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「無駄とも思える筋トレ」が人生を豊かにする理由|世界スポーツ見聞録 vol.28

トレーニングは、健康になることやパフォーマンスを上げるためではなく、“苦しんでやること”に大きな意義がある!? ※写真はイメージです。

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、筋トレの負荷と暇の相関関係。

なぜ“面倒くさい”が楽しいのか。

自宅に籠もる日々は当分続きそうな気配だが、そんななか、奇しくも二人の友人から同じような話を聞くことになった。なんてことはないのだが、二人とも電動ではなく手動のコーヒーミルを手に入れた、というのである。

炒ったコーヒー豆をミルに入れ、手を使ってハンドルを回し、ゴリゴリと挽いていく。飲む前からそこに立ち上るコーヒーの香りを楽しみ、挽いた豆に適度に熱したお湯を注いで、あとはお気に入りのカップで味を楽しむ…という一連の作業のオサレさへの憧れよりも「面倒ではないのか?」というのが率直な感想だった。

何もわざわざ手で挽かなくても…というこちらのコメントには二人とも“面倒なんだけどねえ”とか“ヒマつぶしだよ”などと言いながら楽しそうな雰囲気が印象的で、それらの言葉を聞いて、なるほどと合点がいった。

“ヒマ”について考えるのであれば、2011年に上梓され、15年には増補新版が発売された『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著、太田出版)を一読いただくことを強くお勧めする。さまざまな思想家の「退屈」論をひもとき、批判し、人間の在り方を問う壮大な啓蒙書だと私は思っているのだが、ここで紹介する一部の私の解釈で内容を理解した気にならず、どうか隅から隅まで読んでいただきたい、そんな類いの書籍だ。

人は、退屈だと“負荷”を求める。

ともあれ。本の中で、17世紀のフランスの思想家、ブレーズ・パスカルが論じる気晴らしとしての“ウサギ狩り”に関して考察している。乱暴にまとめるとこうだ。退屈に耐えられない人間は、そこから逃れる術=気晴らしとしてウサギ狩りを行う。ウサギ狩りと言うからには、お目当てはもちろんウサギだ。しかし、例えば誰かがウサギを渡せば満足するのかというとそうではなく、気晴らしにはならない。つまり本当に欲しいのはウサギではないということになる。

汗をかきながら野山を駆け回り、長い時間をかけ、場合によっては全く獲れないこともあるかもしれない。骨折り損だが、しかし気晴らしになる。パスカルは、気晴らしに重要なのは獲物を捕まえることではなく、それに“熱中できること”であると説く。では、熱中するためにはどんな条件が必要なのか。繰り返すが、簡単にウサギを獲得するのでは、気晴らしにはならない。汗をかいたり、長い時間がかかったり、ウサギになかなか出合えなかったり。

つまり、広い意味での“苦しみ”や“負荷”が大事だ、というのだ。言い換えれば、人は退屈から逃れるためには、負荷や苦しみをわざわざ求める、ということになる。

“ヒマ”はネガティブなことではない。

冒頭のコーヒーミルの話に戻そう。友人二人は、余った時間が退屈に陥らないように、わざわざ手動で豆を挽いていた。性能の高い電動のものに比べれば、挽きムラがあるだろうし、手間もかかるし、疲れる。しかしその負荷こそが人を熱中させ、コーヒーを飲むことそのものよりも大事だったということがよくわかるだろう。

もう一点、指摘しておきたいのは、ヒマ=退屈ではない、ということだ。言葉を改めて考えればシンプルで、ヒマとは何もすることがない“状態”で、退屈は人の“気分”や“感情”である。しかし日本ではヒマと言うとどうにもネガティブな響きがしてならない。“ヒマな奴”は、仕事がないとか、趣味などやることがないとか、あるいは友人がいないダメな人、という雰囲気がないだろうか?

しかし歴史を見れば、かつての上流階級は働く必要もなく時間=ヒマがあり、庶民があくせくと働かざるを得ない“貧乏ヒマなし”だったと言えば、どうだろう? さらに、ヒマがあったからこそ、芸術やスポーツなど生活を彩るさまざまなものが生まれていると考えれば、ヒマとは豊かさをもたらすポジティブなものとも考えることができる。

苦しい筋トレが、人生を豊かにする。

渡米前に日本で働いていた際は、早く帰ることにネガティブさを感じていたのだけれど、思えば幻想だった。今は在宅勤務が進んでいるが、コロナ後には元に戻るのではなく、また“働き方改革”を勤務場所やツールの話に留めずに“時間=ヒマを作り出す豊かさ”について改めて考えてみてもよいかもしれない。

米国で働いていた環境では、午後5時に「家族とビーチに行くから帰る」と笑顔で言う同僚に最初は面食らったけれど、あれはとても豊かだったし、さらには経済的にもうまく回っている企業だった。日本では長時間働いたとして必ずしも景気が良くなっていないとすれば、皮肉なものである。

最後に。本誌読者の皆さんはトレーニングやスポーツに勤しむ方が多いと思う。時には“その筋肉はどこへ向かっているのか?”とか“休日をまた無駄なスポーツに費やすのか?”などと冷ややかな視線を浴びた経験があるかもしれない(私はあります)。

しかし自信を持ってほしい。我々にとって大事なのはウサギやコーヒーのようなゴールではなく、一見無駄とも思えるヒマな時間で熱中できること、それが人間として豊かに暮らすことなのだと、胸を張って(胸筋を見せつけて?)いただきたい。

田丸尚稔(たまる・なおとし)

1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。

文/田丸尚稔 写真:plainpicture/アフロ

初出『Tarzan』No.805・2021年2月25日発売

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