「楽しむためには、不安材料も必要なんです」ラグビー・竹山晃暉
中学生のころにはすでに頭角を現し、常に同世代のトップ選手として活躍してきた竹山晃暉。日本におけるラグビー最高峰のリーグで3年を過ごした彼が思うことは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.829〈2022年3月10日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.829・2022年3月10日発売
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竹山晃暉(たけやま・こうき)/1996年生まれ。176㎝、85㎏。中学生のときには奈良県選抜として全国大会で優勝する。御所実業高校3年時に全国高等学校ラグビーフットボール大会で準優勝。帝京大学の1年から3年まで全国大学ラグビーフットボール選手権で優勝。昨年、ジャパンラグビートップリーグで新人賞を獲得した。
鮮烈だったクボタとの試合
日本ラグビーの最高峰であるトップリーグは2021年を以て終了した。今年から、戦いの場はジャパンラグビーリーグワンへと移った。そのトップリーグの最終年に、埼玉パナソニックワイルドナイツのウィングとして優勝に貢献したのが竹山晃暉だ。
デビュー2年目を迎えた竹山。第1節、クボタとの試合は鮮烈だった。前半に右45m(グラウンドの半分の距離)のペナルティゴールを決め、計5本のキックをすべて成功させた。パナソニックといえば、日本代表でも活躍するキッカー・松田力也がいるが、ロビー・ディーンズ監督が試合前に指名したのが、竹山だった。
「ゴールキックを100%決められて勝利に貢献できたということで、これからパナソニックでキャリアを積んでいくためのいいスタートができました。日本代表が何人もいて、若手にもどんどんチャレンジさせる余裕があるワイルドナイツというチームで、自分がプレイできていることはうれしい。この先、僕らが歳を重ねても、こういう余裕があるチームを保ちたいと思っています」
21年のトップリーグは、まずレッドとホワイトのカンファレンスに8チームずつが参加し、総当たり戦を行った。パナソニックはホワイトカンファレンスで6勝1分けと堂々の1位。そして、各カンファレンスの上位チームでプレーオフが行われ、優勝が決まるのだが、残念なことに竹山はケガで出場は叶わなかった。
「これまでシーズン中に、試合に出場できないぐらいのケガをしたことはなかったので、悔しかったですね。ただ、(プレーオフの)決勝の行われる週には、リハビリも行って復帰していた。最後の最後までメンバーに絡みたいと思っていました。結果的には選ばれなかったけど、ナイツメンバーとしてワイルドメンバーを送り出せたことは、自分の経験としては非常に大きかったんです」
ちょっと説明が必要だ。パナソニックでは、試合に出場するメンバーのことをワイルドメンバーと呼び、控え選手はナイツメンバーとなる。
選手層の厚さがあってこそのことなのだが、試合前になるとナイツメンバーが相手チームの攻撃、ディフェンスを模して、ホワイトメンバーの相手を務める。相手チームの特徴を覚えて、それを真似るというのは、そう簡単なことではないだろう。
ただ、その分だけいろんな戦術を学ぶこともできる。竹山はこれが自分にとってプラスになったと言うのである。プレーオフの決勝でパナソニックは宿敵サントリーを破って優勝する。そしてこの年、彼はトップリーグ最後の新人賞を手にしたのだ。
自分にとって帝京大学は、一番重要な場所
竹山は3歳のときからラグビーを始めた。“じゃあ、そのころの記憶って残ってないですよね?”と聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「実は何となく、覚えているんです。子供がいっぱい集まってダンゴ状態になっている中で、ボールをつかんで、そのままトライするっていう感覚ですね。すごく小さいときのこの感覚は、今でも自分の中ではっきりと残っています」
まさか、3歳児にラグビーという競技は理解できないはず。竹山も「鬼ごっこです」と笑う。ただ面白くて続けているうちに、どんどん実力が上がっていった。ウィングというポジションは走力とステップワークが重要で、ポイントゲッターでもある。
竹山の父・和彦さんは星鶴王という大相撲の元幕下力士。強い脚力は父親譲りなのかもしれない。中学生になると、全国区で名を知られるようになる。地元・奈良県選抜の主将として全国大会で優勝したのだ。
高校も奈良の御所実業高校。竹田寛行監督に誘われたのがきっかけだ。1年からレギュラー。3年時には高校ラグビーで準優勝を果たす。
あるスポーツ新聞は、準優勝ながら「御所実の“怪物”竹山晃暉を見逃すな」と見出しを打ったほどである。いかに力があったかがわかるだろう。大学は帝京大学。当時、大学選手権で6連覇を成し遂げたチームだった。
「自分にとって一番必要な大学だと思いました。高校のときから、帝京でラグビーをやることが、成長にダイレクトに繫がると考えていたんです。関西にも強いチームはあるんですが、ずっと関西にいるのは逃げじゃないかと感じました。あの強いチームで、どこまで通用するのか、まったくわからなかったですけど」
それでも1年からレギュラーになった。帝京は連覇を9まで伸ばす。ただ、竹山が副将の4年時には、優勝を逃してしまう。連覇は途絶えた。このとき竹山は「10連覇と言って入学してきたんですけど…」と涙を流し、言葉を詰まらせた。
チームのウィングとして輝き続けていきたい
パナソニックに入ったとき、竹山は驚かされたことがあった。それが、プロフェッショナルな生き方である。
「与えられた環境ではなく、個々が自分で環境を作ってラグビーに取り組んでいました。言えば一人ひとりが一本の木なんです。だから、それが集まると本当に強力。大学では、これは学生スポーツの魅力でもありますが一致団結、チーム全員で一本の木になることが大切でしたから」
練習量も量や質が、大学とはまったく違った。
「シーズン中の今は、月・火曜日に練習、水曜が休みで木曜にまた練習です。金曜日がキャプテンズラン(試合前日の練習を日本では伝統的にこう呼ぶ)で、土曜日は試合。ほぼ毎日ラグビーです。
それにウェイトトレーニング。僕は内田(啓介・スクラムハーフ)がウェイトパートナーですけど、彼から学ぶことも多いんです。プロップ(フォワードの1列目の両サイドのポジション)にも負けない重量でやってます。スクワットで190㎏とか。一緒にやることで、トレーニングの質も向上しますね」
竹山が入団したとき、同じポジションには福岡堅樹さんがいた。19年に日本で開催されたワールドカップで4トライを挙げ、ベスト8進出に貢献した選手だ。昨年、医師になるために、惜しまれつつ引退した。
「同じウィングとしてプレッシャーを感じていました。堅樹さんって、どんどんトライを重ねていくので、僕が仕事してないように見えるんですよ(笑)。ただ、引退した今でも堅樹さん、毎試合メッセージをくれるんです。アレはこうしたほうがよかったとか、あのプレイはうまかったとか。
パナソニックのウィングとしてのチケットを僕に手渡してくれたような感じで、特別コーチがいると思うととても心強いですね」
昨年、パナソニックは埼玉県熊谷市へと本拠地を移転し、今シーズンよりチーム名の頭に埼玉の文字を入れた。新たな気持ちで臨んだリーグワンだが、第1節、第2節と新型コロナの影響で中止に。その後、第6節までは勝利を収め(2022年2月19日現在)、竹山も6トライを挙げている。先が見えない今、彼は自分の将来をどのように俯瞰しているのか。
「今年は、対戦相手と自分自身と、そしてコロナとも闘うような一年になっていくような気がしていますね。僕自身は試合を楽しむことが重要だと思っています。でも不安材料も選手にとっては必要です。それがあるからしっかり準備ができて、緊張感も生まれる。不安がいいサイクルを生むんです。
そして、開始の笛が鳴ったら、見ている人に楽しんでもらうためにも、自分も楽しむ。そうやってパナソニックのウィングとして輝き続けられたらと思っています」