「デュアルキャリア」の一歩先へ。
アスリートのセカンドキャリアについて、ここ最近は議論がより活発になっているように思う。目新しいテーマではないけれど、やはりコロナ禍の影響によるオリンピック・パラリンピックの延期が大きいだろう。1年を待たずして五輪出場の断念や現役引退を表明するトップ選手が競技を問わず相次いだのは少なからずショックだった。
出場することそのものや、メダル獲得の有無が以降の人生に大きな影響を与えるのは想像に難くないし、4年に一度しか開催されない大会であれば、この延期によって選手自身やその周囲もキャリアについてシビアに考えざるを得ない状況なのは間違いない。一線を退いた後、どのような人生が待っているのか?
もちろん今回の一連の流れに限らず、プロ選手の多くが20代で引退している現実を見ても、スポーツが抱える大きな課題となっている。
一方で、アスリートのキャリアを支援する取り組みが増えているのも確かだ。行政が主導する取り組みもあれば、ベンチャー企業がオンラインを中心とした新しい学びの場を提供し始めてもいる。「セカンドキャリア」として、引退後にいきなりキャリアチェンジを迫るのではなく、「デュアルキャリア」として現役中から学業やビジネスに取り組むことで選手とは別軸のキャリア形成を図るという考え方も一般的になった。
さらに一歩進んで、アスリートとして歩んできたキャリアそのものを社会に役立つ資産として認識、活用していくという向きもある。スポーツの世界と一般的な社会を分断せず、アスリート=個人の価値として捉える。だから「セカンド」でも「デュアル」でもなく、アスリートであることもひっくるめた地続きでシンプルな「キャリア」になる。
スポーツに留まらない能力。
しかし、言うは易し、だ。これまで出会ったアスリートの多くは、言い方に多少の違いはあれど、似たように“スポーツしかしてこなかった”と後悔のような、嘆きのような言葉を口にする。
年収1億円を超えるプロ選手も、あるいはオリンピックでメダルを獲得した選手も、一般的には“成功”したアスリートですら引退後を想像したときにそのような気持ちを吐露していたから、スポーツに真剣に取り組んでいるアスリートたちの多くは似たような不安を抱えているのだろうと想像できるし、その意識を変えるのは容易ではない。
ではなぜ「スポーツしか」やっていない、と思ってしまうのか。それを理解するには、米国のスポーツ教育の現場にいた際に見た、指導者と選手の在り方を説明するといいかもしれない。
サッカーフィールドで、その日は実戦形式の練習を行っていた。水分補給のため休憩を取ったとき、コーチが声をかけたのはボランチの選手だった。敵・味方の動きを広い視野で捉え、試合をコントロールしていた働きをベタ褒めし、そのパフォーマンスをビジネスのマネジメントでも活かせると称賛、さらには「君は将来きっと成功するだろうから、そしたら俺を雇ってくれ!」と冗談で締めた。
コーチの褒めたポイントをまとめるとこのようになる。目指すゴールを設定し、達成のために必要な人材を配置、阻害要因を特定し、効率的で効果的な戦略を選び、失敗すれば改善・修正し、チームを勝利に導く。こう書くと、サッカーというよりビジネスの文脈で使える文章になっていないだろうか?
スポーツに内在する多面性。
その他にもチームワークや集中力の保ち方、ピークの作り方、咄嗟の判断力などさまざまなものがスポーツを通して磨かれることを機会があるたびに説き、「スポーツしか」やっていないどころか、仕事でも勉強でも日常の生活でも、人生で役に立つスキルやノウハウがたくさん蓄積されることを理解することになる。
言うなれば指導者は、スポーツとの関わり方を言語化し、ライフスキルに転換する「翻訳者」なのかもしれない。もし、そのような翻訳者が日本に増えればどうなるだろう? アスリートであることが社会と分断されず、スポーツがもたらす喜びは上達や勝利に留まらないはずだ。
人生を豊かにするものとしてスポーツのポテンシャルが最大限に引き出され、アスリートの個人としての「真価」が認められることになれば、キャリア形成の考え方が根本的に変わるのではないか。特にジュニア期のスポーツの在り方が重要だとすれば、変わるべきなのは選手=子供ではなく、指導者=大人である。
スポーツはたくさんの価値を運んでくれる。しかし、最後に冷静な視点も付け加えたい。スポーツへの参加がもたらす効果として、教育的、社会的な成長を促すというポジティブな影響を報告する研究が日本や米国である一方、学業の成績が低下したり、性衝動を促進したり、反社会的な行動を促したりといったネガティブな影響を示すものもある。
つまり、手放しに、スポーツをやれば人として成長する、とは言えないのである。常に盲信的にならないこと。その態度もまた指導者=大人に必要だ。
田丸尚稔(たまる・なおとし)
1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。