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陸上選手・小池祐貴「自分が全盛期になったとき、一発メダルを狙いに行きたい」

昨年のアジア大会の200mで優勝、今年は100mで9秒台をマークした。自己記録を次々塗り替える彼は、夢に向かって生活を陸上に捧げている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.772より全文掲載)

日本人3人目の100m9秒台。

2019年7月に行われたIAAFダイヤモンドリーグ・ロンドングランプリ男子100m。

ここで日本人としては3人目の9秒台、9秒98を記録したのが、小池祐貴だ。1998年に伊東浩司が10秒フラットを出し、19年後にやっと桐生祥秀が10秒の壁を越えた。そこからたった2年の間に日本の短距離界の姿はガラリと変わった。

ただ、小池を一躍有名にしたのは、前年に開催されたアジア大会であろう。200mで20秒23という好タイムで優勝を果たしているのだ。

小池祐貴
小池祐貴/1995年生まれ。173cm、75kg。北海道の立命館慶祥高校で陸上を始める。高校3年のインターハイでは100m、200mともに普通なら優勝できるタイムながら桐生選手に敗れて2位。慶應義塾大学4年時には日本インカレの200mで優勝、初の学生タイトルを獲得。今年、100mで日本2位タイとなる9秒98を記録する。住友電工所属。

大会前の大きな決断。

「去年のシーズン前の冬季練習で故障もなく、これまでにないぐらいしっかり鍛えることができたんです。トレーニングでカラダができて、体重も増えたのですが、走りの感覚もそれにしっかり対応できていた。

だから普通に走れば100mも200mも自己ベストは間違いないと思っていました。代表に入って、アジア大会を戦える手応えもあった。だから、自分の力を発揮すれば、絶対に大丈夫という気持ちで臨みました」

実は、この大会での優勝は小池にとって非常に大きなものだった。これがなければ、もしかしたら9秒台も出せていなかったかもしれない。大会前に彼は、自分の陸上人生を左右するような決断をしていたのだ。

「これからも、社会人としてそこそこの感じで陸上と付き合っていくか。それとも、陸上に専念できる環境のもと、とことん向き合うか。それをアジア大会で決めようと思っていました。

決勝、あのとき走った一本で自分の実力を出せないようでは、自分は陸上に専念できる器の選手ではないと考えていました。器のある選手は、やらなきゃいけないときにやれて、周りの人はそれに対してお金を出してくれていますからね。

だから、あそこで金メダルを獲り、移籍して陸上だけの生活に入ることができたのは、本当に大きかったです」

陸上選手・小池祐貴

自分は何にも変わっていない。

勤めていたANAを退社し、住友電工に移籍した。それが、昨年の12月のことだった。それからは、100m、200mともに自己ベストを伸ばし、今や日本のお家芸と呼べるまでになった、4×100mリレーでも活躍するようになったのである。小池の決断は正しかったのだ。

ただ一つ、ちょっと困った事態にもなっている、と小池は笑顔で話す。

「有名人扱いされちゃうんです。自分は何にも変わっていないのに。メディアに取り上げてもらったことで、街中でもたまに声をかけられるようになった。メディアの力って本当にすごいですね(笑)。

ただ、僕はあまり目立ちたくないし、できれば集団でいても端でひっそりしていたい人間なんです。だから、声をかけられると、最初は戸惑いが大きかった。

でも、今は短距離の話題が多くなって、注目される選手も増えた。それは、陸上界にとってはいいことだし、自分も多少は貢献できるというのは、うれしいことだと思っています」

別にスポーツじゃなくてもよかった。

小池は決断ができる男である。これまでの物事は、自分だけで考えて推し進めてきたといっても過言ではない。その最初の大きな決断が、ずっとやってきた野球との決別。中学校3年生、エースで4番だった。

「野球は好きでやっていました。ただ、中学3年生で引退したときに“あぁ、野球楽しかった”と思っちゃったんです。ココロの中で一区切りついてしまった。それに、野球は仲間とやっているのが楽しいだけで、明確な目標もなかった。だから、何かで成果を出したいとも思いました」

陸上選手・小池祐貴

「べつにスポーツじゃなくてもよかったんですが、高校に入学するまでに夢というか目標を持ちたかった。そのためには、好きなことをやるのではなくて、自分が一番結果を残せるフィールドで勝負することが大切だと考えました。

ただ、身体能力は高かったから、やっぱりスポーツだろうし、それなら運という要素ができるだけ入る余地のない競技がいい。自分の責任がすべて自分に跳ね返ってくるような。それで、最終的に陸上を選択したということなんです」

中学生でここまで考えていたことに驚かされる。そして、決断をしたら即実行に移すことも、小池のすごさである。野球を引退した秋から、入学することになる北海道江別市の立命館慶祥高校で練習を始めたのだ。

桐生選手は「僕を敵とも考えていなかった」。

「ただ、まったくついていけませんでした。まぁ、当たり前なんですけど。で、そこで考えたんです。単純にこの中で一番速くなればいいんでしょって。それで、とにかくやって、1年生の冬が明けるぐらいには1番とは言えないけれど…それぐらいの力がついたんです」

高校に入学したころは、100mをメインにして練習していた。ところが、どうしても勝てない選手がいた。それが、同学年の桐生だった。彼とはライバルだったのですか? そう訊ねると、小池は大きく首を振って、とんでもないですと言った。

陸上選手・小池祐貴

「競争にもなってないです(笑)。向こうは僕を敵とも考えていなかったですから。彼は出て勝つのが当たり前。一人でタイムトライアルをしてるようなもんです。勝負って感覚はなかった。それはウォームアップひとつ見ていてもわかりました。僕はそれに対して、どう認識してもらえるかっていう段階だったんです」

ただ、桐生がいたからこそ、自分の走りも磨いていけた。「勉強させてもらう対象。自分を測る指標として見ていた」と言うのだから。そして、高校3年になったときに、200mをメインにする決断をする。

「桐生くんに勝てないから、というのではないです。200mを専門に取り組んでいる高校生がほとんどいなかった。だったら、みんなが努力しないところで努力すれば、確実に他より強くなれると思った。世界的に見ても、みんな100mが好きなんですよ。で、あきらめたら400mに行く。200mは穴なんです」

そして、桐生に競り勝った。

高校から慶應義塾大学へと続く1年半で200mに取り組んだ小池。世界ジュニア選手権に向けてである。そして、この大会で小池は20秒3台の記録で4位入賞を果たす。3位とは0.03秒差であった。

ただ、小池が出した自己ベストは、本来の世界ジュニアなら、優勝してもおかしくないタイムだった。その年は特別だったのだ。優勝した選手は20秒0台というジュニアではとてつもない記録だったのである。

「自分の目標設定が甘かった」と小池は悔いるが、こればかりは仕方ない。しかし、大学4年で実力を確実に伸ばしていく。シニアの大会でも力を発揮できるようになり、桐生との距離も縮まっていった。そして、アジア大会での優勝。ダイヤモンドリーグで9秒98を出したレースは、桐生に競り勝ったレースでもあった。

休むのも仕事だし、食べるのも仕事。

今、小池は前述したように、陸上一本に的を絞って生活している。コーチには走り幅跳び元日本記録保持者の臼井淳一氏を招聘した。彼と二人三脚の練習である。環境が変わったことで、何か変化はあったのか。

「僕だけのために投資してくれて、人が動いてくれる。臼井さんも、結果を出させるために、わざわざ時間をかけて通ってきてくれる。すべては、僕に結果を出してほしいからです。そういうのを見ていると、本当に責任が重いことだと思いますね」

結果を出すことが重要。そのためには、生活のすべてに競技が関わってくる。練習さえしていれば強くなれる、そんな甘い世界ではない。

陸上選手・小池祐貴

「休むのも仕事だし、食べるのも仕事。金銭的にも時間的にも社会人のときと比べたら余裕があるんです。だから、勝つためにこれをやったほうがいいのか、それともやることでストレスが溜まるのでやらないほうがいいのか。それを、時間をかけて試せるようになった。これは何物にも代えがたいと思っています。

たとえば、睡眠時間を10時間にしてみたりしました。世界のトップ・オブ・トップは睡眠時間12時間ってのがザラなんです。このデータを探すのも時間がかかりました。前ならできませんでしたね。もっとも僕の場合、10時間は少し多かった。逆に疲れてしまう感じがしたんです」

ただ練習のメニューに関してだけは、臼井コーチにすべて任せている。

「これだけは自分で考えないほうがいいという結論に達したんです。僕のカラダの状態を見て、それに合わせたメニューを決めるのは臼井さんで、僕は走りの内容について考えるだけ。完全に分業ですね。

内容というのは感覚的なことで表現しにくいのですが、これにより深く思いを巡らせることができるようになった。臼井さんも一流選手だったので、その感覚についても理解して、いろいろアドバイスをもらえる。今は、理想的な状態にあると考えています」

日本の短距離界は今、これまでにない盛り上がりを見せている。層も厚くなってきた。ただ、世界と戦えるかといえば、4×100m以外では疑問符がつく。小池はこれから先を、どのように考えているのだろう。

「正直、そんなに東京オリンピックは意識してません。もちろんチャンスですが。だから、そこで最善を尽くせればいい。通過点なんです。あまりに気負って、それが閉幕してしまったときに競技人生が終わってしまうというのだけは避けたいですから。

大きな目標としては、世界陸上かオリンピックでメダル争いをすることです。自分が全盛期になったときにこれらの大会で一発狙いに行って、メダルが獲れるか、獲れないか。それを楽しみにしています」

取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文

(初出『Tarzan』No.772・2019年9月12日発売)

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