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「プレッシャーを感じる状況、実はとても好きなんです」フェンシング選手・ストリーツ海飛

ストリーツ海飛/1994生まれ。175cm、75kg、体脂肪率9%。日本で生まれ、7歳のときに渡米。8歳でフェンシングを始め、9歳のときに10歳以下の部の全米チャンピオン、12歳で全米2位、15歳でアメリカ代表として世界大会で3位、16歳で2位になる。日本国籍を選択して、2015年から全日本選手権に出場。17年、19年に優勝を果たす。

日本に生まれてアメリカで育ち、剣に憧れてフェンシングの実力をつけた。いま、日本代表としてストリーツ海飛は東京オリンピックに向けてまっすぐ進んでいる。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.798〈2020年10月22日発売号〉より全文掲載)

昨年11月に行われたフェンシング全日本選手権は、これまでの全日本とあらゆることが異なっていた。その大会の男子サーブルで2度目の優勝を果たした選手がストリーツ海飛だ。

その日、MCが観客を盛り上げ、光と音に包まれて選手が登場し、戦いが繰り広げられる。選手たちの剣の軌跡が緑と赤の線で大型ビジョンに再現され、どのようにポイントを得たのか観客にすぐわかるようになっていた。

フェンシングは動きが速く、なぜポイントになったのか一般の観客には把握しにくい。それを、はっきりと可視化していた。

ストリーツ海飛

この、エンタテインメント性のある大会設備を発案したのが、北京オリンピックで日本人として初の銀メダルを獲得したフェンシング協会会長・太田雄貴氏。フェンシング人気を高めたいという思いを積み上げた結果だった。選手にとっては驚きだったろう。なにせ、3000人以上も観客が集まった。過去の全日本では考えられない。海飛もこう語った。

「通常の試合会場とはまったく雰囲気が違いました。その雰囲気に飲み込まれたらダメだと思ったので、相手のこと、ピストの中のことだけ考えて集中しました。それが、優勝に繫がったのだと思います。試合がすべて終わって会場を見渡したときには、すごいなぁと思いましたね。

フェンシングはルールが難しくて、動きがとても速いので、見ている人にはわかりにくい。ショーアップして解説を加えれば、大勢の人が会場で楽しんでくれるし、選手もそれでうれしくなる。観客がたくさんいて、プレッシャーを感じるような状態が、実は私とても好きなんです」

今年も9月に大会が催されたが、新型コロナによって無観客試合となった。だからというわけではないだろうが、海飛は連覇を逃してしまった。それでも五輪日本代表の有力候補であることに変わりはない。

ストリーツ海飛

さて、サーブルである。フェンシングには、他にもエペフルーレという種目があるが、これらは「突き」だけで勝敗を決する。ところが、サーブルには「斬り(カット)」があるため、よりダイナミックな試合展開になる。攻撃してポイントを挙げることができる有効面は、腕、頭を含む上半身だ。下半身への攻撃でポイントを得失することがないため、脚さばきが大胆になり、これがスピーディな動きに繫がってくる。

「サーブルの試合中は、ずっとスプリント競技をやっている感じでしょうか。フルーレだとジョギングペースになることもあるんですが。およそ10分の試合中、ひたすらダッシュ、ダッシュ、ダッシュの連続です。

例えば全64人の予選から始まって、決勝まで6試合やるとすると、全部で1時間ぐらいダッシュの感覚で戦うことになる。加えて試合の合間に外でアップとかも繰り返しますから、トータルで5~6時間ぐらい動きっぱなしですね。水分も5Lは摂りますし、大会が終わった後はいつもクタクタで、もう何にもできません」

一見、舞いのような優雅さの感じられるフェンシングだが、選手たちにとってはハードなスポーツであることがわかってもらえただろう。

いろいろなスポーツを経験してきたのが強み。

アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれた海飛は、7歳のときに横浜からカリフォルニアへと移住した。そして、兄と一緒に始めたのが野球、フットボール、バスケットボール。どれも器用にこなしたのだが、しかし兄にはかなわなかった。

ストリーツ海飛

「それで家族が“海飛だけがやるスポーツを探そう”と言い出して。小さい頃から日本の刀や、ライトセイバーのオモチャで遊ぶのが好きだったし、家族の勧めもあってフェンシングを始めることになったんです」

この競技が彼に合っていたことはすぐに証明される。8歳で始めて、約1年後には10歳以下の部門の全米大会で優勝してしまうのである。

「コーチが私を理解してくれていたんです。フェンシングは一般的に、フルーレから始めます。テクニックを学ぶのに適しているから。ただ、コーチは私の動きを見てすぐサーブルを勧めてくれた。速さがあったのと、アタックの強さに注目したようです。サーブルの動きは私自身にとっても、大変ナチュラルに感じられました。剣に憧れていたから、“斬る”動作も好きだったですし(笑)」

ここからはまさに快進撃という言葉がピッタリだ。12歳以下の部門では全米2位。14歳のときにはポイント数で全米1位となる。15歳ではアメリカ代表として世界大会(ロンドン)で3位に入る。活躍はこの後まだまだ続いていくのだが、本人は自分がどうしてここまで強くなれたかを、冷静に分析して言う。

「ハードに練習するのはもちろん大事です。ただ、私は子供の頃からいろんなスポーツをやっていたことがよかった。ひとつのスポーツだけだと、その競技のためだけの筋肉になってしまう。野球バスケットボールで鍛えた脚力が今も生かされていると思います。

高校時代は朝8時に学校が始まって、15時半から野球の練習を2時間。それが終わってから、フェンシングの練習へ行って2時間。そんなスケジュールで帰宅後、宿題をやっていました」

アメリカで高校、大学に進み、フェンシングでは同世代で何度も全米1位になった。言葉も英語のほうが流暢。というよりネイティブであり、日本語は家庭内だけ。それなのになぜ、日本代表としてオリンピックを目指すようになったのか。

「2008年の北京オリンピックの時期に夏休みで母の実家の鹿児島に帰っていたんです。そこでテレビを見ていたら、太田(雄貴)さんが銀メダルを獲ったことがニュースになっていた。アメリカではフェンシングのことがニュースでめったに流れないので驚きました。それで、オリンピック選手になってメダルを獲ったらかっこいいなと思ったんです」

当時は日米二重国籍でアメリカ代表だった。ただ、かの地では大学を卒業するとフェンシングをやめて仕事に就くのが普通だ。海飛も、大学を卒業した後の進路について迷っていた。そんなとき東京オリンピックの開催が決まった。

ストリーツ海飛

「母はずっと日本選手としてやってほしかったみたいで、それなら新しいスタートを切ろうと決めました。日本国籍を選択しても“日本人じゃなくてアメリカ人だろ”と言われることは想像できていました。そういう声が上がったら、反論するんじゃなくてフェンシングで認めてもらおうと思いました。理屈ではなく強さと自分のフェンシングで話そうと思ったんです」

15年から全日本に出場する。この年は3位、しかし翌年は9位に沈む。アメリカで連勝を続けたのに、なぜか日本では勝てない。

「フィジカルは強いんです。メンタルの問題でしたね。まったく知らない場所で、まったく知らない人の中で試合をしなくてはならないから。審判のジャッジにカリカリすることもあった。それをチェンジすることが大事でした。戦っている選手のことだけを考えて集中すること。このことを1年間かけて頭に叩き込んでいったんです」

そして、17年の全日本で初優勝を果たし、選手として名を馳せるようになっていった。まさしく剣によってみんなと会話を成立させたのだ。

必要以上に筋肉をつけて重くなるのは避けたい。

では現在、海飛が行っている練習、トレーニングはどのようなものか。

「まずフットワークの練習をして、そのあとコーチと技の練習をします。そして、最後にスパーリング。コロナの前は午前と午後に2~3時間ずつやっていました。

さらにフィジカルトレーニングを入れると全部で8時間ぐらいカラダを動かしていましたね。今は1日1回にまとめています。ウェイトトレーニングは好き。昔はバンバン鍛えていましたが、今は無駄な筋肉をつけて重くなりたくない。鍛えるのはまず足腰、肩と腕、それに腹筋。腹筋はカラダのバランスをとって、すばやく動くためには絶対に強化したい。

通常は午前中練習をやって、そこで使えていなかったと思った筋肉を昼のウェイトトレーニングでカバーして、続けて午後の練習に入る感じです。ほとんどの選手は、午前と午後の練習の間は休憩するんですが、人と同じことをやっていても勝てないですからね」

ストリーツ海飛

日本代表としてオリンピックで戦いたいと強く願う海飛。予定通りなら舞台本番まで、もう1年を切った。今の心境はどのようなものであろう。

「まだまだ強くなれると自分でわかっているんです。毎日、練習するときテーマを持って取り組んでいます。テーマがないと練習の意味がない。今日できたことも、1週間後にできなくなることもありますからね。練習でやれなかったことは、試合では絶対にできない。

だから練習テーマが重要なんです。相手に勝つことだけを考えていては、自分の悪い癖や、あるいは自分のいい部分を理解できない。一つひとつ考えながらやっていけば、もっと高みを目指すことができると思っています。

ただ、オリンピックではメダルというより、“SHOCK THE WORLD”……世界がびっくりするようなパフォーマンスを見せたい。初戦で世界ランキング1位の選手と当たったら運が悪いと思うんでしょうが、私はうれしい。強い選手と戦うプレッシャーを乗り越えてみせます」

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.798・2020年10月22日発売

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