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全日本選手権の決勝戦をテクニカルフォール勝ちを収めたレスリング選手の乙黒拓斗。試合時間は、33秒。「よく話題になりますが、僕は勝ち方についてべつにこだわっていません。ただ、ダラダラしているレスリングは、自分もやっていてつまらない」と語る。世界選手権では日本人の最年少優勝記録を打ち立てた世界最強の彼の目標は、もちろん東京オリンピックで金メダルを獲ることだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.762より全文掲載)
その日、東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターには、異様な熱気が溢れていた。日本屈指のレスリング選手が一堂に会し、合宿を行っていたのである。
参加したのは全日本チームの選手、学生選抜選手、そして高校生選抜選手。総勢100名を超えた。実に壮観であった。分厚い胸と、女性のウェスト以上はあろうかという腕を持った選手たちが、至る所でスパーリングを行っているのである。
そんななかに、飛び切りのスタイルの若者がいた。8頭身、ファニーフェイス、ガッシリというよりは、まるで陸上短距離選手のようなしなやかな肉体。どうにも、この場にはふさわしくない感じなのだが、侮ることなかれ。この男、現在のレスリング界で最強かもしれないのだ。
彼の名は乙黒拓斗。フリースタイル65kg級の選手だが、2018年の12月に行われた全日本選手権の決勝で、なんと33秒でテクニカルフォール勝ちを収め、初優勝したのである。開始早々に2ポイントを先取すると、場外へ逃れようとする相手を、マットの中央まで引き戻し、両脚をつかんで4連続のローリング。あっさりとケリをつけてしまったのだ。
「相手は先輩だったんですよね」と乙黒は恐縮するのだが、実力的には拮抗していたはずだ。相手も決勝まで淡々とコマを進めてきたのだから。それをここまで圧倒してしまう勢いには、恐ろしいモノがある。
そして、彼にはもう一つ勲章がある。それが2018年10月に行われた世界選手権だ。ここでも見事に優勝を果たしたのだが、日本男子最年少優勝記録を44年ぶりに更新するというオマケつき。さらに65kg級の世界ランキングも1位になった。乙黒自身に昨年を振り返ってもらう。
「成績的に見たら、国内で大きい大会を2つ獲って(全日本選手権と全日本選抜選手権)、海外でも一番大きいのが獲れて、いい年だったんです。でも自分としては、まだまだ直していくところが、たくさんあるなと実感しましたね。
全日本選手権の33秒というのは、よく話題になりますが、僕は勝ち方についてべつにこだわっていません。ただ、ダラダラしているレスリングは、見ている側もつまんないでしょうし、自分もやっていてつまらない。攻める能力があるなら攻める、というスタンスなので、それをあの決勝で出せたことは、よかったとは思っています」
一つ言い忘れていたことがある。前述した世界選手権でも、乙黒は準々決勝までの3試合をテクニカルフォール勝ちしているのだ。攻め味にキレがある選手なのである。
4歳のときにレスリングを始めた。父の正也さんは元選手で、乙黒の兄の圭祐とともにレスリングを教えようと考えたのだ。ちなみに、兄も70kg級の代表として、昨年の世界選手権に出場している。
「近くのクラブに入ったのですが、確か週に1、2回しか練習がなくて、それでは時間が足りないと父が思ったのでしょう。部屋にマットを敷いて、兄と毎日練習するようになりました。
始めたころは、ただ使命感でやっていました。これは一生やっていくのだ、やらなきゃいけないんだ、っていう。でもイヤイヤやっていたわけではないです。楽しかったですからね」
学校から帰ってくると、玄関にレスリングシューズが置かれている。すぐに履き替え、準備運動から始める。練習は長いときは日付をまたいで続くこともあった。正也さんは、懸垂ができるバーとロープ登りができる設備も整えた。部屋の床にラダーを置いてトレーニングもさせた。
「父にはすべての基礎を教えてもらった感じです。構えとかタックルとか組み手とか。あとは運動神経というか、カラダの感覚をつかむようなことまで指導してくれました。ジャンプとか、ロープ登りとか、ランニングですね。
こういう基礎的な練習ってすごく地味なんですけど、これをやったことが、今に繫がった一番大きい部分だと思っているんです」
小さいころの感覚は、今でもハッキリとカラダに入っていて、とっさのときの動きになって表れるという。そして、小学校5年生のときには、兄とともに山梨学院大学レスリング部の練習に参加するようになる。
「父は自分の元から手放したくなかったと思います。ただ、日本のトップコーチに預けたほうがいいと判断したんでしょうね。だから、父には感謝していますし、拒否せず受け入れてくれた山梨学院大学の髙田(裕司)監督、小幡(邦彦)コーチにも同じ気持ちを持っているんです」
部の練習が終わったあと、小幡コーチは乙黒兄弟の練習に1時間以上付き合ってくれた。海外の経験もあるコーチはさまざまなレスリングのやり方や、試合の時々の対処法を教えてくれた。
基礎は父親に仕込まれている。だからコーチの技術も取り入れやすかった。「こんな技があるのか」と驚くことも多かったし、楽しかった。乙黒は技術的な深い部分を、ここで吸収したのである。
小学校を卒業すると、髙田監督の勧めもあり、JOCエリートアカデミーに入校する。これは有望な小中学生を発掘し、オリンピックなどで活躍する選手を育てるための組織で、前述したナショナルトレーニングセンターを拠点にして、学校へ通いながら、トレーニングを行っていくのである。
「同年代の強い選手が入るので、互いに切磋琢磨して強くなっていった感じです。ここ(ナショナルトレーニングセンター)は環境もいいし、食事もいい。しかも、トレーニング場では全日本の選手とかもよく会うんで、そういう人のトレーニング方法や日々の行動の仕方、さらに心構えなんかも見て、覚えていくことができた。これも今に繫がっているんです」
ただ、JOCエリートアカデミーは選ばれた人しか入ることができない狭き門である。ということは、いろいろな大会に出場したときは勝って当然という目で見られる。
「自分が点を取られたり、負けたりすると会場が喜ぶんですよ。だから、メンタル面も鍛えられましたね。勝たなければいけないという状況のなかで勝つという、気持ちの強さも育てられたと思います。
だって、まだ中学生だったころに、負けたら“何してんだ!”って言われるんですよ。そんなに言わなくっても、子供なんだからって(笑)」
当然、コーチも代わった。江藤正基と松永共広の両コーチである。江藤コーチは世界選手権で金メダル、松永コーチは北京オリンピックで銀メダルを獲得している。そして、このコーチが代わったことも、乙黒を強くする一つの要因となったのだ。
「江藤コーチや松永コーチは、どちらかというと守備を重視した軽量級のレスリングをするんですよ。小幡コーチは重量級で圧力が強い。その両方を経験できたのは、よかったです。
僕のレスリングというのは、攻撃も守備もできるようなスタイル。オールラウンダーって言うんですか、全体的に何でもこなしていけるタイプ。今のスタイルができたのはコーチのおかげなんです」
JOCエリートアカデミーでの生活は厳しかった。朝、練習をして学校へ行き、帰ってきたら練習。トータルで1日4時間ほど。休みは週に1回あるが、平日で門限は7時。学校が4時まであるので、たった3時間ではどこへも行けない。海外での活動に備えて英会話、インタビューに対応するための言語技術の授業など。遊ぶ暇はない。ただ、ここで得られたことは本当に多かったろう。
JOCエリートアカデミーは高校3年までである。乙黒は山梨学院大学に入学し、練習拠点を小5から通っていた場所に戻す決意をする。
「ちょっと成長して帰って、また髙田監督と小幡コーチに教えてもらっています。JOCのときより、練習相手は増えました。先輩にも世界で活躍している選手がいっぱいいたので、その人たちと毎日できるというのは、最高の環境なんですね。
レスリング力を上げるという意味では、大学に入ってからのほうが、成果は大きかったかもしれないです。大学に入ると、自由になる時間が多いんですが、遊んでいる暇はないですね。遊んじゃう人もいますが、それでは世界で戦えないし、結果も出せないと思います。誘惑を断って、練習をしたり、ケアをする時間に充てたりするのが、一流に近い選手だと思っています」
これほど競技に邁進している乙黒だが、それゆえの悩みもある。彼の練習での信条は、一つ一つ全力でやる、キツくなってからがスタート、というもの。キツくないうちは準備運動と思っているらしい。つまり、練習量が半端ではないのだ。しかし、肉体を酷使することと、ケガは紙一重なのだ。
「トレーナーに教えてもらったウェイトトレーニングやランニングなどを全部やろうとして、レスリングの練習のときに、すでにカラダがパンパンに張っていることもある。明らかにオーバーワークです。ただ、自覚しているのですが、どうしてもやりすぎちゃう。今でもトレーナーに止められることがありますね」
乙黒は今のところ、東京オリンピックの65kg級で金メダル最有力候補であろう。それを、より確実なモノにするためには、これからをどのようにして過ごしていこうと思っているのか。開催まで1年半を切った。
「6月の全日本選抜(選手権)で勝ってハンガリーで行われる世界選手権の出場権をつかみ、そこで3位以内に入ればオリンピックに出場できます。早く決めてしまって、あとは東京に向けて準備していけたらいいと考えています。
大切なのはケガをしないことですね。どうしてもやりすぎてしまうので(笑)。ケガをしないカラダを作ることも重要になってくるでしょうね。
子供のころから、東京オリンピックには出て当たり前と思ってきたし、そのために今まで(レスリング一本の)生活をしてきた。だから、その舞台で優勝することが一番の目標なんです」
取材・文/鈴木一朗 撮影/中村治