• プロゴルフ選手・比嘉真美子「1打でも少なく、1つでも上へ。この気持ちを大切にしていきたい」
COLUMN
2019.09.06

プロゴルフ選手・比嘉真美子「1打でも少なく、1つでも上へ。この気持ちを大切にしていきたい」

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始めてすぐに上手くなったゴルフだったが、大きな試練も与えられた。それを乗り越えて成長した彼女が、この先に目指していく場所とは。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.771より全文掲載)

練習と試合は別物。だからこそ優勝はうれしい。

2019年3月に行われた女子ゴルフの開幕戦、ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントで優勝を飾ったのが、比嘉真美子である。地元・沖縄での大会で、2004年の宮里藍さん以来の沖縄勢の制覇をモノにした。

この地はもともとゴルフ熱が高く、幼少のころからゴルファーを志す少年少女も多い。そして試合では、地元出身の選手には温かい声援と拍手が飛ぶ。だから、比嘉にとってもここでの優勝は、これまでのプロ人生でも、最もうれしい出来事のひとつだったろう。

プロゴルフ選手・比嘉真美子(ひが・まいこ)
比嘉真美子(ひが・まいこ)/1993年生まれ。160cm。TOYO TIRE所属。2011、12年と日本ジュニアゴルフ選手権競技で2連覇。12年、日本女子プロゴルフ協会の最終プロテストで合格。13年にはヤマハレディースオープン葛城でツアー初優勝。同年、海外メジャーに初挑戦、全英リコー女子オープンで7位タイ。今年、ダイキンレディスでツアー5勝目を挙げる。

「オフにトレーニングや練習をしてきて、調子がいいというのは感じていたんです。でも、練習と試合は全然違うので、開幕というのはやってみなければわからないというのが正直なところです。プレッシャーがかかって、緊張感を持ってプレイするのと、練習で打って調子がいい悪いというのはまったく別物。その中で優勝できたというのはうれしかったですね。

それに毎年開幕は沖縄で、宮里選手以降15年間も沖縄出身の選手が勝っていなかった。宮里選手は憧れの選手の一人でもありますし、私もずっと後に続きたいと思っていた。ギャラリーの盛り上がり方もすごいので、あの大会で優勝できたのは、本当にうれしかったですね」

もうひとつ、今年の比嘉には特筆すべきことがある。それが6月に行われた、全米女子オープンである。地上波でも放送されていたので、ご覧になった方も多いだろうが、比嘉は2日目まで単独首位で、3日目に3位へ後退したものの、5位タイというメジャー大会ではかなりの好成績を残した。

ただ、この試合ではゴルフの恐ろしさも感じたのではないか。4日連続で戦える肉体と精神の持久力。ずっと一定のレベルを保っていかなければならないこの競技は、見ている側にも異様な緊張を強いる。

「一時期、すごくゴルフを怖いと思ったことがありましたけど、今は怖いと思わなくなっているんです。だって、好きなことを仕事にできる人って、世の中でごく僅かだと思います。ずっとその道に行こうと頑張っていても、そこへ行けるかどうかはわからない。

それに比べて、私は好きなことをやって生活できていることは素晴らしいことだし、ラッキーだなと思って。毎週試合があって、ツアーでプレイできて、たくさんのギャラリーの方が足を運んでくれて、その中で仕事ができる。そういうことが、今は楽しくて幸せだと感じているんです」

彼女の才能を、ゴルフという競技は見逃さなかった。

比嘉は11歳でゴルフを始めている。これは、今のプロゴルファーの中ではかなり遅いほうだろう。小学校低学年、あるいは幼稚園時からという選手はざらにいる。しかも、始めたときは、ゴルフが好きでなかったらしい。ずっとバスケットをやっていて、仲間がいる団体競技のほうが楽しかったのである。

ただ、彼女の才能を、ゴルフという競技は見逃さなかった。小学校6年生のときに出場した九州の大会で2オーバーというベストスコアを出してしまうのである。始めてから1年半ほど。巷のアマチュアゴルファーには、まったく信じられないことであろう。

プロゴルフ選手・比嘉真美子(ひが・まいこ)

「たまたま、入賞しちゃったんです。それで、中学校に入るときに、バスケかゴルフかってことになった。私は断然バスケだったんですが、当時教えてもらっていた先生や両親はゴルフ。もう、ほとんどゴリ押しです(笑)。

ちょうどそのとき、宮里選手のルーキーイヤーで盛り上がっていたというのもあった。でも、そのときは、宮里選手みたいになりたいとも思っていなかったし、“ゴルフかぁ~”って感じだったんですね」

ところが、気持ちとは裏腹に実力はどんどん上がっていく。14歳で前述したプロの大会、ダイキンレディスに初出場を果たすと、翌年の同大会で3アンダー12位タイ。ローアマチュア(アマチュアで最も成績がいい選手)を獲得する。高校に入ると、日本ジュニア選手権、日本アマチュア選手権などで次々と優勝し、2012年にはプロテストに一発合格。

凄まじい勢いで階段を駆け上がっていった。そして、翌年のレギュラーツアーでは2勝。比嘉は、要注目選手の一人となった。だが突然、スランプに襲われる。それは、彼女がこれまで経験したことがない、まさに地獄のような出来事だった。

「ゴルフをやめる日が来るのか?」と、自問自答した。

「ティーグラウンドに立つと、カラダが動かなくなる。鼓動も高まってしまう。簡単に言えばイップスです。もともとドロー(右打ちの場合、ショット後まっすぐ飛び、最後に左に曲がる球筋)なのですが、急に逆球(右に曲がる球筋)が増えだした。アレって思ったら、どのクラブでも全然打てなくなってしまったんです」

プロゴルフ選手・比嘉真美子(ひが・まいこ)

イップスは、ショットでの失敗を脳が記憶してしまうことで起きるといわれている。その記憶によって、正しいフォームで打つことができなくなってしまうのだ。治すのは難しく、これで引退を余儀なくされたプロゴルファーもいるのだ。

苦しい日々が続いた。予選にも落ち続けた。「ゴルフをやめる日が来るのか?」と、自問自答したこともあった。食事も喉を通らず、体重も落ちていった。そして、比嘉の家族も同じように苦しみを味わっていた。

「ある日突然、母が沖縄から出てきたんです。びっくりしました。そのころは姉がマネジメントをしてくれていて“真美子がご飯を食べない”と電話をかけたみたいなんです。母は、もうゴルフしなくていいから、とりあえず何か食べてって(笑)。そのとき、私は家族に初めて“イップスかもしれない。辛い”と言うことができたんです。これが大きなきっかけになった。

イップスだと思いたくなかったんです。でも、それは間違いだった。イップスになったことを受け止め、弱い自分を認め、どう克服していくか、そしてどうマネジメントしていくか。そこから始めていこう、そうしないと前に進めないと思うようになったんです」

プロゴルフ選手・比嘉真美子(ひが・まいこ)

14年に調子が狂い始め、15年にはシード権まで失い、どん底にまで落ちた。しかし、比嘉はもがき苦しみながら、徐々にイップスを克服していった。「開き直っていたところもあったんですよ」と、彼女は言いながら笑うが、たった1年後には見事にシード権を奪回するのである。

比嘉は強くなった。そう思わせるエピソードがある。海外へ遠征したときのことだ。試合前になっても彼女の荷物が届かない。利用した航空会社のストライキの日に、たまたま当たってしまったようなのだ。

まわりのスタッフは大慌てである。それはそうだ。選手の手に馴染んだクラブ、足に馴染んだシューズが本番で使えないかもしれないのである。プロにとって、どれだけ大変なことか…。だが、その中でただ一人ケロッとしていたのが本人なのだ。

「騒いだところで、どうにもならないじゃないですか(笑)。たまたまサポートしてもらっているゴルフメーカーのPINGのスタッフがその場にいて、クラブは揃いましたし、最悪中古ショップで買おうかって思っていました。慌ててあたふたするよりも、今、自分にできること、自分のためになることをやることが一番大切だと考えられたんです」

オリンピックに出て、皆に恩返しをしたい。

もちろん、ゴルフはスポーツであり、精神力だけでなく己の肉体も重要である。比嘉はどのようなトレーニングをやっているのであろう。

「筋トレでは、あんまり重いウェイトを持つことはないですね。私がとくに大事にしているのはカラダのバランス。そして、上半身と下半身の連動。それらをスイングのフォームに繫げていくことなんです。だから、ウェイトなどの個別のメニューではなく、動きの中でカラダを強くしていくというのがメインになっています。トレーナーさんも、私が19歳のときから6年以上ついてくれていますから、いいとき悪いときをしっかりと見極めてくれます。

そして、オフシーズンのときには、どういうスイングにしたいか、どういうシーズンにしたいかということを、細かく話し合いながら、メニューを作ってもらっています。今のテーマは、100%の力で飛ばせている飛距離を、70%で飛ばせるようになること。そして、とにかくシンプルなスイングを作っていこうということです」

ゴルフは他の競技よりは、長く現役を続けられるスポーツである。歳とともに体力が低下するのは人間の定めであるが、ゴルフではそれに比例するように技術が伸びていき、選手生命を支えてくれる。黄金世代と言われる若手が台頭しているが、比嘉はまだ26歳、これから先をどのように考えているのであろうか。

「まずは、ごく近い目標があるんですよ。それがオリンピックですね。代表になれるかどうか、厳しい位置ではありますが、可能性はゼロではないので、ギリギリまでがんばりたいです。自分が現役のときにオリンピックが東京であるなんて、すごい確率ですよね。だから、全力で目指したいですし、もし出場できれば、家族や応援してくれる人への恩返しになるんじゃないかと考えてもいるんです。

それから、毎週出ているツアーの試合は常に1打でも少なく、1つでも上にという強い気持ちで臨んで、優勝を目指していきたい。そして30歳になっても、40歳になっても現役でいられるよう、努力していきたいと思っているんです」

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

(初出『Tarzan』No.771・2019年8月29日発売)

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