新説・サウナ普及のカゲに「五輪」あり!?
実はフィンランド発祥のサウナが各地に根付いたきっかけは近代五輪にあった。いかに国境を超え極東の日本にまで浸透したのか。その軌跡を辿る。
取材・文 / 門上奈央 写真 /akg-images/アフロ、GRANGER.COM/アフロ、TopFoto/アフロ
初出『Tarzan』No.834・2022年5月26日発売
草彅洋平さん
教えてくれた人
くさなぎ・ようへい 1976年生まれ。フィンランド政府観光局が認めた公式フィンランドサウナアンバサダーの一人。文化系サウナコミュニティ〈CULTURE SAUNA TEAM “AMAMI”〉を主宰。noteではサウナに関する記事を公開中。
優勝できたのはハードトレーニングとサウナのおかげ
サウナの世界的な広がりと五輪は、実は切っても切り離せない。
「ではどの大会が始まりかは諸説ある。そこで世界中のあらゆる文献を読み漁った結果、1920年のアントワープ大会が転機に違いないと確信しました」と、『日本サウナ史』著者の草彅洋平さん。
当時の花形は陸上で、金メダルを獲る国は注目を集めた。2強はアメリカとフィンランド。大国・アメリカはともかく、なぜフィンランドが? と皆が疑問を抱いたという。
「象徴的な存在がハンネス・コーレマイネン選手。彼は1912年のストックホルム大会で長距離3種目を制し、3000mの団体競技では個人世界記録を樹立。さらにアントワープ大会の陸上競技男子マラソンで優勝。そんな彼がスポーツ誌で“私が優勝できたのはハードトレーニングとサウナのおかげだ”と語りました。
また、彼を師と仰いだパーヴォ・ヌルミ選手も1924年のパリ五輪で5つの金メダルを獲得し、勝利の秘訣はサウナと発言。アスリート界に一気に広まりました」
日本人で初めてととのったのは織田幹雄選手?
日本のアスリートや陸上競技関係者もサウナに関心を寄せ始めた。1930年にフィンランドに遠征した日本学生陸上競技連合監督の森田俊彦氏はヘルシンキでサウナに入り“疲れを抜くのにこんなによいものはなかった”と『欧州陸上競技会行脚』で述懐。
「日本初の金メダリストの織田幹雄選手もフィンランド遠征時の記録に、サウナに入ると“身体がボーとしてなんとも言へない気持ちになり、眠くなってくる”と書きました。これは“ととのう”感覚をまさに言い当てた記述だと思います。
以後、1930年代開催のロサンゼルス大会やベルリン大会では選手村にフィンランドサウナが設置。フィンランド人選手団だけでなく、他国の選手団の姿も多く見られたそうです」
戦前、海外の文化に触れられるのは、政治家か国際大会に出るアスリートに限られていた。
「体調に人一番敏感なアスリートが、サウナに入って驚異的に調子が上がるのを実感すれば“習慣的に入りたい”と思うのは自然なこと。戦後、柔道やレスリングなど階級制の競技が増え、減量の一環として重宝するアスリートも増えました」
そのなかで専門店が増えて一般市民にも普及し、今に至る。
「“ととのう”ことが目的でないにせよ、アスリートの間では戦前から重宝されていた。サウナに入れば金が獲れる! サウナを愛したアスリートたちの姿から、僕はそう信じてます」
『日本サウナ史』
サウナに関連する古今東西の文献を漁り尽くした草彅さんによる、戦前~現代にかけての日本のサウナ史が辿れる。サウナー必読の書。第1回日本サウナ学会奨励賞文化大賞受賞。3,960円。