「次世代の選手のために、僕がまず道筋を作っていきたい」馬場馬術選手・林伸伍
3度の日本一に輝いた馬場馬術の日本のエースは、この競技のヨーロッパでの人気を目の当たりにして、日本での現状をどうにか変えようとしているのだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.801〈2020年12月17日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.801・2020年12月17日発売
馬場馬術はフィギュアスケートのよう。
厩舎の中に、ポクッポクッと馬の足音が響く。林伸伍は柵の中に入ると、馬の背や脚に、やさしく丁寧にブラシをかけていく。そして、十分にかけ終わると、馬具をつけて厩舎の外へと馬を連れ出す。
まずは、厩舎の周りを2周。これが、馬にとってのウォーミングアップとなる。驚いたことに、林は馬具に手をかけるでも、手綱を引くでもない。馬は、ただゆっくりと歩む林の傍らで、寄り添うように歩いていく。
林は馬術競技のひとつである、馬場馬術の日本を代表する選手である。残念ながら、2020年は2位に甘んじたが、14年、16年、18年と全日本馬場馬術選手権を3度制覇している。
馬場馬術は日本での認知度はそれほど高くないが、ヨーロッパでは非常に人気の競技で、大会が開催されると多くの観客が集まる。まず、この競技を林に解説してもらおう。
「馬場馬術はよくフィギュアスケートにたとえられます。人馬一体になって、あたかも馬が自らダンスしているような演技を見せるという競技。規定演技と自由演技のふたつがあるのですが、自由演技では音楽が流れ、馬が楽しそうに踊っているように演出していく。だから、人と馬の信頼関係がとても大事になる。見に行く機会があったら、そんなところを感じてくれたらうれしいですね」
もちろん、実際は人間が指示を出して馬はその通りに動く。だが、そのことをできるだけ悟られずに演技を行うことが重要なのだ。人はただ背に乗っているだけで、馬が勝手に動いているようにしか見えないという演技がベスト。手綱を引いたりなどすると、マイナス材料になる。
「そういう演技ができるようになるには、普段の練習の積み重ねが大事なんです。それに馬は一頭一頭個性がある。だから、それに合わせることも大切になってくる。
すべての馬が同じように動いてくれるわけではありません。馬を見極めるというのは経験が必要。たまたま僕は小さい頃からいろんな馬に乗ってきたし、世話もずっと続けてきたので、同世代の選手に比べると、経験だけは多少あるのかなと思っています」
世界を駆け巡る馬術選手とコロナ禍。
林は日本の他にドイツにも拠点を持っている。いや、林だけでなく馬術のトップ選手は必ずといっていいほどヨーロッパに拠点がある。とにかく、環境が大きく違うのだ。日本で馬は生産されてはいるが、その9割が競走馬で、馬術用の馬はとても少ない。ヨーロッパではいろんな馬を見ることができ、そのなかで自分の好みに合った馬を選ぶことができる。
林にも東京オリンピック本番用の馬が、ドイツに2頭いる。さらに、ヨーロッパでは馬場馬術の歴史が古いことから、トレーニングが本格的だし、洗練されている。そんなこともあって、選手たちは海外と日本を駆け巡ることになるのだ。
「僕がドイツを選んだのは、もちろん歴史の長さもあるんですが、今、馬術が一番強い国だからです。それに、ドイツ人のこの競技に対する考え方が自分に合っていると思ったから。ドイツ人は愛馬精神というか、馬に深い愛情を持って接している。
また、基本に忠実なトレーニングを行い、奇をてらったところがない。もともと国民性が真面目ということもあるんでしょうが、向こうが言ってくることは納得できるし、僕の意見と共通する部分も多いんですよ」
2020年の1月からオリンピックの選考が始まった。大会に出場してポイントを稼ぎ、夢の舞台を目指すはずだった。林も1月にはドイツに行き、大会に出場していった。ところが3月の中旬の大会を最後に、新型コロナウイルスの影響ですべての大会が中止されてしまった。
「それで、3月の中旬に仕切り直しというか、いったん日本に帰国したんです。8月になって再び渡航できるようになって、2か月ドイツに行って1試合に出場することができた。でも、今またヨーロッパで感染が拡大してきたので、競技はほとんどキャンセルになって、まったく先が見えない状態になっているんですよ」
ドイツに置かれた本番用の2頭の馬とのコミュニケーションも取れなくなっているのが現状。しかし、これに関しては、心配はしていない。
「もちろん長く一緒に過ごすことも大切ですが、会えないときにその状況をカバーするのも人間の経験なんです。経験によって、引き出しが多くなることで、会えなかった時間を取り返すことができるようになる。これも、いろんな馬に乗ってきたことが役立っているんですよね」
馬場馬術は最初、全然好きではなかった。
北海道の札幌市が林の故郷である。叔母が勤めていた乗馬クラブで、3歳から小型のポニーに乗り始める。小学校の高学年になると本格的に馬術に取り組んでいこうと決意する。それまで、並行して行っていたサッカーをやめ、一本に絞った。最大の理由は馬が好きだったから。
「とにかく馬と接しているのが楽しかった。最初は障害馬術をやっていました。中学校から高校までの期間は、ほぼ毎日通っていました。平日は学校が終わってから3頭ほど乗ります。1頭で40~50分乗るので、全部で2時間ぐらいですね。
ただ、高校時代までは北海道の無名の少年でしたし、全国大会には出場できても、予選敗退というぐらいの選手だった。でも馬術をやめようと思ったことは一度もありませんでした」
高校を卒業した林は、明治大学に進学する。当時、この大学の馬術部は最強の名をほしいままにしていた。彼が入学した年にインカレで10連覇を達成した。そんななかに全国大会予選敗退の選手が加わったわけだ。どうにもならないと思うのが普通だろう。しかし、林はなんと1年からレギュラーに抜擢されたのである。
「同世代にも実力が上の選手がいっぱいいて、彼らはレギュラーになれるけど、自分は厳しいだろうと思っていました。でも、練習をしていくなかで監督が使ってくれるようになって、そこからが始まりでしたね。すごい人ばかりがいて、その中で揉まれたのがよかったのと僕自身も負けたくないという気持ちでした。
大学1年では成績が残せなかったのですが、辛抱強く監督が使ってくれたのがありがたかった。ただ、馬場馬術は1年のときから始めたのですが、全然できなかったし、好きでもなかったんです。ところが2年生になって、全日本ジュニアの馬場馬術でポンッと優勝してしまった。いい馬と巡り合ったのが大きかった。“こんないい馬がいるんだ”というぐらいの馬に乗せてもらいましたから」
大学4年のときにも同大会で優勝。これにより馬場馬術を専門的に行うようになっていく。そして、大学卒業後に、もうひとつ林を変える出来事が起きる。先輩に短期のドイツ留学に誘われたのだ。期間は3か月。
「これは大きな出来事でした。学生の試合で海外に行ったことはあるけど、そこまで長い期間滞在したことはなかった。何もかもが日本と違った。当たり前ですが馬に対しても文化は違いますし、向こうではメジャーな競技で、テレビで中継もされているんです。そういうのを目の当たりにして、こういう試合に出たいと思ったし、トレーニングも受けたいと思った。
もちろん、海外との行き来となると大金がいるし、生活のことも考えなくてはいけない。だから、簡単に挑戦できることではないけど、いつかチャンスがあればやりたいと思うようになったんです」
将来的には馬と人を育てていきたい。
ドイツのテレビで見た中継。それは、林にとって衝撃であったろう。日本では大会の観客も少なく、よい環境のなかで練習ができるわけでもない。それでも、林は恵まれているほうだろう。静岡県御殿場市にあるアイリッシュアラン乗馬学校の全面的な協力を得て、チーフインストラクターとして指導する傍ら、日々、何時間かのトレーニングに励むことができるのだから。
ただ、日本のこの現状をどうにか突破したいという強い思いを林は抱いている。そのためには馬場馬術の知名度を上げること。その格好の機会となるのが、東京オリンピックなのである。
「オリンピックでは個人では決勝に進みたいと思っていて、団体は入賞、うまくいけばメダルと考えています。そして、これが次の若い子たちの力になって、いずれ日本がメダルを獲るという日が来ればと思っています。ただ、メダルを獲っただけでは、瞬間的に注目されてもすぐに終わってしまいます。だから、競技をショー的に見せるとか、難しいんですが、誰もが気軽に馬に乗れるような環境にしていくとか、乗馬が魅力的に感じられる状況を整えたい。
選手としてだけでなく、そういうことも積極的にやってみたいんですね。将来的には、馬と人を育てることも大切なことです。自分で育てた馬でオリンピックに出場できたらすごいことですし、高いレベルの選手を育てることもこれからの課題となってきます。今、ここ(アイリッシュアラン乗馬学校)もジュニアの子もいっぱいいて、いつか大きな舞台に立つために練習している。
そんな子のためにまずは僕が道筋を作っていきたい。選手をしながら、トレーナーとしても指導をして、馬場馬術をメジャーな競技に押し上げていきたいです」