、再び指導を仰ごうと考えたのだ。ここから、親子マンツーマンの練習が始まる。
「父が練習メニューを作ってくれるのですが、マンツーマンだからその日の調子によってメニューを変更することもできる。自分が思っていることを言えますが、つきっきりですから、キツイですよ。やめさせてくれない。疲れて沈みそうになっても“あと2本!”とか(笑)。それでも、まめに励ましてくれるので、それが精神的な支えになっているし、練習の原動力にもなっています」
プールサイドで練習の一部始終を見たが、ハードという一言に尽きる。たとえば100mのバタフライを1分5秒台で10本。ラップタイムを揃えることで、スピードの強化だけでなく、疲労が蓄積したなかでの持久力を養うことができる。この練習をするようになって、あるとき自己新までは出せないが、タイムが安定するようになり、これがモチベーションを高める格好の材料となっていった。
そして、20年の8月に行われた東京都特別大会で、100mは57秒49(これは高校記録を出して以来の自己新)、200mは2分5秒62で優勝を果たしたのだ。長谷川自身、初の2分5秒台で、これより1年前の19年に開催された世界選手権の優勝タイムを上回るものだった。長いトンネルをようやく抜け、復活を果たしたのである。
陸でできないことは、水中でもできない。
現在、長谷川は主に前述の屋外プールで練習を行っている。
「2時間で5000~6000mを泳ぎます。父に指導してもらうのは月曜日と木曜日の午後練習の週2回で、あとは男子選手に交じって練習しています。今は距離を泳ぐことに重点を置いています。たとえば、メインの練習では100mを1分30秒のサークルで、10本回すという感じでやっていますね」
これは、ある種のインターバルトレーニングであり、1本当たりにかける時間をサークルという。この例では1分30秒なので、選手が1分15秒で100mを泳げば、15秒が休憩時間となり、リスタートしていくのである。水泳ではごく一般的な練習法で、サークルを短くすれば休憩が短くなり、効率よく運動強度を上げていくことができる。こうした練習に、週2回のウェイトトレーニングと水泳前の補強運動が加わる。
「ベンチプレス、ラットプルダウン、スクワットで、腕と胸、背中、脚を重点的に鍛えていますね。水泳では重要ですから。補強は水泳の練習前に刺激を入れるのが目的。とくにフッキンは、飽きないようにいろんな種類をやっています。接骨院に通っていて、そこの先生に教えてもらったり、ここ3年ほどオーストラリアに遠征していて、そこで習ったメニューを取り入れたり。自分なりに工夫しています。
補強の仕上げはチューブを使った、ストロークのフォーム作りですね。これは技術を高めるために必要不可欠です。陸でできないことは水中でもできないといわれていて、まず陸上でフォームを固めることが重要なんです」
さて、東京オリンピックは20年の日本代表選考会で出場者が決まるはずだった。ところが新型コロナの影響で中止になり、今年4月に改めて選考会を開催することとなった。「去年の4月では、まだ2分7秒台がやっとだったので、私にとってこの1年間の違いは大きい」と、長谷川は言う。これからどのように選手としての道を進むのだろうか。
「昔からずっと、目の前の目標を一段ずつ確実に乗り越えてきました。だから、これからも、それを続けていきたいです。4年間自己ベストが出なかったときは、さすがにダメだなと思いましたけど(笑)。父は試合で記録を出したいなら、練習はどの程度のタイムでやらなくてはならないか明確に示してくれる。そのタイムをクリアすることが、今自分がやるべきことだと考えています。
とりあえず、2分5秒台はコンスタントに出せるようにしたい。そうすれば、オリンピックでも世界水泳でもメダルを狙えますからね。それと、過去に中学記録、高校記録を出したので学生記録も出したいと思って、この前調べたんですよ。そしたら学生記録が日本記録だった。星奈津美さんの2分4秒69。できれば私が、それを今年中に更新したいです」