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6人が語る、走ることの楽しさと自由。〈アディダス〉のスペシャルムービーにアツくなる
ランニングは誰もが自分らしく、自由に楽しむことができるスポーツだ。年齢や性別といった枠にとらわれず、あらゆるレベルのランナーをサポートしてきた〈アディダス〉が展開する新キャンペーンでは、陸上長距離選手のイェゴン・ヴィンセントやシンガー・アーティストのSIRUP、パラリンピアンの中西麻耶らを起用。ランニング本来の魅力にフォーカスする内容となっている。
文/金井悟
ランニングには、自由しかない
これまで、テクニックやギア、目的意識など様々な側面から語られてきたスポーツとしての「ランニング」。
しかし、あらためて原点に立ち返れば、走ることに厳密なルールや特別な場所は必須ではない。「走りたい」という気持ちさえあれば、誰もが自分らしく、自由に楽しむことができる。
〈アディダス〉のグローバルキャンペーン「Impossible Is Nothing」(「不可能」なんて、ありえない。)の一環として行われる『「走りたい」だけ、あればいい。~Running needs nothing, but you~』は、そんな走ることの楽しさと自由さに改めてフォーカス。
3月25日に公開されたスペシャルムービーでは、様々なバックグラウンドを持つ6名のランナーが登場。それぞれの理由と目的を持って、自分なりのペースでランニングに向き合う姿を描き出すことで、ランニングの魅力を再発見できる内容となっている。
プロが走ることの喜びを再発見する
アスリートにとって、トレーニングの一貫であるランニングは必ずしも楽しい時間とは限らない。
世代別の女子日本代表としても活躍してきたプロサッカー選手の小林里歌子は、2022年2月に左膝内側半月板を損傷。約6か月のリハビリ期間を経て、ランニングを再開したときに走る喜びを実感したという。
怪我をしたことで走ることを純粋に喜び、ランニングは自分の身体と対話する大切な時間へと変化した。
仕事中の事故で右足を失ったことで陸上競技に転向した中西麻耶選手は、初めて義足で走ったときに「自分で風を生み出す瞬間」を感じたという。病室やリハビリの日々で止まっていた時間は、走ることで自らが作り出した風を感じたとき、再び動き出した。
“ただ走ることが好きだ”というケニア出身のイェゴン・ヴィンセント選手は、ランナーとしてのキャリア形成のために17歳で来日。日本で駅伝という競技の特別さや特殊さを学びながら、3区間記録保持者となった。
アスリートゆえの困難を乗り越えて、あらためて走る喜びを実感する彼らの姿は、自分の意志さえあれば前に進む道が切り開けることを教えてくれる。
走ること自体がカルチャーとなる
ランニングは、スピードや距離を競うだけでのものではない。走ること、それ自体がカルチャーとなる。アスリートとともに動画に登場する3名のクリエイターは、それぞれに競技とは異なるランニングの魅力を体現してくれている。
ヴィンテージショップ〈BÉBÉ〉のディレクターとして活躍するMichelleにとって「走ることはセルフラブ」と同義だ。ゆえに、気持ちがのらない時は無理に走らない。その分、頑張って走った時は自分をちゃんと褒めてあげることも忘れない。
ランニング中に気づく気温や季節の変化は、環境問題や社会問題と向き合う彼女にとって、大事なアイデアソースになっている。
「走るのは音楽と似ている」と、シンガー・アーティストのSIRUPは語る。没頭したり、集中したりできるその一方で、リラックスして無にもなれる。走るという行為は、ミュージシャンとしての在り方と切り離されたものではなく、クリエイションとフィジカルの調和を図るためでもある。
バンド「鋭児」でヴォーカルを務める御厨響一にとって、走ることは“生きていることを実感する瞬間”だ。「歩きたい」とあきらめたくなる気持ちを抑えてデッドゾーンを超えたとき、最高の気分になる。
ライブパフォーマンスに必要となる体力づくりという面でも、ランニングの重要性を感じている。自分がポジティブでいるために必要なこと、それが彼にとってのランニングなのだ。
本当に必要なのは「走りたい」という気持ちだけ
「ランニングが続かない」という声は多い。
それは、どこかでランニングを「ストイックなもの」と定義づけてしまっているからかもしれない。走る理由は百人百様。ダイエットやボディメイクといった目的を叶えるためでもいいし、自己記録を打ち破るためでもいい。
だが、明確な目的意識がなくとも、ただ走り出したっていい。辛くなったら、立ち止まっても構わない。ランニングとは、そもそも自分のペースで楽しめる“自由なスポーツ”なのだから。
動画シリーズに登場する6名のパーソナルストーリーを通して、ランニングというスポーツの自由さ、奥深さを見つめ直してみてはいかがだろうか。