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フランス生まれの父と日本人の母を持つ。ヨーロッパでF1への道を探っていた彼は、今年から日本のサーキットを駆け巡る。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.817〈2021年8月26日発売号〉より全文掲載)
日本では最高峰となるモーターレース、スーパーフォーミュラ第3戦で、見事優勝を果たしたのがジュリアーノ・アレジである。彼は今年が日本に来てのルーキーイヤーであり、普段戦っているのは、1つ下のカテゴリーのスーパーフォーミュラ・ライツだ。
スーパーフォーミュラに出場したのは、正ドライバーの中嶋一貴がWEC(世界耐久選手権)にフル参戦するための代役だった。ジュリアーノは第2戦では9位となり、第3戦ではトップでフィニッシュした。
これがどれくらい凄いかは、過去で比較すればいい。F1にまで上り詰めたストフェル・バンドーンとピエール・ガスリーは4戦以上をかけて優勝した。2戦での優勝は2006年のロイック・デュバルまで遡るし(そのころの名称はフォーミュラ・ニッポン)、それ以前というと96年のラルフ・シューマッハという懐かしくも偉大な名前と出合う。
話を戻そう。第3戦の舞台となったのは大分県のオートポリス。高低差のある難コースで、アレジにとっては初めてのサーキット。おまけにコンディションは最悪の土砂降りの荒天。
ジュリアーノと親交が深くレースを見たレーシングドライバーのレーサー鹿島さんは「まだ乗り慣れていないレースカーでのスタートは心配したけどうまくやった。あとは完璧で、あの荒天の中を初めて走ったサーキットなのに驚かされた。雨だと特に難しいコースですからね」と語る。本人にも聞いてみた。
「コンディションが変わるとき、本当に難しくなるので、普通より集中力がダブルになる。ちっちゃいミステイクですぐスリップするから。日本のサーキットは壁が近いからすぐに車が壊れる。ヨーロッパは広い。だから、プッシュするときはするんだけど、ちょっとした保険が大切になってくる。
車とのフィーリングがよくなって、安全に運転できる自信があって、メカニックとのセッティングがぴったりなのがいい。それが一番難しいことなんだけど、初めてでもトライする価値はあるね」
紹介し忘れたわけではないが、彼の父は元F1レーサーのジャン・アレジ氏であり、母は女優の後藤久美子さんだ。そして、彼のこれまでのキャリアは素晴らしいものだった。2016年にはF1の名門フェラーリの若手育成プログラムである〈フェラーリ・ドライバー・アカデミー〉に参加、19年にはF2にも挑戦している。
F2は日本のスーパーフォーミュラに相当する。これだけを見れば近い将来、F1にも手が届きそうな男と言っていい。ところが、彼は日本を選んだのである。
「ヨーロッパで僕の目標はF1だった。でもいろんな理由があってそれは難しかった。だから、日本でキャリアを作りたい。F1は夢だけど、夢は夢。リアリティは日本です。日本のモーターレースは、ものすごくピュア。でも、ヨーロッパはポリティカルだしビジネス。だから、日本に行きたいと思った。パッションがあるから。
それに、お母さんが日本人だから、僕も半分日本人。自分のオリジンを知りたかった。僕の日本語はそんなにうまくないけれど、それもチャンス。クラスを(スーパーフォーミュラ・)ライツにしたのは、日本で一から始めて勉強しようと思ったから。ゼロから、ジュリアーノ・アレジを作りたいんだ」
ヨーロッパで選手として成功するためには、莫大な費用がかかる。というか、お金がなければ、キャリアを積み上げていくことができないようになっているのだ。
しかし、成功したときには、それ以上の大金と名誉が転がり込んでくる。そのため、アレジが言うように政治的な要素も絡んでくるし、人との繫がりも大きなビジネスの上に成り立っている。事実、ジュリアーノのために、父のジャン氏は愛車であるフェラーリの最高級車F40を売却している。
父は「ガレージにF40があることと、息子のレースを見ることは比較にならない」と、たまらない言葉を残しているが、これがヨーロッパの現実なのである。ジュリアーノと話していると、朴訥としながらも、真摯でわかりやすい返答をしてくれる。ただレースがしたいという青年が、政治的でビジネス的な世界を嫌になったのも、当然ではないだろうか。
さて、彼のチームメイトだが、まず前述した中嶋一貴を挙げよう。彼の父・中嶋悟氏は日本初のF1ドライバーで、90―91年シーズンはジュリアーノの父ジャン氏とともに、ティレルのドライバーとして活躍した。
ジュリアーノが今年日本の名門〈チーム・トムス〉に入ったことで、親子揃ってチームメイトとなった。
「ヒストリーが続いているような感じがしています。まだ一緒に走ったことはないのですが、彼のキャリアはリスペクトしているし、ヨーロッパでも頑張っていますから。
中嶋さんの車(スーパーフォーミュラは中嶋の車で出場)を盗ったときは…、いい感じ(笑)。だって、ジャパニーズ・レジェンド・ドライバーの車なんだから。父も悟さんによろしく伝えてくださいって言っていたし」
そしてもう一人は、ジュリアーノが先生と呼ぶ宮田莉朋である。今年、スーパーフォーミュラのルーキーイヤーを迎えた彼は、これまでの4戦で最高位が4位。そして、すべてのレースでポイントを挙げている。
「リトモさんは日本に来たときから、“ちょっと手伝って”なんて言われて、それで先生。初めてのサーキットに行くときは、リトモさんにどんなコースか聞きます。すると、ここはこうで、こっちのコーナーはこんな感じなんて教えてくれる。それで、ステップアップできている。
すごいアドバイス。ヨーロッパじゃライバルの間でこんなことありえない。だからみんなほとんど聞かない。ピュアとビジネスは絶対に合わない。本当に日本に来てよかったです」
今、ジュリアーノが住んでいるのは静岡県の御殿場市。ここにはトムスの御殿場テクニカルセンターがある。アパートで簡素な一人暮らしだ。
「東京よりいい。自分がずっと住んできたのも田舎だったから。関谷(正徳・トムス元チーム監督)さんとか、よくごはん食べに行ったりして。それに、関谷さんの友達で秋山さんっていう板金屋さんがいて、家の前を通るとコーヒー飲んだりして、3人、御殿場ファミリーです。
御殿場じゃ日本語しか通じないから、どんどんしゃべっていて、でもまだ難しい。子供のころはパーフェクト、全然問題なかったんですけどね」
なかなか楽しそうな生活だが、ジュリアーノの頭の中は、常にレースのことだらけ。何かあればすぐにエンジニアと話し合えることも、御殿場に居を構えた大きな理由なのだ。
「朝起きたら、まずストレッチ。ごはんを食べたら、そのまま走りに行くかジム。終わったらランチ。それから、掃除。初めての一人暮らしだから。その後、トムスへ行ってエンジニアと話して、また走るかジム。
ただ、僕はトレーニングで力をつけたいけど、大きくなりたくはない。体重が軽いと車のセンターにウェイトを置けて(制限体重に届かないドライバーは車の下部に足りない分のウェイトを載せることができる)、バランスがいいから。
だから、ヘヴィウェイトで低回数。これで、力をつける。僕はあんまり姿勢もよくないから、それを正すこともウェイトトレーニングをする理由だね」
母親の母国で再スタートを切ったアレジ。ここまでは、環境に馴染み、結果も残してきている。これから先のさらなる活躍にも期待したい。
「まずは、日本でキャリアを作りたいので、ここにいたい。スーパーフォーミュラで走りたいけど、そこに行くまで頑張ることがいろいろあるから、今年が終わったら来年、そしたら次。ステップ・バイ・ステップ。
あんまり多くを見るのはよくない。一から始めているから、集中して上を目指したい。簡単じゃない。やることはたくさんありますね」
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文 写真提供/©TOM’S INC. 取材協力/TRANSMISSION Co., LTD.
初出『Tarzan』No.817・2021年8月26日発売