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“スリップインするだけ™”じゃない!《スケッチャーズ スリップ・インズ》快適学。
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男子走り高跳びの若き雄、戸邉直人選手は東京オリンピック出場を、さらにはそこでの金メダルを狙っている。雑誌『ターザン』No.751「君たちはなぜ走るか」特集号より、本誌長期連載「Here Comes Tarzan」の全文を掲載。
2018年8月に行われたアジア大会。男子走り高跳びで、見事銅メダルを獲得したのが戸邉直人である。2018年、つまり今シーズンは、彼にとってかなり充実したものだったに違いない。
まず、7月にイタリアで行われた大会で、2m32の国外日本最高をマークし、日本記録にもあと1cmと迫った。実はこの大会は、非常に小規模なもので、ヨーロッパなどではこういったスタイルの大会は数多い。トラックは土、スタンドはボロボロ、招集時間や場所がアバウト。日本では、まず考えられない大らかさで進行していく。
だからといって、トップレベルのアスリートが参加しないかといえば、そうではない。ひとつには、悪い環境の中で戦うことで、精神的にも肉体的にも成長できるという利点がある。そして、もう一点は、目指す大会に向けての調整として利用できる、ということがある。
「あの試合では、記録を狙おうという意識はあんまりなかったんです。その10日後ぐらいに重要な大会があって、それに向けてアピールしたいなぁ、という感じだった。ただ、小さい大会だから、招集所に行くまでは、他にどんな選手が出場するかはわかっていなかったんです。で、あんまりレベルも高くなくて、イタリア国内の選手ぐらいかと思っていたら、アメリカのけっこう強い選手が参加していた。近くでチームが合宿をしていたらしいんです。これもアバウトですよね(笑)。それで、気持ちが乗ったというのもあって、自分でも意外な記録が出たんです」
そして、8月にはアジア大会。このときは2m24と、ごく平凡な記録に終わってしまい、彼にとっては納得できるものではなかったろう。が、最低でもメダルを獲りたいという目標は一応達成できたのである。
「メダルを獲れたか獲れないかで、本当に大きな違いがある。だから、銅になったことはうれしかったです。ただ、順位も記録も満足できるものではない。ちょっと失敗したというのが感想です。本当は2m30を越えて、優勝ができるかと思っていましたから。今、アジアでは、世界の決勝に残れる選手が、僕を含めて4人ぐらいいる。そんな中でやるから、甘くはないんですけどね」
さらに、もう一つ。それが、ダイヤモンドリーグのファイナル出場だ。これは全14戦で行われる、陸上最高峰のリーグ戦で、ポイントにより、その優劣を競う。12戦が行われた後、高ポイントを獲得した選手がファイナル2戦に出場を許される。そして、優勝を目指して戦うのである。
過去には、ポイントに関係なくファイナル出場を許された日本人もいたが、年間のポイント累計での出場は彼が初めて。世界のトップ、12人の選手による決勝で、戸邉は2m26を跳んで6位になったのだった。
「世界のトップがしのぎを削る舞台なので、すごく高いモチベーションを持つことができました。今年のシーズン前の目標は、アジア大会もあったのですが、ダイヤモンドリーグを転戦して、ある程度の結果を残すというのもあったので、ファイナルに行けたのは、成果だったですね」
小学校にはスポーツクラブがあった。ただ、一つの競技を続けるといった部活ではなく、シーズンによって種目が変わった。「市大会があるから陸上、夏は水泳なんて感じです」と、戸邉は語る。
ここで、陸上の楽しさと出合う。最初は幅跳び、次に高跳びという具合だ。このときは、遊び半分。ただ、中学校に入ると基礎を学び始め、いわゆる”挟み跳び”から”背面跳び”へと移行していく。全日本中学校陸上競技選手権では、1m94で優勝できた。
そして、専修大学松戸高校に進学すると、本格的に高跳びに取り組んでいくようになる。1年の頃は、まだまだ通用しないレベル。ただ、中学を卒業したばかりの子供が、高校生と競って負けても、当然だと思うのが普通。しかし戸邉は違った。
「僕としては、それがけっこう悔しかったんです。それで、1年の冬にそれなりにがんばって、かなり練習を積んだ。それがよかったのか、高校2年のときは、全国ランキングの1位になることができたんですよ」
この年、世界ジュニアにも出場。ここまではよかった。が、インターハイ出場まで2週間と迫ったとき、肺気胸になってしまうのである。
「医者からは止められましたが、出場して予選は通過できたんです。でも、決勝前に再発というか、悪くなって棄権。それがまた悔しかった。だから、3年のときにインターハイで優勝できたのは本当にうれしかったし、その後高校記録を出せたときは、陸上選手としてやっていきたいと、強く思うようになりました」
大学は筑波大学へ。ここで、戸邉は運命の人と出会う。それが、図子浩二先生だった。大学院修士課程から、ずっと跳躍選手のトレーニング法などを研究していた図子先生は、戸邉がトップアスリートになるための、大きな力を与えてくれたのだ。
「大学では練習は自主性にまかせるという部分があるのですが、とくに筑波大学ではそういう気質が強かったんです。みんな自分でメニューを立てて、練習をしていましたね。僕もそんな気質が好きで、この大学を選んだんですけど、図子先生には困ったときに、いろいろアドバイスをもらいました。今の自分があるのは、まったく先生のおかげなんですよ」
図子先生の指導を仰ぎながら、戸邉は実力を伸ばしていく。もしかしたら先生にとっても、彼は格別な研究パートナーだったかもしれない。大学2年のときには日本選手権で5位に入賞し、3年のときには見事に優勝。日本代表にも名を連ねるようになったし、2014年には記録も2m31にまで伸ばしたのだ。
「先生には常々、考えて練習しろと言われました。考えろ、というのは誰でも簡単に言いますが、先生の伝えたかった意味は、より深いところで考察しろということだったと思います。先生がよく口にした言葉が”エビデンスベースでやれよ!”でしたから。これをやれば何となく上達しそうだというのではなく、確固たる根拠があってこその練習だ、ということなのでしょう。そして、この言葉は、今の僕の根底をなしている要素の一つだと考えています」
16年6月2日、図子浩二先生は、突然この世を去る。体調があまりよくないと、戸邉は聞かされてはいたが、それが死という言葉に結びつくとは、まったく考えていなかった。リオデジャネイロ・オリンピックは目前に迫っていたし、「先生とは以前から、リオの決勝を目指そうと話していた」ようだ。
こんな状況に置かれて、誰が正常でいられるであろうか。3週間後に行われた日本選手権、戸邉は6位に沈んでしまい、念願だった五輪出場を逃してしまう。
「リオは、出場してどこまでやれるかがテーマだったので、出られないというのは想定もしていませんでした。その年の4月の終わりに左のふくらはぎをケガしてしまったのですが、冷静に治療しつつ練習していけばオリンピックの出場には何の問題もなかったと思う。ただ、当時の状況としては冷静さを欠いていたし、非常に混乱して、焦ってしまった。ケガはしているし、先生はいなくなってしまうし、で。普段のトレーニングも、日本選手権に向けての調整もちゃんとできなかったんですね」
戸邉は「本来なら自分はここにいた」という思いで、テレビでリオの走り高跳びを見たという。そして、これが再起へのエネルギーとなった。決してヤケにならず、常に冷静に。エビデンスベースで、自分に何が足りないかを見極めて、克服する。これをテーマにしてトレーニングを続けた結果、今年へと繫がったのだ。
現在、戸邉は大学院を卒業した後も、母校である筑波大学で練習を行っている。たった一人で、だ。ポールとスタンドを運んで組み立てる。軽いランニングをして、ストレッチ。跳躍練習はそれほど長くは行わない。強い踏み切りを何度もやると、ケガに繫がるからだ。全部で十数回といったところだろう。休憩を挟みながら、一回を集中して跳んでいく。
「これにプラスして、ウェイトトレーニングです。大学3年の頃から本格的に始めました。やり始めてから、記録も順調に伸びてきた。種目でいえば、スクワット、クリーン、スナッチなど瞬発系のものが多いですね。変わったのは、踏み切りで負けなくなった。助走のスピードを上げても、しっかり跳べるようになりました。
高跳びでは横に向かっている力を、いかに上へと変換するかがポイント。踏み切ったときに、(カラダが)つぶれてしまうと、地面の反発力を受け取りにくくなって、力を上へ伝えにくくなる。いかにつぶれないかが、重要なんですね」
リオの悔しさをバネに、戸邉はもちろん東京オリンピックを目指している。いや、目指すだけではなく、金メダルを狙いたいと思っている。五輪の決勝進出となると2m40前後は跳ばなくてはならない。そのために、今、取り組んでいることがある。もちろん、エビデンスベースで考えた末に、辿り着いたことだ。
「踏み切るときの腕の振り方を変えています。これまでは、両腕を前に出して、踏み切りに合わせるダブルアームだったのですが、今はシングルアームといって、踏み込んだのと逆の腕だけを出すように練習しています。これにすると、走ってきて、その腕振りのまま、流れるように跳躍に入れる。ダブルアームだと、踏み切り前に腕を合わせる動作が必要になり、そこで動きが途切れがちになる。
ただ、ダブルアームにも利点はあって、両腕を振るから、上に跳ぶ力は強くなるわけです。ただ、僕がこれをやると、腕を揃えた瞬間にカラダが浮いてしまって、地面に力を伝えにくくなってしまうことがわかった。だから、シングルアームに変えようとしているんです。あと1年半を切りましたが、前回の悔しさを忘れずに、オリンピックではしっかりと成績を残したいと思います」
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.751・2018年10月11日発売)