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突き抜けたいなら「選手」ではなく「プレイヤー」に|世界スポーツ見聞録 vol.29

写真/アフロ

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、スポーツ「選手」よりも「プレイヤー」を目指すべき理由。

「選手」と「プレイヤー」の違い。

普段、日本語と英語を行きつ戻りつしてスポーツに関わる仕事をしているのだが、翻訳はできるのだけど“微妙にニュアンスが違う”ということがしばしば起こる。しかも難しい単語ではなくて、改めて意味を考えることもない至って簡単なものだったりして、言葉の難しさと面白さを感じるのだ。

たとえば「選手」と「プレイヤー」が、まさにそれだ。いずれも、言わずもがなだが“スポーツをする人”である。しかし、丁寧に言葉を見れば、そこから立ち上る意味合いは異なっていたりする。

「選手」とは、字が示す通り「選ばれた人」だ。辞書を引けば「競技会・試合などに選ばれて出場する人」、あるいは「スポーツを職業とする人」とある。つまり競争があり、それを行う訓練を受けており、熟達している者、といったところだろうか。何やら厳しさのような、大変そうだな、という印象も受ける。

一方、「プレイヤー」は、スポーツの競技者もそうだし、楽器の演奏者やカードやチェスなどのゲームをする人にも使われるし、「Play」という言葉が遊びや戯れを意味するのはご存じの通りで、レクリエーションも含まれていることがわかる。米国にいる際に、友達の結婚式で出会った人が「おれはテニスプレーヤーだぜ!」と言うので、後日テニスコートに集まって打ち合ったら、熟達しているとは言えず、聞けば数回やったことがある程度で少し戸惑ったけれど、「プレイヤー」とはそういうことなのだと理解できたし、「プレイヤーだぜ!」と言えてしまうカジュアルさや寛容さは、とても心地が良かった。

線引きが曖昧な「スポーツ/運動/体育」。

日本で「プレイヤー」が「選手」という、ある種の“カタさ”のある言葉になった原因は何なのだろうか? おそらく「スポーツ」が普及した背景、そしてその言葉のあいまいさも関係しているのだろうと思う。

スポーツの語源は、ラテン語の「deportare」にあるとされ、気晴らしや休養、日々の仕事や生活から解放される楽しみを意味している。日本でも、明治期に野球が伝わったことをはじめ、スポーツは外来文化であり、当時は「遊戯」等の言葉に訳されていたようだが、一方で、学校や軍隊での身体形成、教育としての運動が「体育」として広がっていった時代背景もある。

スポーツ/運動/体育という言葉が絡み合い、それぞれの意味や線引きがあいまいになってしまい、運動=スポーツと認識され、身体教育の手段として有効だと考えられたとすると、「選手」という“カタさ”を伴い、「プレイヤー」という寛容さとは異なる捉え方をするのもうなずけるのではないだろうか。

突き抜けたレベルアップには「遊び」が重要。

さて、原稿の半分を使ってしまったが、ここからが本題だ(前置きが長くてすみません…)。競技者としての「選手」と、レクリエーション=遊びに取り組む「プレイヤー」は別物だ、と言いたいわけではない。あるいは競技レベルという意味であれば、何なら前者の方が優れていると思ってしまいそうだが、実はそうではなかったりする。

ここでイギリスの研究者、ポール・フォードらが行ったとても興味深いリサーチを紹介したい。

イングランド・プレミアリーグのユースチームのメンバーと、それ以外の一般的なサッカーチームに所属したメンバーとで、彼らが6〜12歳の時に「試合」「練習・サッカー活動」「プレイ(=遊び)」それぞれに費やした時間の差異を比較した。その結果、試合の時間はほぼ変わらなかったが、ユースチームのメンバーは他のサッカーチームのメンバーよりも多く練習していたことがわかった。それはそうだろう、と思うかもしれないが、面白いのはその先だ。

ユースチームに所属し、その後プロになったメンバーは「プレイ(=遊び)」に費やした時間が長く、ユースチームに所属したがプロにならなかったメンバーおよび他のサッカーチームのメンバーは、その時間が短かったのだ。つまり、ある程度のレベルアップには練習量が大事な一方、突き抜けたレベルに行くには「遊び」が重要、ということになる。

さまざまな競技において、日本のジュニアは世界でもトップレベルの成績を収めているが、やがて大人になりトップチームになると世界で上位に入るのが難しい、という類いの話はそこここで聞く。プレミアリーグの調査が示す通りであればジュニアのトレーニングが厳しさに偏っている可能性もあり、選手としての練習もさることながら、プレイヤーとして「遊び」の感性を育てる仕掛けも必要だろう。

飛躍するかもしれないが、これはスポーツに限らずさまざまな文化活動や、はたまた仕事にも言えることかもしれない。ある程度のレベルまで達するだけでなく、突き抜けた場所に行きたいのならば「選手」ではなく「プレイヤー」として成長する道が必要だ。長年その仕事を続けて、たとえば「10年選手」などと言われるのは、場合によってはネガティブな状況とも考えられる。何気なく使っている言葉を少し疑ってみると、そんなことが見えてくるかもしれない。

田丸尚稔(たまる・なおとし)/1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学スポーツウエルネス学位プログラム(博士課程)在籍。

文/田丸尚稔

初出『Tarzan』No.807・2021年3月25日発売