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高校2年生で日本代表に選ばれるも、なかなか結果が出せないでいた。今年、一気に成長を遂げた彼女は、日本のエースを目指して前進する。
2018年9月から10月にかけて行われた、バレーボールの女子世界選手権。ここで、なかなかの健闘を見せたのが日本チームだった。日本は第1次ラウンドを、強豪オランダに敗れるも2位で通過。第2次ラウンドでは世界3位のセルビアを撃破して、第3次ラウンドへと駒を進めた。ここでは3敗して、結局6位だったが、この先に期待を感じさせる戦いぶりだったのである。
なかでも、チームを献身的に支えて、数々の勝利に貢献したのが、古賀紗理那だ。彼女のポジションはウィングスパイカーだから、スパイクを決めるのが当然だが、サーブやレシーブ、そしてブロックでも存在感を示した。そして、ここぞという場面で、チームに活力を与える得点を稼いでいったのだ。まずは、この大会について古賀に聞いてみた。
「今シーズンの全日本(日本代表チーム)が4月に始まってから、全然調子が上がらなくて、キツい時期がけっこうありました。だから世界選手権では“やるしかない、ずっとスタメンで出てやる”という気持ちで、大会直前にあった9月の合宿では練習していましたね。それが、しっかり試合に出せたと思っています」
「ただ、大会の前半は相手チームも様子見という感じもあって、いい戦いができていたんですが、各国が日本に対する対策を立ててきてから変わってきました。私が得意なアタックコースを抑えられたりして、それに対する自分の工夫が足りなかったと反省しています」
「とくに、セルビアとは第2次ラウンドと第3次ラウンドに当たったのですが、最初の対戦ではエースの(ティヤナ・)ボシュコビッチ選手が出場しなかったので勝てたのですが、2度目は対策も立ててきていたし、ボシュコビッチ選手も出場してきた。彼女は身長も高くて、凄いスパイカーですけど、ディフェンスもカラダを張ってプレイしていた。そういうところは、見習わないといけないと感じましたね」
今回、ひとつわかったことは、上位国が本気を出したときには、まだ日本は互角の戦いに持っていけないということだった。古賀は、この差をどう捉えているのであろうか。
「全日本の中では、レセプション(サーブボールをレシーブすることをこう呼ぶ)からのアタックにこだわっています。サーブを受けてパスして、1本でスパイクが決まれば、十分戦うことができるし、実際に競える場面もたくさんあった。だから、本当にあとチョットの差だなと感じているんです」
「私自身は、日によってレセプションの調子が変わったりすることがあったんです。だから、波を作らないということが課題だと思いますし、オフェンス面では、対応された後のこちらの変化が、もっとすばやくできるようにならないと、と思っているんです」
チョットの差、これを埋めることは、もちろん簡単な作業ではないだろう。しかしこれができれば、女子日本代表は、世界でも、もっと恐れられる存在になるのだ。
母親がママさんバレーをやっていて、その影響から小学校2年のときにバレーボールを始める。最初は週2回ほどの練習がある、彼女の言うところの「ゆるい感じのクラブチーム」に入った。このチームにまったく不満はなかったのだが、ある試合で出会ったチームに衝撃を受ける。
「地元の大津ジュニアという強豪だったのですが、強いというところだけではなく、まずすべてが徹底されていたことに驚きました。返事や挨拶とかがピシッとしていて、すごく格好よかった。それで、母に入りたいって言ったんです」
それが小学校3年生のとき。熊本の大津ジュニアは、当然だがそれまでのチームとは全く違っていた。練習は火曜日を除いた毎日である。最初は楽しかったが、実力が上がってコートに入る機会が多くなると、運動量が増えてグッと厳しくなった。
「毎日、過呼吸みたいになりながら、スパイクを打ったりしていましたね。それで、小学校4年生の頃に一度、キツくてやめたいと思ったこともありました。でも、5年生になると試合でも勝てるようになってきて、全国大会に行くという目標もできた。それからはバレーをやめたいと思ったことは、一度もありませんね」
6年生のときには念願の全国へと進み、ベスト8になっている。中学は大津中学校。ここには、熊本県では有名な監督、平木元宏先生がいた。練習はさらに厳しくなった。それまであまりやらなかった、体力作りのための練習が加わったのだ。
「朝のラントレが大変でした。毎日、走っていましたから。グラウンドの200mトラックを全力で5~6本。休憩はペアになった子が走っている間だけ。走るのは大嫌いだったから、ホントにキツかったですね。でも、そのときのポジションでは、真ん中でブロックしていたから、両サイドの選手に比べて運動量が多かったんです。だから、辛くてもしっかりやらないと、と思っていましたね」
全国中学校選手権に出場し(3位)、優秀選手に選ばれ、知名度も上がっていった。JOCジュニアオリンピックカップではオリンピック有望選手にもなった。そして、強豪校、熊本信愛女学院高校に進学。アジアユースや春高バレーで大活躍して、高校2年生のときには、最年少で日本代表に選ばれるのである。
「意味がわかんなかった(笑)。なんでだろうって。高校生1人だから、すごいアウェー感もあって、緊張しました。憧れどころじゃない存在の(木村)沙織さんもいて、代表の招集日に初めて生で見たんです。オーラが半端なくて圧倒されました。完全に場違いだと思っていましたね」
本人には日本代表の自覚はなかったが、マスコミは放っておかなかった。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの代表、次世代のエースと騒がれるようになったのだ。15年には世界3大大会であるワールドカップに初出場し、見事なプレイで強烈な印象をファンに与える。
そして、翌年の五輪最終予選にも出場を果たしたが、なんと五輪メンバーからは外れてしまう。眞鍋政義前監督が語っていた、最強のメンバーを集める構想には、古賀の名前はなかったのだ。ただ本人は「当時はオリンピックに執着がなかったから選ばれなくて当然」と、過去を振り返る。しかし、それでも悔しさは残った。
「考え方を変えなくては、同じことを繰り返す。だから絶対、全日本で活躍するんだという気持ちを持とうと思った。ようやくです(笑)」
リオが終わって、日本代表は中田久美監督が率いるようになった。それからしばらくは、古賀は強い気持ちを持ってバレーボールに打ち込んでいった。
しかし、不幸が襲う。膝を負傷して、ワールドグランドチャンピオンズカップのメンバーから外れてしまうのである。これが、2017年のことだ。そして、今シーズンの春のネーションズリーグに満を持して出場する。が、不安は大きかった。
「ミスがすごく怖くなってしまったんです。積極的に行こうという気持ちはあったのですが、失敗すると交代させられるんじゃないかという思いがずっとあって。それがプレイにも出てしまったんですね」
スタメンで起用されていたが、いつしかリザーブになり、出場機会も減っていった。さらに、8月に開催されたアジア大会では、メンバーにも選ばれなかった。「終わったかもしれない」と、本当のどん底を味わったのである。
しかし、ここからたった1か月で、見事に復活を果たす。そのきっかけが、彼女が冒頭で語っていた、9月の合宿だったのだ。
「合宿では男子の大学生を、相手に呼んだんです。そして、高くてパワーのある選手と、ひたすら試合をした。負けるセットもあったのですが、勝ったときもあるし、勝つまで終わらないという日もあった」
「彼らに勝ったことは自信になったし、キツかったから、ミスしたらなんて考える余裕もなかった。ただ、やるしかなかったんです。これが気持ちを強くしたと思う。それで、世界選手権の前に日本に来たアメリカチームと試合をしたのですが、ボールが遅いんですよ、男子に比べると。アメリカ、怖くないじゃんって(笑)、それも大きな力になったと思いますね」
現在、古賀はⅤリーグのNECレッドロケッツに所属し、日々戦っている。11月3日にシーズンインして、ここまで4勝1敗(11月20日現在)。週末に試合が組まれているが、どのような日常を送っているのか。
「基本的には土・日曜日が試合なので、月曜日の午前中は主にコンディショニングを中心にした練習です。火曜日は休みで、水曜日と木曜日はミーティングで週末に対戦するチームの対策を立て、そのあと練習します。ただ、木曜日の練習は午前中だけで、午後は試合会場への移動です」
「筋力トレーニングは週3回、ベンチプレス、クリーン、スクワットを行っています。NECに入ってから、4年ぐらい続けていますね。これを始めてから、カラダの痛みがなくなりました。私、ヘルニア持ちでお尻からふくらはぎにかけて痺れがあったのですが、筋力がついたことで、今はそれが全然なくなりましたね」
NECレッドロケッツは16―17シーズンにリーグ優勝を果たしたが、昨シーズンは5位に終わっている。チーム、そして日本代表の未来を占ってもらった。
「NECレッドロケッツは若い選手が中心のチームなので、これからが楽しみです。チームの雰囲気もいいし、優勝を目指してがんばっていきたい。全日本では、世界選手権で強豪国とのチョットの差がわかった。それを埋めるためには、もっとスキルアップすることが重要です。チームでは緻密な繫ぎだったり、1点を取るためのコンビネーションなどを確実に作っていかないといけない。それができるようになって、選手のコミュニケーションも深めていければ、東京オリンピックでは結果を十分に残せると思っています」
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.755・2018年12月13日発売)