パリへの再出発。柔道女子・舟久保遥香が語ったこと
中学、高校と猛練習で鍛え上げた寝技を武器に世界ジュニア3連覇などすばらしい活躍を見せたが、社会人になって大きな葛藤を抱え込んでしまう。そこから再出発を果たした彼女のこれからとは。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.834〈2022年5月26日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
初出『Tarzan』No.835・2022年6月9日発売
悔しいという感じにもならないぐらい、ダメでした
2022年、4月2日に行われた柔道の全日本選抜体重別選手権女子57kg級で優勝し、見事連覇を果たしたのが舟久保遥香だ。
この大会は、その年に開催されるオリンピックおよび世界選手権の選考会も兼ねており、これにより彼女は今年の世界選手権の出場も決めたのである。
また、2021年10月と2022年2月のグランドスラム・パリも2連覇している。この大会は世界各国の強豪が集結し、柔道では定評のあるフランスで開かれることもあり、いつも注目を集めている。
その諸々の出来事からいって、柔道家としてのひとつの自信を持てたのではないかと想像していたのだが、果たして彼女はまったく満足していない様子なのだ。
「一つひとつ、あまり先のことを考えずにやってきました。そのなかでしっかり勝っていけば、代表になれると思っていたので、それが果たせたことはひとつよかった。ただ、柔道としてはまだまだダメで、体重別でももっと投げに行きたかったけれど決められなかった。これから成長しなくてはと今は思っています」
もともと、注目の選手であった。高校ではインターハイで2連覇をしているし、世界ジュニアでは史上初の3連覇を成し遂げた。
高校3年生のときには「東京オリンピックで金メダルを獲る選手になりたい」とも発言しているし、周囲も期待していた。しかし、それにはまったく届かなかった。そのころを振り返る。
「全然ダメでした。悔しいという感じにもならないぐらい。何もできなかったし実力もなかった。だから、東京オリンピックはシンプルに、自分だったらどう戦うかって思いながらテレビで普通に見ていました(笑)」
なぜ、高校時代に大活躍を見せた舟久保が、オリンピックにはかすりもしなかったのか。そこには、もちろん確固たる理由があるのである。
疲れてしんどくてクタクタ。でも楽しかった中学・高校時代
友達がやっているのを見て、6歳で柔道を始める。スポーツ少年団に参加して、週3回の練習。小学校2年生のときには、地元・山梨の県大会で優勝する。ただし、ずっと全国区にはなれなかった。県の代表として全国大会に出場しても、上位には食い込むことができなかったのだ。
「負けるのがイヤでしたね。すごく悔しいなと思って。全国大会でもあんまり勝てなかったので、中学でも続けてみようと思ったんです」
そこで、富士学苑中学に入学する。
ちょうどこの年、世界選手権にも出場した矢嵜雄大さんが監督に、妻である同じく元世界選手権代表の仙子さんがコーチで就任した。中学、高校一貫のこの学校は舟久保が入ったときに設立2年目。柔道強化を打ち出し、ハイレベルな指導者を招聘した。矢嵜監督にも力が入った。
「中学生は私ともうひとり、男子だけでした。あとは高校生の男子がメイン。軸が高校生の練習だったので、同じメニューを朝練から午後練まで小学生上がりの私が一緒にやって、何かクタクタって感じでした」
朝は週3回のランニング。といっても、尋常ではない。398段ある階段を5往復するのだ。午後は学校が終わってからは組手、乱取りなどのオーソドックスな柔道の練習。で、これで終わりかと思えば、その後に寝技補強が入る。
畳の上での寝ての攻防である。上から体重をかけられて痛みに耐える。そこから逃げる。関節を極められる。息ができないほど絞められる。そんなことを3時間、4時間と毎日続けた。
そりゃあ、強くなる。そして、この練習から“舟久保返し”という名で知られるようになる、返し技が生まれる。
「ただただ、疲れてしんどくてという毎日でした。だからといって、練習はイヤではなかった。毎日、一生懸命やって、帰ったら何にもできなくて寝て、起きたら練習に行く。楽しかったし、充実していました」
ひとつエピソードがある。中学2年生のときに膝をケガしてしまう。柔道の練習はできない。そこで命じられたのが懸垂。目標は1日1000回。
3時間かけて目標を達成できるようになった。柔道では背中の筋肉は重要。相手の襟を取って、引く動作が勝敗に大きく関わるからだ。もちろん、懸垂が終われば寝技補強。これはケガには響かない。
そして、舟久保が「パワー柔道」と言う、彼女のパターンが出来上がる。相手が投げる、あるいは自分で投げに行く。そして、体勢が乱れて寝技に持ち込めば、一本である。寝技には絶対の自信があった。舟久保は軽々と勝利をモノにしていった。
本当に歯が立たない。ボッコボコにされた
高校を卒業した舟久保は、社会人の強豪・三井住友海上へと入社する。そして、そこで衝撃を受ける。自分の柔道がまったく通用しないのだ。
「1年目、2年目は本当に歯が立ちませんでした。立ち技でも寝技でもボッコボコにされて。レベルが違いました。何もできないし、どうしたらいいかもわかりませんでした」
舟久保は柔道の基本中の基本、“崩す”ということを知らなかった。投げ技のとき、馬鹿正直に投げに行っても、トップの選手ならやすやすと対応できる。だから、まず、崩す。そして、崩れた隙を狙って技をかける。
高校までの舟久保は崩す必要もなかったのだ。力勝負で勝てた。
「高校まではただ一生懸命やっていただけで、こうすれば投げられる、こうすれば決まるという部分を全然知らなかったんです。三井住友海上に来て、監督や先輩たちにそういう部分を教えてもらって、少しずつ理解していった感じなんですよね」
ただ、自分の柔道を見直すということは、大きな葛藤を抱えることにもなる。高校で2連覇した全日本ジュニアで、社会人になってからは2度負けているし、東京オリンピックを逃した理由もここにあるだろう。
「キツかったし、果たして自分ができるのかという不信を覚えながらやっていたので、なかなか上手くいかなかった。変わらなきゃいけないと思っていたけど、それが長い間、カタチにならなかったんですよね」
今、舟久保は基本的には、午前中は会社の業務を行い、午後は1時間のトレーニング、そして3時間前後の柔道の練習という毎日を送る。
練習メニュー
練習は基本的に月~土曜日まで、日曜日は休日。ウェイトトレーニングを1時間、その後に練習となる。まず、道場の畳の上でのランニングから。柔軟運動や受け身などを行い、打ち込みに入る。これで立ち技での技術を磨く。
その後、寝技の乱取りや立ち技の乱取りといった実戦的な練習へと移る。全体での練習が終わったあとには、チームメイトに相手になってもらったりしながら、自分の課題を個人練習。「幸せ者」だと語るように、充実の日々だ。
「ウェイトはスクワット、デッドリフト、ベントオーバーロウなど普通の種目を個人的にやっています。フィジカルが大事なので。
ただ、トレーニングで培った力を、いかに柔道で生かせるかということも重要。最近、それを考えるようになってから、カラダが上手く使えるようになったし、小さいケガも減り、ちょっと変わったと思えるようになりました」
2年後には、パリ・オリンピックが迫っている。舟久保はその代表の有力候補であるが、本人に言わせると、「気持ち的には常に崖っぷちに立っている状態」のようだ。これから先、どのように道を切り開いていこうと考えているのであろうか。
「パリに出場して、個人でも団体でもしっかり優勝したいと思っています。そういう選手になるためには、まず今年の世界選手権を獲ることが重要。そのためには、身につけなくてはならない技術や体力や、精神的な部分がまだまだある。
日本にはいい選手が多いので、一刻も止まっていられないような緊張感を常に持っていますね。ただ、緊張感を味わいながら、とても充実した毎日を過ごしていける。これまで柔道を続けてこられた私は、本当に幸せ者だなぁって思っているんです」