「芸事に終わりはない」。志村けんさんが教えてくれた“やり遂げる”ということ
突然の訃報。これから5年、10年と“志村けんの笑い”を謳歌できると思っていた。大きな喪失感のなかにあっても、僕らは“今できること”に向き合うしかない。
取材・文/山口淳(本誌) 撮影/田附勝
初出『Tarzan』No.744・2018年6月28日発売

『ターザン』744号の「やり遂げる!」特集で、志村さんが教えてくれたのは“一途に一事に取り組むこと”の尊さだった。約50年にわたり、日本国民を笑わせ続けた氏への敬愛と哀悼の意を込めて、ここにインタビュー全文を再掲載する。
※インタビュー中の年代や舞台情報などは、掲載当時(2018年6月28日発売)のものです。
「マンネリというのはやり遂げた証し。簡単にはできない」
我々が待っているのは、約45年間にわたり、日本国民を笑わせ続ける男。これから5年、10年先も変わらず笑わせ続けるだろう男。緊張するなというのは所詮、無理な話だ。時代時代の“志村けん”を頭の中で反芻していると、本人がすっと目の前に現れた。存在を誇示することもなく、かといって気配を消すということでもない。志村けんさんは、場の空気を乱さぬ静けさをまとってスタジオに足を踏み入れた。
ただし、カメラ前に立つと、瞬時にして“あの志村けん”になる。「アイ〜ン」が飛び出せば、一同、感嘆するしかない。100人いれば、100人の思い出が投影されるだろう“顔”は、まさに“継続力”の象徴だ。もちろん、現在進行形の継続力。もうすぐ志村さんは“13回目の夏”を迎える。7月〜8月、舞台『志村魂 第13回公演』で大阪、東京、名古屋を回り、全24公演を行う。

「50歳になったら舞台をやりたい、やろうと。ただ、いろんな仕事の関係で叶わなくて、55歳のときにやっと実現すべく動き出せた。構成は自分なりに前から固まっていました。1幕目の長尺コントでは、バカ殿をやる! これはもう即決。なんたって34年くらいやっていますからね」
舞台の原点、それは志村さんが所属するザ・ドリフターズの看板番組にして、テレビ史に残る『8時だョ!全員集合』だ。都内のみならず、全国の市民会館などを巡っての毎週土曜日の公開生放送。大掛かりなセットを組んでの前半のコントは番組の一大名物だった。前半が終わると、ゲストの歌や早口言葉ブームを生み出した少年少女合唱隊を挟み、後半のショートコントへと続く。
「『志村魂』の構成も『全員集合』と基本は同じ。バカ殿をやって、ショートコントをいくつか。自分の三味線の独奏を入れて一旦切り替えて、最後に真面目なお芝居を。自分にはこの流れしかないんです」
『全員集合』といえば、一見、ドリフのメンバーが自由に暴れ回っていた印象が強いが、練った台本を元にしっかり稽古したうえでの緻密な笑いだった。アドリブに見えるのは、まさに“プロの芸”のなせる業。
「あくまで“アドリブ風”ですよ。『志村魂』でも観客の反応などを受けて日々微妙に変えてはいますけど、そこは事前に演者間でしっかり確認を取ってやる。その場の瞬発力で笑いを取るようなことはない。舞台歴は長いんでね、ウケ方は知っているつもり。ずーっと大爆笑なんて続くわけがない。これはこのくらい、次はこれくらいだなって一応、全部計算はしています」


10割打者にはなれっこない。そこも含めて、笑いの機微が腑に落ちたのは20代後半の頃だったとか。
「24歳でドリフのメンバーになって、『全員集合』に出るようになったけど、最初はまったくウケなかった。自分のやることなすこと、お客さんがくすりとも笑わないんです。自分はこんなに頑張っているのになぜだと悩んでいたら、ある日、はたと気付きました。ああ、お客さんに一生懸命さを見せているようじゃダメなんだと。舞台上でいかに遊んでいるか、楽しくやっているか。そこを感じさせないと。台本があって、しっかり稽古するんだけど、その“痕跡”が周りに漏れ伝わるようじゃプロ失格。あまりにも楽しそうだから、これはアドリブに違いないって思わせたら本物。即興がハマったときよりも、そのほうが断然気持ちいい」
志村けんを語るうえで欠かせないキャラクター、バカ殿。あの太眉と白塗りの顔は強烈過ぎて一度見たら忘れられない。2006年の『志村魂』の立ち上げ時、30年以上演じ続けた“分身”のような存在を、迷わずメインコントの演目に据えた。
「一応、代表作ですから。これを見せないと始まらないかな。お客さんにとって“それそれ!” “待ってました!”というのはすごく大切。バカ殿が出てくると、わかっていても笑っちゃう。実は、“ベタな笑い”のほうがお客さんにとっては気持ちよかったりするんです。“ほら、思った通りになったよ”って、ドヤ顔で語れたりすると嬉しくなるでしょ。6割くらいベタで、残り4割くらいはサッと足元をすくうような笑いがいい。“そう来たか〜”ってついつい笑っちゃう。最終的にはお客さんに気持ちよく帰ってもらいたい。それが僕の変わらぬ主義です」
笑いはベタなほうがいい。志村さんが言うからこそ説得力がある。
「今の笑いは逆に逆に行こうとするけど、そもそもお客さんが気付かないところばかり狙っているんじゃないかと。それじゃ、意味がない。テンポが早ければ、それがすべて新しいとも、面白いともかぎらない。まあ、ベタな笑いのほうが、腕がないとできないんですけどね」
繰り返し見ても笑えるというのは、“強度”の証明でもある。バカ殿を筆頭に、変なおじさん、ひとみばあさんと、志村さんの演じるキャラクターはとにかく明確で、強い。長い時間演じられ続け、今や“お約束の存在”になっている。
「とにかくキャラクターを大切にすること。徹底的に好きになること。そうすれば、ひとみばあさんはこういう喋り方をする、こんなことはしない、というのが自然とわかるようになるから。キャラクターが成長するし、厚みも出てくるんです。よく“新キャラは?”なんて言われるけど、他の連中がこれだけのキャラクターを持っているかって。次から次へと安易に新規を出すだけでは意味がない。生み出したキャラを大事にするほうがよっぽど大変なんだと。マンネリでいいと思っているんです。むしろ、マンネリこそ素晴らしいと声を大にして言いたい」
志村ってバカなんだ。それは最高の褒め言葉。
ネガティブな言葉とされがちな “マンネリ”という言葉を全面的に肯定。少し前のめりになりながら、志村さんはその真意を語り始めた。
「まず、毎回新しくて実のあることをやるのは無理に決まっている。とにかく新しいことをやるんだってなっても、それが新しいのかだんだんわからなくもなってくる。楽しい、面白いは確実にわかるけど。ならば、そこを追求して笑いを作っていかないと。今は、マンネリにさえならないで投げ出されるほうが多い。テレビ番組だと、マンネリになりたくても、その前に打ち切られたりすることもある。ずっと続けることで上手くなるのに、なんでやめるのって。マンネリって、やり遂げた証しでもあるんです。音楽で言えば、スタンダードナンバー。流行に左右されない確固たるものって、やっぱりいいなと思う。まあ、自分がひとつのことが完成したと確信できるまで、他になかなか手を出せない不器用な人間だということもあるのかもしれないけど。ただ、同じキャラを演じることに飽きることはない。もっともっと“この人間”は面白くなる。その想いだけです」

志村さんが長く演じるキャラクターには一貫性がある。それは“チャーミングなバカ”と言ったところか。
「子供に“志村ってバカなんだよ”って言われることは最高の褒め言葉。“本物”だと信じられているわけだから。初期の『バカ殿』で家老を演じた東八郎さんから“バカと思われるのが当たり前。それだけうまく演じているってこと。コメディアンは自分を利口に見せたいなんて考えたらダメだよ”って言われて、まさにその通りだなと。コントを見た人に、志村はバカだと思わせたとしたら、それだけ芝居が通じているってことですからね」
“芝居”に少し力を込めたのは、コント職人としての矜持だろう。柄本明や故・太地喜和子ら舞台人たちが共演を望むのは、志村さんの“芝居”に惹かれてのことに違いない。
「酔っ払いのコントで“あー、酔っ払っちゃった〜”って言ったらダメ。千鳥足や吐きそうで吐かない動きで伝えないと。柄本さんが“やっぱりコントは芝居だなぁ”って必ず言うんですよ。長い芝居を凝縮したものがコントだからすごく難しいし、やり甲斐がある」
芝居の土台を支えるのは、綿密なキャラクター設定に基づく、真実味のある動き。言葉よりも動きが際立つ。それも志村さんの笑いの要諦だ。
「柄本さんが“志村さんのコントに新しいも古いもない。いつ見ても面白いのだから”と言ってくれたのは、小手先の言葉ではなく、動きの笑いを含めて評価してくれてのこと。年齢とともに動き続けるのはしんどくなるけど、緩急で一瞬の速さを表現できる。自分なりの笑いをまだまだ開拓できる余地があるんです」
これからも志村さんは“笑いの旅路”を精力的に歩み続ける。『志村魂』の合間には金沢、仙台、新潟を回る舞台『志村けん笑』も開催。
「『全員集合』をやっている頃、合間に地方営業があって。行った先々で、みなさんがすごく喜んでくれた。本当にいい笑顔でね。老若男女が一緒に笑える舞台が理想で、そこにもっと近づきたい。でも、一生100点は取れないでしょうね。芸事に終わりはないですから」
