• コーチングは、チャットボットが行う時代に!?|世界スポーツ見聞録 vol.26
COLUMN
2021.01.19

コーチングは、チャットボットが行う時代に!?|世界スポーツ見聞録 vol.26

世界スポーツ見聞録
選手育成ツール『Aruga』の使用画面。LINE上で入力したデータは自動的に管理用にまとめられ、指導者と選手のコミュニケーションを助けてくれる。

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、コーチングの最新事情。

言葉の源を辿ってみると。

スポーツ教育の新しい事業に取り組んでいることもあって、指導とは何か、コーチングとは何かと考えることがしばしばある。スポーツに限らず、コーチングという言葉が一般的になって久しい。国際的な資格もあったり、ワークショップが行われていたり、会社であれ学校であれ、人を育てるための有効なスキル(ないしは手法)として認知されているのではないだろうか?

コーチングという言葉の源を辿ってみると、とても面白い。細かいことは省くが、由来は四輪の馬車が作られたハンガリーにある町の名前=コチで、人を運ぶ道具として四輪馬車が「コーチ」と呼ばれることになったそうだ(現在も欧米では乗り物のことをコーチと呼んでいたりする)。よく知られている同名ブランドのロゴを見れば、なるほどと思うかもしれない。

ともあれ、そのような語源から、コーチングとは人に何かを教える(=ティーチング)ではなく、人がどこかに行くことを手伝う、つまりそれぞれに寄り添って答えを見つけるサポートをする、というような説明をすることがよくある。しかし一方で、馬車に繫がれた馬をムチで叩く様子と、当時の教育現場で枝ムチを使っていたことの類似性からコーチという言葉が広がったという話もあり、歴史的な背景はともかく、「指導」の両義性が表れているのではないかと思ったりもする。

日米で異なる指導の仕方。

日本のスポーツ教育で指導といえば「ティーチング」をイメージする方が多いのではないだろうか。うまくなるためにはトレーニングの正解があり、それを教える指導者がいて、選手は教えてもらう立場になる。ノウハウは上から下へ流れる一方通行になりやすく、上下関係が生まれる状況が、体罰など指導の現場での課題を発生させるのだろう。しかし、ティーチングが絶対的に悪いわけではなく、スポーツには基礎的であれ高度であれスキルというのは必要で、教えてもらわないことには何も始まらなかったりする。

一方、私が米国の指導現場にいた当初は、そのスタイルに少し戸惑ってしまった。端的に言えば「教えない」のである。君はどうなりたいの? この練習の意味は? 今のプレーで何を考えていたの? 失敗した理由は? 正解は教えるのではなく、生徒たちが考える。考えるための示唆や原理原則は伝えるけれど、軸になるのは“自主性”だ。それぞれに寄り添って、それぞれのベストを探す手伝いをする、まさにそれぞれの人を馬車で運ぶコーチングだ。

そう言えば聞こえはいいが、自主的に考えられない場合はツライ。ライバルに置いていかれることもあるし、悩んで時間もかかるし、思い通りの結果がついてこないこともある。しかし、突破すると強い。達成感は特別だし、自身の課題を発見し、考え、解決を試みる自主性は、その後の挑戦にも継続的に好影響を与える。

ただ、それらを支えるには指導者の数も必要で、一人ひとり寄り添うには専任者として相応に時間をかけないといけない。私がいた環境は米国でも特に恵まれた環境だったから、日本の状況を考えれば夢のまた夢なのかもしれない。たとえば日本の部活動を見ると、指導者の半数近くが担当する競技の経験がなかったりする。スポーツを教えるのはあくまで課外活動で本業は教師で時間もなく、ムチは打たないにしても、多くがティーチングに留まらざるを得ない状況にあるのは確かだ。

ティーチングからコーチングへ。

課題は山積み。途方に暮れていたところ、見つけたのが『Aruga』というサービスだ。もやもやした霧が晴れ、燦々と輝く太陽を見つけた、そんな気分になった。

コーチングで重要なのはコミュニケーションだ。米国のコーチが声をかけたように、LINE上でチャットボットが選手の目標設定を促し、その振り返りを行ったり、コンディションを記録したりするのを自動でサポートする。それらの情報は転送され、まとまったデータを基に指導者が個別に、効率的にフィードバックする。

実際に導入したチームは、指導者の負担軽減、選手の高い継続率など、すでに多くの好結果がもたらされているようだ。指導者不足の解消や教師の働き方改革と社会課題に真っ向から応えることができるツールであり、ティーチングからコーチングへと指導の質が変わる流れを一気に加速させるだろう。

チャットボットが果たして人間の代わりになるのか。そのような、既に古びてしまった疑問は捨てた方がいいし、テクノロジーとはいえ、開発しているのが人間であることは大きいかもしれない。主導する代表者は、現役の大学生。アスリートとしても、起業家としても、順風満帆にやってきたわけではないようで、それゆえ、課題解決に寄り添うシステムや心地よい使い勝手につながっていること。私の勝手な見解ではあるけれど、困った人を救うための、やさしさや愛のようなものがテクノロジーの中に込められている。

かつて四輪の馬車が人の移動を豊かにしたように、Arugaもまた社会変革を起こす大きな可能性を秘めていると私は思っている。

田丸尚稔(たまる・なおとし)/1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。

文/田丸尚稔

初出『Tarzan』No.801・2020年12月17日発売

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