• 「小さいぶん、やらないと追いつかない」西岡良仁、大ケガを乗り越えた先に見ている景色
COLUMN
2019.01.29

「小さいぶん、やらないと追いつかない」西岡良仁、大ケガを乗り越えた先に見ている景色

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子1
西岡良仁(にしおか・よしひと)/1995年生まれ。170㎝、64㎏、体脂肪率10~12%。4歳のとき三重の〈ニックインドアテニスカレッジ〉でテニスを始める。2013年、メキシコでのフューチャーズでプロ大会初優勝。14年、全米オープンに初出場して予選突破。同年9月、上海チャレンジャーでATPチャレンジャーツアー初優勝。昨年9月、ATPワールドツアーの深圳オープンで優勝。

大型選手が多く、パワーで押す戦術が今日のテニス。そんななか170cmのテニスプレーヤー・西岡良仁選手は膝の大ケガを乗り越え、ランキング上位を目指し、孤高の戦いに挑んでいる。2018年9月に行われたATPワールドツアー・深圳オープンでも優勝を飾った西岡選手が、今、期すること。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.757より全文掲載)

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西岡良仁の身長は170cmである。テニスプレイヤーとしては極めて低く、世界ランキングのトップ100を眺めてみても、彼と同じぐらいの身長の選手は、たった1人しかいない。アルゼンチンのディエゴ・シュワルツマンが170cmだ。

日本の解説者が小柄だと言う錦織圭でも178cmである。今、この競技では選手の大型化が進んでいて、強力なサーブとスマッシュで押し勝つ、パワーテニスが主流となっている。しかし、小柄な西岡は同じ戦術は使うことができない。

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子2

武器はフットワークである。どんな場所に打たれても、拾って、拾って、相手がイヤになることを何度も仕掛けて、粘り勝つ。そして、このスタイルに歓喜するのが観客なのだ。彼の諦めない姿勢、どんなボールにでも飛びつくアクロバティックなプレイは、見る人に感動を与える。

2015年には、ATP(男子プロテニス協会)の公式サイトで、彼の背面でのパッシングショットが取り上げられ、その年のチャレンジャーツアーHOT SHOT年間ベスト1に輝いたのが何よりの証拠だ。しかし、と西岡はまず話し始めた。

「そういうテニスだから、時間がかかるんですよね。試合はほとんど2時間を超えてしまうし、3時間以上になることもある。トーナメントの上位に行くためには何試合もこなさなくてはいけないから、とにかく体力が勝負になってくるんです」

タフであることも、彼にとっては技術とともに必要不可欠なのだ。

ところで、昨年の全米オープンを制した大坂なおみは、西岡とよくメールを交換する仲だ。あるとき、“アナタみたいに動きたい”というメールが、大坂から届いたらしい。それに対して西岡の返信は、“キミみたいなサーブを打ちたい”だった。

「なおみちゃんはパワーもあるし、フットワークもいい。そりゃ、負けないですよね」と西岡は笑うが、彼のプレイスタイルは、トッププロが憧れてしまうほど魅力的なのである。

自分が成長できたのは父親のおかげ

そして、そのスタイルを育んだのが、西岡の父・範夫さんが経営する三重県の〈ニックインドアテニスカレッジ〉だった。西岡は、自分が成長できたのは父親のおかげだと振り返る。

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子2

「トップ選手の試合を見て、こうしたほうがいいというアドバイスはしてくれたのですが、打ち方や戦術に関してはほとんど何も言わなかったんです。自由です。僕が、言われたら嫌がる性格というのも知っていたし、基本的には本人の感性にまかせるという育て方をしてくれた。それがありがたかったですね。練習の時間は正味1時間30分。だから、ジュニアの選手のなかでは、全然やってないほうです。ただ、短いぶん集中できた」

「父はほとんど基本だけをやらせていたんだと思う。それが重要だったんです。僕のフットワークがよくなったのは、ランニングをずっとやっていたこともあるんですが、練習中はアウトボール(ラインから外れたボール)でも関係なしにコートに打ち込むということを意識していたからだと思います。自分がミスをしないで、どれだけ相手コートに入れられるかがテーマだった。それが、今に繫がっているんですね」

自分の戦い方を一人で模索していくのは、簡単なことではないだろう。それができたのは、西岡が小さいころからプロになりたいと強く願っていたことが関係しているはずだ。

「4歳でテニスを始めたんですけど、最初はやっぱりテニスより、友達と遊びたいと思う気持ちが強かった。ただ、小学校3年生でプロになると決めてからは、遊びたい気持ちもなくなりました。実は3年生のときに、初めて東海大会に三重代表として出場したんです。12歳以下のカテゴリーに3年という低学年で出場したのが珍しかったし、地元でちょっと騒がれたりもした。それでプロになりたいって考えたんです。でも、もちろん具体的にどうこうでは全然なくて、単純に憧れていただけですが」

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子3

米国ではなかなか認められないもどかしさ

もうひとつ、西岡を語るうえで欠かせない出来事がある。それは、錦織圭も通った、アメリカのIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入学したこと。世界中のジュニアエリートが集まることで有名だ。西岡は2度試験で不合格になるも、3度目でパス。狭き門をくぐった。

アメリカでの生活は大きな刺激になった。同年代の世界トップレベルのジュニア選手と練習したり、試合ができるのだ。日本では長身で手足が長く、強いショットを打ち続けられる選手というのはなかなかいない。西岡は順調に力をつけていった。しかし、ここでは期待される選手にはなれなかった。

「戦ったり、ランキングで比べると実力は自分のほうが上なのに、他の選手のほうが評価は高かったりしました。その選手は華があってプレイも素晴らしい。僕は泥臭くて、地味。ただ、勝つことに対する執着はあって、ここが勝負というときには強かった。でも、そういうのは、なかなか認められないんです。しかも、身長が低い。将来、世界ランキングの150位まで行けないというのが大方のコーチの意見。認めてくれていたのは、わずかに2人でしたね」

快進撃中の痛恨の大ケガ。立ち直った後の快挙

ただ、西岡自身は何の心配もしていなかった。15歳のジュニアのとき、プロの大会に出場して準優勝した。錦織がプロの大会で初優勝したのは16歳。それほど遜色はない。また、フューチャーズ(男子プロのもっとも低いカテゴリーに位置する大会)に出場して、幾度も優勝または準優勝という成績を残す。

18歳でプロ宣言すると、全米オープンに出場、1年目でチャレンジャーツアー(ツアー最高峰のATPワールドツアーの下部ツアー)にも優勝した。世界ランキング100位を切ったのは20歳のとき。錦織に次ぐスピードだった。

そして2016年、西岡は21歳になりランキングも自己最高の58位まで達した。しかし、3月に開催されたマイアミ・マスターズで、彼を悲劇が襲うのである。

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子4

「フォアに振られて、中途半端に左足が出てしまったんです。膝にプチッと切れたような音がして、脚が抜けたような感覚があった。ただ、痛くはなくて15分ぐらい続けたんです。勝てそうだったから。でも、それ以上は動けなくてダメでした」

テニスは見る人にとって、とても華やかなスポーツに映るだろう。しかし、実はプレイヤーは非常に過酷なシーズンを送らなければならない。普通、大会は1週間開催され(グランドスラムは2週間)、終了次第、次の会場へと移動。オフシーズンが少なく、一年間ほとんどこの繰り返しである。

世界ランキングの上位の選手なら、飛行機はファーストクラス、宿泊も最高級ホテルと、リラックスして過ごせるだろう。が、下位の選手はそうはいかない。決して居心地のよいとは言えないホテルと現地の食事。こんななかで戦い続ける。そして、大会でのポイントを稼ぎ、必死にランキングを上げるのだ。

マイアミ・マスターズの前も、西岡は連戦に次ぐ連戦だった。カラダは疲弊しているものの、気持ちは充実しており、戦えばポイントが稼げる状態。ランキングも急上昇していた。だが、これが無理を呼んで、前十字靱帯部分断裂。復帰までは9か月かかった。積み上げたポイントを失い、ランキングは380位まで下がる。しかし、彼にとってこの9か月間は、無駄ではなかったようだ。

「栄養士さんに付いてもらって、栄養について学びました。遠征でキッチンがあれば作れるように、料理も習った。メンタル面の本も読んだりして、勉強できたと思います。ただ、練習を再開したときに、ひとつ辛いところがあって、筋肉量は戻っているのですが、反射神経的な部分が戻らない。とっさの一歩が出ないんです。それに、今までテニスを怖いと思ったことはなかったのですが、後ろに一歩下がるというのが怖くなった。徐々に戻りましたけどね」

テニスプレイヤー・西岡良仁の練習の様子5

復帰戦は2018年1月に開催された全豪オープン。シーズン前半は調子がなかなか上がってこなかった。しかし、18年9月に行われたATPワールドツアーの深圳オープンで、優勝を飾り、復活の狼煙を上げる。このツアーの制覇は、日本男子で史上5人目であり、このときの彼のランキングは171位。予選から7戦を勝ち上がっての快挙であった。

「ツアーでは場所によってコートが全然違うんです。打球が速いコートだったり、遅かったり。ボールもメーカーによって、重さや飛びがまったく変わってくる。毎週、違う環境で試合をやっているんです。だから、最低でも2~3日前には会場に入って、それを確かめないと勝つのは難しい。深圳では2日前に入りました。コートはそんなに速くなかったし、ボールとの相性もよかった。打ったときも、全然、ミスる気がしなかったんです。チャンスがあるんじゃないかと、コーチと話していました。でも、優勝までは考えていませんでしたよ。それまでベスト4が最高で、経験も少なかったですし」

そして、現在は世界ランキングが75位(19年1月8日付)。日本では2位である。新年7日からのシドニー国際も1回戦を突破している。

「今は大会で早々に負けてしまうと1日休みがあるぐらい。勝っている間は、まったくないんです。だから、練習はテニスよりも体力作りや、筋力トレーニングが中心になります。トレーナーは2週間休みがあれば追い込めると言っていて、そんなときは重いウェイトもやりますし、トラックもやる。ダッシュ400mを10本とか。小さいぶん、やらないと追いつかないですから。今年はもっとランキングを上げたいし、トップレベルの選手にもしっかり勝てるように、成長できればと思っています」


取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.757・2019年1月24日発売)

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