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世の中にこんなにおもしろいものはない、トモとエドの夢中

34年間で完走者は15人、史上最悪にして最高の100マイルレース。バークレーマラソンズに取り憑かれた男たちよ、なぜ。

日本最強の100マイル(しか走らない)ランナー、トモ・イハラ。アリゾナのウルトラランナーのフローズン・エド。ふたりが出会ったのは2018年『バークレーマラソンズ』。トモは今年念願かなってはじめての出場。エドはすでにこのレースを30年21回も走っているレジェンド中のレジェンド。

バークレーマラソンズに取り憑かれたふたりの中毒ぶりを披露する前に、このレースそのものを説明しなくてはならない。

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トモ=井原知一(いはら・ともかず)/1977年生まれ。会社員。11年前、体重98㎏をなんとかしなきゃ、と始めたランニング。街ランからトレランに進み、ついには100マイルじゃないと気が済まない。生涯100マイル100回完走を志す。42回目のバークレーではじめて完走できず。

距離は100マイルといわれているけど実際はそれをはるかに超えた130マイル(しかも選手によって増える、説明は後に)、標高差累積(上りの合計距離を直線に換算すると)は2万4000m、エベレストを2つともう半分を積み重ねた高さを上り、もちろん同じだけ下る。制限時間はたった(!)60時間しかない。

は? 想像すらできない大会のサイズに加えて、過去34年間の完走者は延べ15人、完走率は0.05%。

われこそは、と世界中から名乗り出るスーパーランナーたちの夢と希望を打ち砕き、死にものぐるいの努力をあざ笑い、ことごとく絶望と悲惨の淵に突き落としてゆく。これこそがバークレーマラソンズ。ひとりでも完走者が出れば、翌年にはさらに難易度(距離、斜度、コースなど)が上がる。

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エド=FROZEN ED(ふろーずん・えど)/1948年生まれ。どこまでも真っ平ら、山のないミシガンで生まれた少年は14歳でウェストヴァージニアに引っ越し、山に出会い、この世は3Dであることを知る。山に上がり、走り、楽しむ人生が始まる。89年完走、91年完走、2012年2周。

近年はニュースでも紹介され〈ネットフリックス〉で映画にもなっているから、その「魅力」はランナー以外にも知られるようになった。たとえば「誰もが認める世界一情け容赦のない過酷なレースであると同時に、世界一謎に満ちたレース」とか。

そもそも開催日時はもちろん、エントリー方法さえ公開されていないんだから。あ、さすがに開催地だけは知られている、テネシー州フローズンヘッド州立公園。

バークレーが世界中に知られているわけがもうひとつある

1963年、A・リンカーンによる奴隷解放宣言100周年を記念する大行進がワシントンDCで行われた。

公園を埋め尽くす25万人のデモ参加者を前にした公民権運動の指導者M・L・キング牧師の、あの有名な”私には夢がある!”の演説。人種差別撤廃とあらゆる人種の平等を願うこのスピーチは、黒人のみならず白人の心をも大きく揺さぶり、翌64年の合衆国公民権法の制定への大きな引き金になった。これで米国で(法律上は)人種差別は完全に廃止された。キング牧師は同年、ノーベル平和賞を授与されている。

ところが68年、キング牧師はテネシー州メンフィスで、レミントン760・ライフルから撃ち出された一発の銃弾に倒れてしまう。

牧師を殺害したジェームス・アール・レイはテネシー州ペトロスのブラッシーマウンテン刑務所に収監されるのだが、ヤツは1977年6月10日、他の6人の囚人とともに脱獄しちゃう。ところが刑務所を取り囲む山々は急峻きわまりなく、またブラッシーの名のごとく棘のある藪で覆われ、簡単には進めない、逃げられない。

脚を腕を全身を血まみれにした脱獄犯たちは、寒さと疲労にもやられ、ことごとく捕まってしまった。最後のひとりとなったレイは54時間後、刑務所から直線にして5マイル、およそ8kmのところで確保され、連れ戻された。全米が注目するなか、ノーベル平和賞受賞者を暗殺した殺人犯は刑を上乗せされ、100年の懲役刑を食らうのであった。

ここでもうひとり重要な人物が登場する

ウルトラランナーのゲイリー・カントレル、通称ラズである。ラズはこの刑務所周辺の山/フローズンヘッド州立公園はホーム、昔から走り回っていて地形を知り尽くしている。もちろんレイの脱獄事件も知っている。

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レイが逃げ、再び収監された刑務所、いまは役割を果たし建物だけが残る。ここからの下水(管)もコースだ。

あなたの夢はかないません

「ふん、たった5マイルかい、オレだったら50マイルはいけるぜ」。かくしてラズは1986年、暗殺犯脱獄事件をヒントに『バークレーマラソンズ』第1回大会を開催するのだ。当初は同じコースを3周、合計50マイルを24時間以内にというもの(現在は5周130マイル60時間以内)。

おっと、大会名はカリフォルニア州立大学のあるバークレーとはまるで関係なし、綴りも違う。あっちはBerkeley、こっちはBarkley。ウルトラレースの仲間であり、レースのときはラズのサポートをしてくれる大親友のバリー・バークレーの名前からだ。バリーは養鶏場を経営していて、だからバークレーの会場では必ずチキンが焼かれている。

さて、レース。86年は13人が走って完走者ゼロ、87年は16人が出て、これまた完走者はなし。88年にラズは誰も完走できないのに、さらに距離を延ばしてしまう、3周で55マイル、制限は36時間。

大事なことを忘れていた。バークレーのコースにはマーキングテープやコース案内のサインなどいっさい用意されない。そして13か所のチェックポイント(CP)が設けられていて、コースを書き写した地図(前日に公開される)とコンパス、そこへたどり着くための説明文「川を渡って3つ目の大きな岩を左に見て、10歩進んだところにある木の根元…てな具合」を手がかりにトレイルを、オフトレイル(たいてい棘満載の藪だ)を進むのだ。

それぞれのCPにはジップロックに入った本が一冊。自分のビブ番号と同じページを破いて持ち帰らねばならない、CPを通過した証拠だ。

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荊棘の急斜面。

トゲトゲの藪をかき分け急斜面を上ったり下りたりして13か所のお宝を集めて1周、スタートに戻ってくる。

集めた13枚のページをラズに確認してもらってOKが出ると、新しいビブ番号が与えられ、逆回りで2周目へ出発、新しい番号のページを破いて持ち帰る、この繰り返しだ。1周の距離は年々長くなって現在は26マイル、CPをイッパツで見つけられず、うろうろ探し回れば距離はどんどん延びてゆく、疲労は増え、時間は足りなくなる。

このくらいがバークレーマラソンズの基礎知識、いよいよ中毒患者たちにご登場いただこう。ここはアリゾナ州フェニックスからクルマで2時間のパインの町、バークレー病高じてトモははるばる日本から、森の中のエドの自宅を訪ねるのだ。レースを終えて2か月ぶりの再会である。


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トモ バークレーのすごいところは歴史書ともいえる本まで出版されていること。開催の背景や主催者の話はもちろん、毎年の記録やエピソードがことこまかく書き記してあるんだ、2周目で誰それがどうした、とかね。ちゃーんとアマゾンで買える。僕はボロボロになるまで読み尽くしたよ、そのバークレー必読書を書いたのがこの人、エドさん。

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バークレー野郎は読まねばならぬ「そこからの物語」。トモの愛読本、この春、著者エドのサインが書かれた。

──走るレジェンド、歴史のレジェンドでもあるんですね。

エド 第1回大会の前からバークレーのことは知っていたんだよ。85年の『ウルトラ・ランニング・マガジン』のレース情報に載っていたのさ。「86年3月1日開催・3周で50マイル・累積8000m・24時間以内」ってね。

でも1回大会には出なかったんだ。レース後にチェックしたら完走者なし、って書いてあるから、びっくり。翌年の87年にも出なかった、そのときも完走者なしだ。えええ、50マイルをなぜ24時間で走れないんだろう? おーし、だったら私が出て完走してやる、ってね。

トモ そして88年、見事に最初の完走者になるわけですね。

エド その年は距離が3周で55マイル、制限は36時間に延びていた。しかもこの年から本(CP)が3か所に置かれるようになったんだ、それまでは本なし。それでも32時間で完走できたよ、うれしかったなあ。

実はね、本を置くというアイディアは私なんだ、前の年にラズと別のウルトラレースの会場で出会ってバークレーに誘われたんだよ、そのときに「選手がズルしないようにコースにチェックのための本を置いたら?」と話したのさ。

トモ え、本はエドさんのアイディア? 知らなかったあ。で、エドさんが完走しちゃったもんだから、翌年からバークレーは100マイルになるんですね。

エド そう、いきなり5周・100マイル・50時間。誰も3周さえできなかった。そうそう、バークレーでは3周を「ファンラン」って呼ぶんだ。120kmじゃあまだまだだぜ、ってこと。それすら走れなかった。

トモ だから89年から94年までは完走者がいないんですね。

──オーガナイザーのラズさんってどんな人なんですか?

エド ひげもじゃだし、ヘンなことをするしさせるけど、本当はとてもインテリ、想像力にあふれてて、他の人とは違った見方のできる人だ。バークレー以外にもおもしろいレースをたくさん開催しているしね。

バークレーは世界一過酷って言われているけど、言葉を換えれば、人間の能力の限界ぎりぎりを設定しているレースってこと。棒高跳びって、ある高さをクリアすると、少しずつバーの高さを上げていくでしょ、あれと同じ。だからひとりでも完走者が出たら、翌年バーは上がるんだよ。

──つまり完走させないレース?

エド いやいや、本当に強い選手を選ぶレースだと思うな。

トモ そしてバークレーの素晴らしいところは、そんなシリアスなレースなのに、頭の先から尻尾までユーモアとジョークで包まれているってこと。さっきエドさんが言った「ヘンなこと」だらけなんだよ。そもそもエントリー方法が公開されていないってことからしてヘンでしょう。

辛いこと苦しいことは笑い飛ばしちゃえ

エド ま、ここでは言えないけど、あれこれやって、運よくエントリーが受けつけられたとしよう。あ、定員は40人だ、すると、そいつんとこに当選メールではなく、お悔やみメールが届くんだよ、お悔やみだよ。

トモ そう、僕ももらった。《残念ながらあなたは当選してしまいました、これから先にいいことはひとつも起きません。完走できるなんてひとかけらも思わないでください。あなたを選んだのはあなたが嫌いだからではありません、いい人にも悪いことは起きるようです。あなたの夢は絶対にかないません、それでもよければお越しください》ってね。

──最初からがっくりきますね。

トモ そう、辛いとか苦しいとか、そんなの最初からわかり切っている、だから笑い飛ばしちゃう、それがバークレー。大会のキャッチフレーズが「HELP IS NOT COMING/誰も助けてやんないよ」ですから。

エド それにヘンなしきたりがある。ヴァージン(初出場選手)は自分のクルマのナンバープレートをお捧げしなきゃいけない。会場には世界各国のプレートがぶら下がってる。

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トモ 2回目からはラズの好きな両切りのキャメル、あるいはドクターペッパー、あるいはその両方を持っていくといいって、ほんとですか?

エド ま、ラズを喜ばせて損はないと思うよ。ヘンを言い出せばキリがないさ。スタート時刻が選手に知らされない、ってのもそれ。ラズがホラ貝を吹いて、そのブホーって音がスタート1時間前の合図。

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なんのへんてつもない林道へのゲートがスタート&フィニッシュ、絶望への入り口でもある。
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レース前日にはじめてコースが知らされる、つまりCPが書き込まれた一枚の地図が公開される。その一枚を40人が書き写し、そこにたどり着くルートを考えるのだ。PCで確認するトモ。

トモ そうそう、ホラ貝は土曜23時から日曜11時の間に吹かれる。この12時間のうちいつ吹かれるかわかんないから、眠るわけにいかないし、音を聞き逃さないようにラズのそばにいなきゃいけない、スタート前からレースは始まっている。

エド そしてスタートはラズが例のキャメルに火をつけたとき、あはは。

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バークレーの親分、ウルトラ王、ゲイリー・”ラズ”・カントレル。これでスタート。

トモ 極めつきはタップスと呼ばれる米軍葬送のラッパですよね。ラズのタバコの煙とあの音色とともに選手たちは走り出してゆきます。完走できず戻ってきたときには、全員ひとりひとりに、心をこめて丁寧に吹いていただける、懲罰にも思えるけど。ほんとに絵に描いたような悲しく、辛く、悲惨な終焉です。今年も完走者はひとりもいなかった。

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今年はスタートから雨、のちにどしゃ降りに。
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完走できずに終わると、TAPS(映画、軍隊の葬儀シーンで流れるあれ)の刑を執行される。疲労困憊のうえ意地も名誉も尊厳も鼻先で笑われる、くっそー。

──そんなレースにおふたりが出たがるのはなぜなんでしょう?

エド 私はもう70歳、完走するのはなかなかむずかしい。それでもこのレースに出るのは、目撃者になれるから。

レースにはたくさんのスーパースターたちがやってくる、彼らは疲労困憊に苦しみ、睡魔と戦い、死にものぐるいでバークレーを走る。今年こそ、もしかしたら誰かが5周できるかもしれない。もしかしたら60時間以内にフィニッシュできるかもしれない。バークレーは人間の可能性ぎりぎり、能力の限界を目撃することができる場所なんだよ。

トモ 100マイルレースをいくつも走っていれば、バークレーの話はいろんなところで聞かされます。グランドスラム(6月~9月までに指定された5つのメジャー100マイルレースのうち4大会を完走すること)を達成した誰それとか、アパラチアントレイル(3500㎞)の最速踏破記録保持者とか、とにかくすごい選手たちが挑戦しては、次々とつぶされてゆく。バークレー、なにそれ? 出たいと思うのが普通でしょう。

──バークレーのどこがどんなふうにむずかしいんですか?

エド 繰り返しになるけど、ラズは人間の能力限界ぎりぎりのところにレースを設定している。うまいことできているんだよ。

まず、山そのものが急斜面だらけで体力を消耗する、トレイルではない棘の藪に突っ込まなきゃいけないし。5周とも13の本は同じところに隠してあるけれど、夜になったり、コースの向きが逆になれば(今年は1周目は時計回り、2周目は反時計回り)、それまでの記憶は役に立たなくなる。

そして60時間というぎりぎりの制限、60時間も起きていられる人はいない。かといって、しっかり眠ってしまっては間に合わない。体力も知力も感覚も夢うつつの状態で、山を上り、コンパスでナビゲーションしなきゃならない。距離は最短で130マイル、上る高さはエベレストふたつと半分だ。簡単ではない。

トモ 僕は1周すらできなかった。正確に言えば、1周はしたけど制限に5時間近くも遅れたから失格。生まれてはじめて完走できなかった。エドさんの本を隅から隅まで読んでバークレーをわかっていたつもりだったけど、まるで歯が立たない。

雨、みぞれ、雷、足元すら見えない濃霧…最悪の天気だったけど、それでもカナダのゲイリー・ロビンスはファンラン(3周)をやっつけているからすごいです。

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バークレー用に仕立てたポールを扱い、激坂を上ってきたトモ。濃い霧がやってきた、伸ばした手の先、足元が見えなくなる。
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今年のトモの地図と集めた13のページ。左隅は選手に配られる救助要請大音響ブザー。もちろんダミー、HELP IS NOT COMING.
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1周ごとに選手が持ち帰ってくるCPのページを一枚一枚確認するラズ。楽しそうだなあ。

──やはりなにもかもはじめてのヴァージンは不利なんですか?

エド いや、過去に5人のヴァージンが完走しているからそうとも言えないな。少なくとも好天に恵まれる運は必要だけど。バークレーを完走するのに必要なものは、

  1. 世界トップクラスの体力。
  2. 1周目はベテランについていって時間を節約すること。
  3. そのときにすべての本の置かれている場所を覚えられる優秀な記憶力。(*制限の60時間は長くない、地図読みなんかしている場合ではない)
  4. 強い心、最後まで走り続ける心。
  5. 眠らないでも(あるいはちょっとしか眠らなくても)正しい判断をできること。
  6. そしていい天気と運。

そうそう、13の本のうちいくつかは毎年同じ場所にあるんだよ、ベテランたちはみんな知ってる。これはうれしい話でしょう。

トモ うわ、それあとで詳しく。もう来年のバークレーまでたいして時間がありません、準備しなきゃ。

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百戦錬磨エドさんのバークレー装備を教えてもらいました。雨と棘藪、そしてポールなんだね。
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裏山コース、いろいろあるけど、どこを走る?
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エドの家の裏山、アリゾナの森を走るふたり。「エドさん、日本版バークレーを開催するから来てくださいよ」「え!? いくいく」。

バークレー中毒患者トーク、玩具を買ってもらってはしゃぐ子供のよう。ただ、子供と違って大人の夢中には終わりがない。また来年。

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エドさんちから100マイルレースコースが近い。「じゃ、また来るね」。

取材・文/内坂庸夫 撮影/藤巻 翔(テネシー)、小川朋央(アリゾナ)

(初出『Tarzan』No.744・2018年7月12日発売)

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