• 「ライバルを超える。その努力が実を結ぶ時期が来ています」柔道・田代未来
COLUMN
2021.02.28

「ライバルを超える。その努力が実を結ぶ時期が来ています」柔道・田代未来

柔道・田代未来
田代未来(たしろ・みく)1994年、東京都生まれ。164cm、63kg、体脂肪率15%。2013年、ヨーロッパオープンでシニアの国際大会初優勝。16年、リオ・オリンピック5位。17年、グランドスラム・東京、ワールドマスターズで優勝。19年、世界選手権2位。20年、グランドスラム・デュッセルドルフで優勝。コマツ女子柔道部所属。

コロナ禍で試合も練習もできなかった辛さを乗り越え、世界に実力を示す! ナンバーワンになる時を彼女は待っている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.804〈2021年2月10日発売号〉より全文掲載)

ライバルの話題で、雰囲気が一変。

稽古の激しさとはうって変わり、インタビューの受け答えをする田代未来の表情は穏やかで、やさしい笑顔に包まれていた。強く主張する感じではなく、自然な口調で考えながら話す。

昨年の2月下旬に、彼女はドイツで開催された柔道グランドスラム・デュッセルドルフ大会に出場して優勝し、東京オリンピック代表の座を手中に収めたのだが、そのときのことを尋ねると彼女はこんなふうに振り返るのだ。

柔道・田代未来

「ちょっとずつコロナが話題になり始めていたんです。悪いことに私は毎年冬になると気管支炎の症状が出がちで、あのときも咳が止まらなくなって…前もってお医者さんにかかったら、やっぱり気管支炎と診断されました。大会出場のために飛行機に乗ってドイツに行くとき、咳き込んで周囲の人からコロナだと思われるのが、すごく怖くて。胸に“気管支炎です”って記したプレートを掲げておきたいぐらいでした」

戦々恐々としたフライトは、試合を控えた選手にとってストレスの源だったろう。しかし、ドイツに着いたら不思議と咳が治まった。

「1か月ぐらい薬を飲んでも止まらなかった咳が、機内では抑えても出ていたんですけど、ドイツに着いた途端ピタッと止まって体調がよくなったんです。湿度か気温の関係ですかね…それで柔道に集中して、一戦一戦しっかり戦えました」

気負った様子もなく、微笑みながら淡々と語る。トップアスリートというより普通の女の子の雰囲気なのだが、試合内容やライバルとの対戦の話になると、一瞬、雰囲気が変わるのだ。笑顔の中に鋭さが出るというか、眼の奥に力が宿る。柔道家としての矜持が表に出るのだろう。

現在、田代は世界ランキング3位。つまり、上位に2人の選手がいる。1人はスロベニアのティナ・トルステニャク。ランクは2位で田代より上だが、10戦10勝しているので田代にとっては戦いやすい相手なのだろう。

実際、「オリンピックと世界選手権の優勝者なので強いんですが、相性はいいです」と本人も語る。問題は1位のフランス代表クラリス・アグベニューで、戦歴1勝10敗と大差をつけられている。田代にとって、アグベニューは越えたくてもなかなか越えられない壁なのである。

柔道・田代未来

強敵が評価されると、悔しい反面、うれしくなる。

「アグベニュー選手は、試合を見てもらうとわかることですが、技術、パワー、そしてフィジカルのすべてを兼ね備えた柔道家です」と田代は話す。が、これまで何度もアグベニューの試合を見た印象として、彼女の柔道は規格外に思える。ろくに襟も取らずに投げを打ったり、力に任せて相手を振り回したりしているようで、強いことは確かだが、正統派という感じは全然しない。

「それは、よく他の選手も言うことなんですよね。“なんであんな乱暴な柔道なの。向こうが出てきたときに背負い投げをかければ絶対決まるよ”なんて感じで。だけど彼女がすごいのは反応が速いところで、簡単には技をかけさせてくれません。組み手も雑に見えますけど、いろいろ細かいテクニックを駆使している。とにかく上手いんです。だから実際に彼女と対戦した選手が“やっぱりアグベニュー選手は違うね”なんて言っているのを聞くと、私は負け続けているので悔しい半面、わかってくれたってうれしくなるんです」

柔道・田代未来

田代は、アグベニューのすごさはそれだけではないと語る。

「合宿で一緒になってわかったことですが、日本と海外の選手みんなと比べても一番よく練習する選手でした。外国人選手には気持ちにムラがあるというか、練習がキツくなってくると道場に座り込んで、休んでしまう人も多い。そんな中で、アグベニュー選手だけは練習熱心な日本人を相手に乱取りを延々と行う。彼女の練習をこの目で見るまでは、どうして勝てないんだろうという疑問が常に頭にあったのですが、実際に見てから、逆に尊敬するようになりました。彼女の強さには理由があるとわかった。そして、自分が一層の努力を積んで彼女に勝てば、大きなものを得られると思い始めたんです」

屈辱的な経験を糧に、鍛錬を重ねた。

2016年のリオデジャネイロ・オリンピックで田代は屈辱的な経験をした。これもアグベニュー絡みである。準決勝で彼女に敗れ、3位決定戦でイスラエルのヤーデン・ジェルビに負けてメダルに手が届かなかったのだ。日本代表の14人の柔道選手のうち、リオでメダルを逃したのは田代ともう1人だけだった。

「アグベニュー選手との試合では、ラスト30秒で指導を受けたのが敗因でした。小さいことが、大きな結果に繫がってしまうのだなと、そのときつくづく思いました。帰りの飛行機の中で日本代表の他の選手と一緒にいるのが辛かったです。みなさんメダルを獲ってるし、一緒に日本に帰ることがとても苦痛でした」

日本の柔道選手にかかるプレッシャーの大きさがわかる話だ。多くの日本人には、柔道は金メダルが目標でメダルは獲って当然という気持ちがどこかにある。選手はその期待を背負って前に進むのだ。メダルなしで日本に帰りたくないと思った田代の気持ちが切り替わったのは、空港に降り立った直後だった。

「“みなさん、メダルをご用意ください”って言われて、12人はメダルを着けて歩いていく。私はメダルを持っていないので、首から下げられない。こんな思いを二度としたくないなら、この先がんばるしかない。ここから再スタートだと思いました。報道陣の前を通って荷物を受け取り、一度集合しました。そこでまた“メダルを獲った人は、こちらの通路へどうぞ。それ以外の人はメダルを獲った人がセレモニーを終えるまでここで待つか、一般用の通路から出てください”と言われました。ずっと待っているのも何なので一般の通路から出たのですが、厳しいなぁと思いましたね」

柔道・田代未来

今はこの経験を前向きに捉えて田代は、「もし銅メダルを獲ったら、私はそれで満足したかもしれません。オリンピックで金メダルを獲るために与えられた試練だと考えるようになった」と、語るのである。

リオ五輪の翌17年。屈辱を晴らすかのように、田代は初めてアグベニューに勝利する。ロシアのサンクトペテルブルクで開催されたワールドマスターズの準決勝において、パワーで迫るアグベニューに対して大外刈りを連発。強気の攻撃を続け、延長4分21秒7に左大内刈りで一本を奪ったのである。その後は、勝利こそないが、試合内容がほぼ互角になったといってよく、ライバルの存在は確実に田代を強くしていった。

「アグベニュー選手、やっぱり強いです。この人すごいなぁと思う。でも、その選手がいるので、今、私ががんばっていられるし、成長できている。以前は大きな差を感じていたんです。“次は勝ちます”などとコメントしても、そもそもどうやって勝てばいいのか見えてなかった。怖いって意識もあった。けれど今は、同じ人間だし、私には彼女にない強みがある。それを出していこうと考えて戦えるようになりました」

世界ランキング3位の田代は他の選手から狙われる存在でもある。田代を研究し、勝てる方法を絶えず探ってくる。そういった敵も、確実に倒していかなくてはならない。

「合宿などで一緒になると、自分が研究されていると感じることはあります。それでも、いざ試合になると“私、ここで躓いていられないから”という気持ちが勝ちます。大抵、決勝まで行かないとアグベニュー選手と対戦できない。そういうことも支えになっていて、“研究はいくらでもしてくれ、それ以上のものを返してやる”と思いますね。どの選手も同じことをしてくるんです。私がアグベニュー選手にばかり負けるので、彼女の技を真似してくる。だけど、アグベニュー選手とはスピードも、タイミングも比較にならない。だんだん腹立たしくなるんですよね。“ちょっとやそっと真似をしても通用しないことをわからせたい”って闘志が燃えるんです(笑)」

柔道家の顔つきで田代は笑った。

自分の柔道を見直していきたい。

2020年の五輪代表の座を手にしたデュッセルドルフ大会を最後に、柔道の大会は新型コロナの影響で途絶えた。練習もままならず、7月から再び柔道着で練習できるようになったが、なかなか実戦の機会はない。

「まず、柔道着に肌を慣らす必要がありました。着ていない自粛期間に肌が弱くなり、擦れて真っ赤になってしまうのです。そこから始めて、組み合う稽古に移ったのは10月に入ってからです。自分のスピードとか技のタイミングなどの感覚が戻ってきたのはその2か月後、年末ぐらいですね。一度リセットされた状況で、自分の柔道を見直して少しずつ変えていくと、新たな柔道を発見できるんじゃないかと考えています」

柔道・田代未来

コロナ禍はやまず、オリンピック開催もさまざま取り沙汰されている。不安な部分もあるだろうが、田代はどう受け止めているのか。

「ずっと目標にして鍛錬してきたので、開催されればいいなと思っています。成長した自分の力でライバルのアグベニューを倒せば金メダルは獲れるはずです。リオ五輪の当時と今は違うと断言できる自分がいる。そのことを信じて日々やっていこうと思います。世界的な大会が再開されるのがいつになったとしても、そこで文句なく優勝できるように、しっかりと準備だけはしていきたいと思っています」

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.804・2021年2月10日発売

Special