• 「ベンチプレスだけをやってもしかたない」新井千鶴が突き進む柔の道
COLUMN
2019.02.11

「ベンチプレスだけをやってもしかたない」新井千鶴が突き進む柔の道

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新井千鶴(あらい・ちづる)/1993年生まれ。172cm、70kg。6歳で柔道を始め、高校3年生のインターハイの70kg級で優勝する。2013年、世界ジュニアで金メダル。同年と15年にグランドスラム・東京で優勝を果たす。16年、世界選手権5位。17、18年、世界選手権を連覇。その後、開催されたグランドスラム・大阪でも優勝を飾る。三井住友海上所属。

「クラブへ行くと、いきなり大勢のお姉さんたちに囲まれてしまったんです。それがすごく衝撃的で、メチャクチャ怖くて、逃げました(笑)」。柔道世界選手権70kg級で2連覇を果たした新井千鶴の意外なエピソード。だが、それは彼女にとってかけがえのない柔への道だった。光り輝く行き先にあるのは、もちろん東京オリンピックだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.758より全文掲載)

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その日、東京にある三井住友海上女子柔道部の世田谷道場に、金髪の少女の一団がいた。日本最高峰の稽古を受け、技を学ぶために来日した、ルーマニアのジュニア代表であった。

彼女たちの碧い眼がチラリと追う先には、均整のとれた美しい体格の一人の選手がいた。「みんな、新井とやりたがっているんですよ」と、やさしく教えてくれるのは、女子柔道部の柳澤久監督である。日本の女子柔道の黎明期からずっと競技を支え、牽引してきた監督は、これまで数々のオリンピックメダリストを育て上げた。その彼が、目を細めるように見つめているのが、新井千鶴なのである。

彼女は世界選手権の70kg級で、一昨年、昨年と見事2連覇を果たした。同階級では、現在三井住友海上でコーチを務める上野雅恵さん以来15年ぶりの快挙であり、そのことは柔道に高い関心を持つルーマニアでも、広く知られているのであろう。

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新井も道場を駆け回る少女たちの歳のころには、柔道一筋の生活を送っていた。だが、さらに昔に戻ると、子供のころに、ひとつ面白いエピソードがある。それは、彼女が4歳のとき。兄が行っていたクラブを見学しているうちに、自分もどうしてもやりたくなった。それで母親に頼んで入門を果たすが、なんと1日で辞めてしまっているのである。その理由はというと、

「クラブへ行くと、いきなり大勢のお姉さんたちに囲まれてしまったんです。それがすごく衝撃的で、メチャクチャ怖くて、逃げました(笑)」

4歳のころに感じる恐怖というのは、いかばかりであろう。普通なら、二度と足を踏み入れたくないはずだが、新井は6歳のときに、再度クラブの門をくぐった。「先生にずっと誘われていたんです」と新井は話すが、柔道は彼女にとって恐怖を乗り越えてしまうほど、魅力に富んだ競技だったのだろう。70kg級の世界女王は、こうして柔道を始めた。

技がかけられない。完全に心が折れた

中学校までの新井は、とても強いといえる選手ではなかった。当時は44kg級だが、全国中学校柔道大会にも出場は果たせなかった。ただ、強くなりたいという思いはずっと持っていた。当時の彼女は、一緒に稽古する相手もほとんどいないほど、練習環境には恵まれていなかった。そこで、自ら動いて、自分の柔道を作り上げようと考えたのだ。

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「高校で柔道をやっていたクラブの先輩に連絡して、一緒に練習させてほしいとお願いしたんです。そして、いつも母に車で連れていってもらった。そのころは、もっと練習したい、同世代の人の誰よりも強くなりたいとばかり思っていました。そして、自分から行動することと、強い気持ちを持ち続けられたことが、今に繫がっているんだと思います」

その高校とは、埼玉県にある児玉高校。新井は中学2年から毎週末通い、この高校へ進学することになる。年上の先輩たちと練習したことで、新井の中で自信が生まれ始める。

同時に柔道選手としてのカラダもできあがっていった。高校1年生で57kg級、2年で63kg級、そして3年で70kg級と階級が上がった。そして、念願の勝利のときがやってくる。

関東高校柔道大会の70kg級で、オール一本勝ちの優勝を成し遂げるのである。このときの試合ぶりを見ていたのが前述した柳澤監督と上野コーチであった。新井はこの後に行われたインターハイでも優勝して、注目選手の一人となる。

高校卒業後には三井住友海上へと進み、チームの先輩たちと練習することになった。だが、ここで社会人の強さを、まざまざと知ることになるのである。

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「もう、高い壁がありまくりって感じです。中村(美里=北京、リオデジャネイロ・オリンピック銅メダル)さんや、上野姉妹(順恵=ロンドン・オリンピック銅、巴恵=2011グランドスラム・東京金)とか、オリンピックや大きな大会で活躍している選手ばっかりだったので。メチャクチャ強いなぁって、それしか思えませんでした。“お願いします”って言って、パンパーンってやられて“ありがとうございました”で終わり。こっちは何もできない。完全に心が折れましたね。まず(道着を)持たせてもらえないし、何も効かせられないし、そもそも技がかけられない。投げられてばっかりで、自分の柔道をほとんど失ってしまった感じでした。こういうことになる覚悟の上で来ていたのですが…、それでも本当にキツかったですね」

それはそうだ。高校の部活動とは違い、そこには柔道に人生を懸けた猛者ばかりが集まっているのだから。力の差だけではなく、精神的な部分でも学ぶことは多かっただろう。

最初はがむしゃらにやるだけだった。何をどうしよう、と考える余裕もない。毎日を過ごすのが必死。しかし、半年ほどが過ぎ、その年(2012年)の11月に開催された講道館杯で3位に入る。シニアの大会では初めての勲章だ。そして翌年の11月のグランドスラム・東京で優勝を果たすと、一躍、新井の名は広まっていった。ただ、このときの彼女には戸惑いしかなかったようだ。

「注目されることに慣れていなかったんです。自分の実力以上に期待されていることを感じてしまった。まだ、そこまでは行っていないのになって。まぁ、それだけが理由ではないのだけど、何かバランスが崩れてしまって、それ以降、ずっと勝てずに苦しんだ時期が続いたんです」

手に入らなかったオリンピック代表の切符

それでも、新井は少しずつ復調していく。両手でしっかりと組み、内股や大内刈りなどの足技で一本を取る本格的な柔道にますます磨きがかかっていった。そして、2015年のグランドスラム・東京で2年ぶり2度目の優勝を果たし、翌年に開催されるオリンピック代表の有力候補となったのである。

しかし、その切符を手に入れることはできなかった。代表選考を懸けた全日本選抜柔道体重別選手権で、ライバルであった田知本遥に敗れてしまったのである。

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「自分自身にちゃんと向き合えていなかったんですね。周りは行けるとは思っていたんですけど、私は自分にそこまで自信があったかというと、そうじゃなかった。今、思うんですけど、オリンピックに出るためには一年一年の積み上げがすごく大事なんです。でも、あのときはがむしゃらにやっていたら、選考が来ちゃったという感じで、計画がまったくなかった。正直、何もわかってなかったですし、すべてに対して甘かったということです。ただ、目の前にぶら下がっていた代表が取れず、すごくショックで、しばらくは立ち直れなかったですね」

国内の大会では初戦敗退という屈辱を経験し、グランドスラム・東京ではギリギリで代表に選ばれるものの、決勝では若手選手に敗れてしまう。とことん負けたな、と新井は思ったと言う。ただ、このまま他の選手にバトンを渡してもいいのか、これまでやってきたことを無にしても、それで納得できるのかとも思った。

「吹っ切れたんです。とことん負けたから、まだまだ自分で取り組めてない部分をやってみようと思った。それまでは自分にはできないという部分があったんですが、できないじゃなくてできるようにする。挑戦しようと考えるようになったんです」

相手の道着をつかみさえすれば、内股、大内刈り。圧倒的に強い。ライバルたちも、2つ(左右の手で)持ったら、新井は絶対強いと思っていた。その、自分のスタイルを変える。それが、新井が決めた挑戦だった。得意な側だけでなく、左右で技を出せるようにしたり、担ぎ技を習得したり。

この試行錯誤した結果は、すぐに表れた。2017年には欧州に遠征し、2大会で連勝を果たすと、全日本選抜体重別でも初優勝。勢いに乗ったまま、世界選手権で初めて金メダルを獲得するのだ。また、この年は世界ランキング1位にもなっている。そして、これが世界選手権2連覇へと繫がっていったのである。

「連覇が懸かった昨年の大会では、初戦でイギリスの(ジェンマ・)ハウエル選手と当たったんです。この選手には去年5月に行われたグランプリ・フフホトで負けていた。なんか、運命みたいなものを感じました。だから、最初から優勝を狙うというより、一人一人倒していこうと思っていました。優勝できたときはうれしいというよりは、ホッとしたというのが正直なところです」

東京五輪出場の気持ちは誰にも負けないと思う

新井は現在、前述した世田谷道場で毎日汗を流している。ランニング、柔軟から始まり、打ち込み、乱取りなど、日々、厳しい稽古に打ち込んでいる。そして、並行して行っているのが体力作り。

ここには、独特のマシンがある。柳澤監督がとある大学と一緒に考案したこのマシンは、チューブやケーブルをウェイトとして作られているが、道着を着ているのが最大の特徴。実際に道着をつかみ、技をかけることで全身を鍛えていけるのだ。「柔道の筋力は柔道でしか養えない」というのが、監督の考え。

「だって、道着を持って相手を押すとき、胸だけ鍛えるベンチプレスをやってもしかたない。下半身でしっかり支えることで、初めて押せるのだから」と言うのである。

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「柔道の動きに即したものだから、より実戦をイメージして行うことができます。また、神経系のトレーニングとしてもいいように思います」

今や新井は、選手全員に追われる立場。つまり、研究し尽くされる存在だ。来年に迫った東京オリンピックへの彼女の想いはいかに…。

「必ず出場したいという気持ちは誰にも負けないほど持っています。そのためには最後の最後まで、自分の柔道を突き詰めていきたい。それができないと、金メダルは取れないという覚悟もしています。だから、とにかく残っている時間を精一杯柔道に懸けていこうと思っています」


取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
(初出『Tarzan』No.758・2019年2月7日発売)

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