大学スポーツでも、差別的態度は否定されていた。
昨今の“Black Lives Matter”という大きなうねりの中で、米国のスポーツについて考えていた。歴史的な背景や、差別等に関する構造的な問題・データなど詳細は他稿に譲るとして、今回は個人的な米国での体験と、そこから思いを巡らせた、今後の仕事の在り方について書いてみたい。
フロリダ州立大学があるタラハシーという街に移り住んだのが2014年8月。大学院で学んだのはスポーツマネジメントだ。プロスポーツや大学スポーツを主な舞台として、日本とは違う規模の莫大なお金が動き、ファンを巻き込み、人々の生活に浸透するスポーツの経営、仕組みについて、さまざまな側面から勉強するものだった。
クラスの中は活気に溢れていて、米国はもちろん、中南米やアジア、欧州、それから中東からやってきた生徒もたくさんいた。人種や性別、年齢など、とにかく多様な環境に、「自由な国、アメリカ!」と、必要以上に興奮していた。授業の中でも、人種や性別などにおいて、さまざまな差別的態度を否定し、平等な機会が与えられる重要性が説かれたのはとても印象的だった。
法律の授業はもちろん、日本とは大きく異なる規模を誇る大学スポーツを理解するクラスでも、差別に対するアンチテーゼはことさら強調された。実際に母校の状況を見ると、人気がある=お金になる競技がアメフトだからといって、男子生徒ばかり学生アスリートとして優遇するわけにはいかない。タイトル・ナイン(公的な高等教育機関での性別による差別の禁止、男女の機会均等を定めた法律の通称)を基に、バレーボールやサッカーは女子部だけにすることで学校全体のアスリートの男女比をバランス良くする施策が取られたりしていた。
法律が整備されても、差別はなくならない?
マーケティングを学ぶ授業でも、人種問題は大きなテーマの一つだった。たとえば1996年、当時20歳だったタイガー・ウッズを起用してナイキ社が展開した“Hello World”という広告キャンペーンの映像では、彼が発した「アメリカには、肌の色を理由に、まだ僕がプレーできないゴルフコースがある」という言葉が引用され、新しい時代に登場した多様なバックグラウンドを持つアイコンの意義を議論した。
大学院で多様な生徒たちと学ぶ環境は、すでに差別の時代を乗り越えた、自由で平等な米国だと私の目には映ったし、日本よりも開かれたスポーツの世界がキラキラ輝いているように思えた。
しかし、ある授業の中でグループワークをしていた際に黒人女性のクラスメートが洩らした言葉で、安易に考えていた自分を反省することになった。
「法律でどれだけ整備されたとしても、感覚的には差別が完全になくなったとは思えない。インターンの機会だって、現実的には黒人で女性の私には不利になるから」
在学中、就職するための経験を積むには、インターンの機会を得ることがとても大切になる。そのチャンスをものにできるのか、そして望むスポーツ企業に職を見つけられるのか、卒業を1年後に控えた彼女はとても悩んでいるようだった。
「差別の問題を勉強するのは、歴史を学ぶだけじゃなくて、今も課題だということだと思う。平等の必要性や、女性の権利を法律で強く規定するのは、そうしないと不平等になるから。本当に平等な世界なら、そこまで強調する必要もないでしょう?」
“All Lives Matter”という主張が孕む、ある種の欺瞞。
注意深く、周囲を見渡してみた。クラスにいる多様な生徒たちは、教室を離れてもツルむのは同じ人種同士が多かった。黒人のフットボール選手が問題を起こした際は、「やっぱりね」と冷ややかに批判する学生もいた。問題は過去のものではなく、法律や時代の空気によって蓋をされたまま、今も地中で燻り、時に炎を上げるのだ。
“Black Lives Matter”に対して、“All Lives Matter”という主張が、ある種の欺瞞だと思えるのは、そういうことなのだと思う。黒人に限らず、すべての命や生活が大事であること。それは正しい。
しかし、その正しさは、現時点ではキレイゴトでしかないくらい、差別という幾重にもなった負の歴史は、法律で同等の地位や機会を与えても、感情的にも、社会の構造としても、社会の中に今も続いている。本当の本当に、差別が解決されるのは、クラスメートが語ったように、平等の大切さすらも語る必要がなくなる時なのかもしれない。
仕事の在り方として、社会的な課題を解決することの重要性が説かれて久しい。課題設定の仕方については、10年前に発行されて今も注目され続けるベストセラー『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)を未読の方は目を通すのをオススメするが、ともあれ、課題解決を目指すのが仕事の在り方なら、いずれ課題が解決され、仕事自体なくなることが理想なのだと、そんなことも思ったりした。
自分が取り組む事業も、まさにスポーツ教育にある社会課題を解決することが第一義だとすれば、いずれいらない存在になることを目指すのだと、切ないような寂しいような気分になった。
安定的に、存在感を増すことが利益を生み続けるビジネスの理想のような気もするが、しかし新しい時代への転換なのだとポジティブに考えたいところだ。
田丸尚稔(たまる・なおとし)/1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。