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「師匠を超えて、同世代選手と気持ちの面でも肩を並べたい」棒高跳び・江島雅紀

日本高校記録を樹立して将来を期待された彼は、大学で躓く。恐怖心と闘い、昨年ようやくトンネルを抜けた。いざ、日本人初の6mの大台へ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.793〈2020年8月6日発売号〉より全文掲載)

競技を楽しめていただろうか。

現在、棒高跳びの日本歴代3位の記録を持つのが江島雅紀だ。日本大学の4年生、21歳ということを考えれば、将来が非常に楽しみな選手である。

彼がその才能を見せつけ始めたのが昨シーズンだ。2019年6月に行われた日本選手権。ここで5m61を跳び、初タイトルに輝いた。そして、8月に開催された上総棒高跳・走高跳記録会では2年ぶりの自己ベストとなる5m71を跳び、これが歴代3位の記録となった。また、この記録により世界選手権の出場も決める。

続けて、日本インカレ。ここでも、ただ一人5m50を跳んで優勝を飾る。10月にドーハで行われた自身初出場の世界選手権では結果を残せなかったが、これらの出来事で棒高跳びの江島という名前は、多くの人が記憶することとなった。まずは、彼に昨シーズンを振り返ってもらった。

江島雅紀(えじま・まさき)

「自分の中で焦りがあったんです。僕の世代って、橋岡(優輝、幅跳び元日本記録保持者)とか、サニブラウン(・アブデル・ハキーム、短距離100m日本記録保持者)君とか、世界で活躍している選手がいる。ダイヤモンドアスリートといって、競技者を強化育成する制度があって、僕も選んでもらっているんですが、他の人に比べると、自分がどんどん置いていかれるような感じがしていたんです。

だから、昨シーズンは自分の中ではうまくいったと思っています。ただ、それでもあまり満足はしていません。なぜかというと、自分から取りにいったというよりは、取れちゃった試合というのが多かったから。もちろん、勝つことは大事ですが、棒高跳びを楽しめていたのかというと疑問なんです」

と言うが、5m71は、決して偶然で跳べる高さではない。ただ、江島は高校2年で5m36を、3年生で5m46を跳んでいて、これは日本高校記録である。だから、大学へ入学したときには、すぐに更なる高みへと跳躍するだろうと誰もが期待していた。

ところが、大学1年のときは自己新をマークしたものの、その後は調子を落とす。苦しい時を過ごしたのである。それは、棒高跳びという競技だけに存在する“恐怖感”に囚われてしまったからなのだ。

ピットに立った瞬間、踏み切れないとわかった。

江島は中学に入学して棒高跳びを始める。きっかけのひとつは、2歳年上の兄がこの競技を始めていたから。そして、もうひとつが澤野大地だった。澤野は棒高跳びの日本の第一人者であり、日本記録の5m83は15年間破られていない大記録だ。

「世界選手権で澤野さんが跳んでいるのをテレビで見たんです。そのとき“わっ、すごい”って思った。本当に空を舞っていたんです。こんなことができたらいいなって感動しました。子供のころからけっこうやんちゃで、怖いものがなかったんです。だから、棒高跳びって絶対ケガするけど、無茶な自分に向いているんじゃないかと思ったりもしたんです」

この競技で最初に苦労することは、ポールを曲げることだろう。ポールに体重をグッとかけてしならせる。そして、その反発力を上手に利用して、高く跳び上がるのである。初心者はこれができない。まるで竿竹のように、ポールがまっすぐに伸びたままで跳んでしまうのが普通なのである。ところが、江島は違った。

江島雅紀(えじま・まさき)

「兄も驚いたんですが、1回目からポールを曲げることができたんです。グワンってポールが曲がって、空を飛んでるって思って。下に人が見えるんです。ブランコや鉄棒から飛び降りるのとは違う、初めての感覚だった。ただ、空中でどんなふうにカラダを制御するかなんてまったく知りませんから、スパイクがふくらはぎに刺さってケガをしてしまった。でも、怖さよりも楽しいって気持ちが大きかった。それで、棒高跳びしかないって瞬間的に思ったんです」

ただ、やはり棒高跳びにはケガがつきもの。何といっても、普通の人は絶対に跳べない高さを跳ぶのである。江島は中学校3年のときに全国ランキング1位となるのだが、その年の全日本中学校陸上競技選手権の予選で肉離れをしてしまい敗退。悔しい思いをした。だが、これが高校での活躍へと繫がるのである。

高校では前述した通り、日本高校記録を樹立してインターハイでも2連覇を果たす。さらに、室内記録では5m50という高校生では考えられない高さも跳んでいる。「すごく楽しかった」と、江島は振り返る。

そして、日本大学に進学することを決める。そこには、憧れの澤野がいた。澤野は日大出身で、卒業後もずっと大学の競技場で練習していたのだ。ちなみに現在もコーチ兼現役選手としてグラウンドに立ち続けている。

「とにかく、逃げたくなかったんです。澤野さんは憧れの人であったけど、抜きたい存在でもあった。だから、近くにいたいと思った。師匠を倒すのは弟子ってのがいい、なんて考えてもいたんですね」

環境は抜群だった。江島の前にインターハイチャンピオンになった先輩が2人いたし、加藤弘一部長や澤野から直々に教えを乞うこともできた。そして、1年のときに早々と結果を出す。インドで開催されたアジア陸上競技選手権で5m65を跳び、2位になったのである。しかし、ここから辛い日々が始まる。走力が増したのが大きな原因だった。高校のときに比べ、助走の速度が上がったのである。たった0.何秒の差なのだが、これによって、踏み切れなくなってしまったのだ。こんな経験をする選手は少なくない。“踏み切れない病”とも呼ばれるのだが、江島のように1年以上も悩み続けるのは珍しいだろう。

「踏み切れない病というと、普通は助走して突っ込んだけど、踏み切れないって感じで、練習中や競技中に起きるものなんです。僕のはちょっと違って、大会の前日にイメージトレーニングで棒高跳びの動画を見ているだけで手が震えたり、ピットに立った瞬間に踏み切れないことがわかってしまう。もちろん気持ちは跳びたいんですよ。だけど、脳で考えていることをカラダがまったく否定してしまっていたんです」

江島雅紀(えじま・まさき)

何も怖くなかった江島が、このとき初めて棒高跳びの恐ろしさを感じた。つくづく、この競技は特殊である。幅跳びでも高跳びでも、踏み切るのが怖いと思う選手は皆無である。この競技のリスクの大きさがわかろう。ただ、チームメイトがいたおかげで江島は救われた。

「雰囲気がとてもいいんです。誰か一人が上手くいかなくて落ち込んでいると、周りががんばって上手く励ます。僕もイライラしたときなんか、友達にアドバイスしてもらってできるようになっていったりして。本来、敵なんだけどファミリー感みたいなものがあって、それで助かりました」

そして昨年、江島は飛翔したのだ。

オリンピックの標準記録。まず今年中に突破したい。

さて、現在も江島は澤野と切磋琢磨して練習に励んでいる。彼にとって師匠とは、どんな存在なのだろう。

「最初は僕の中では、どう捉えていいのかわからなかったんです。先生(澤野はスポーツ科学部の専任講師でもある)だし、コーチだし、ライバルだし。で、辿り着いたのがレジェンドという言葉。何に対しても本気で、何も欠けたところがない。だから、競技者ではなく人間としてすごいなと思いますね。たとえば、使った道具でも、後輩にやらせずに、自分で率先して片づける。僕も常々やってきたことなんですが、そういう澤野さんの姿を見て、“人間力なくして競技力向上なし”っていうJOC(日本オリンピック委員会)のスローガンの通りだなと思いますね。

それにコーチが一緒に跳んで指導してくれるのって、日本では澤野さんしかいない(笑)。棒高跳びってイメージのスポーツなので、言葉で伝えにくいんです。でも、澤野さんは跳んで示してくれるからわかりやすい。見ておけば、ちょっとずつでも吸収できるので、それは自分にとってとても大きいところなんです」

江島雅紀(えじま・まさき)
江島雅紀(えじま・まさき)/1999年、神奈川県生まれ。190cm、79kg、体脂肪率5%。中学より棒高跳びを始める。荏田高校に進学し、インターハイでは2年、3年と連覇を果たす。2015年、世界ユース選手権で6位。17年、日本大学に入学し、アジア選手権で2位。18年、世界U20選手権で3位。昨年開催された日本選手権で初優勝した。

昨年の日本選手権で澤野は2位だった。しかし、江島が優勝となる5m61を跳んだとき、すぐに笑顔で近づき、グータッチをしたのは彼だった。そういう人格にも、江島は惚れているのであろう。ただ、いつまでも澤野のあとをついていくわけにはいかない。来年は東京オリンピックがあるのだ。棒高跳びでの出場枠はたった1枠しかない。さらに参加標準記録は5m80なのである。

「最終的な目標は6mです。ただ、5m80台というのは、日本ではまだ師匠しか跳んでいないし、標準記録でもあるので、まずは今年中にクリアしたい。標準を越えていなくても、ランキングで出場できる可能性もあるのですが、同じ大学の橋岡や北口(榛花、やり投げ日本記録保持者)先輩はクリアしているので、自分ができないというのはちょっと格好悪いですから。それで、来年は日本記録を早い時期に出したい。

また、アベレージを高めていくことも大切。東京オリンピックが1年延期になったけど、この時間をすべて準備に充てられるのはいいことだと考えています。本番では、5m85を跳べればメダルに絡めると思う。昨年世界選手権に出場したときに、この雰囲気の中で実力を発揮するのは大変だと痛感したんですが、これが次に向かういい経験になりましたね。

東京ではまずはファイナリストになりたい。棒高跳びは技術がモノをいう競技だから、わりと選手生命が長い。だから、4年後のパリやその次のロサンゼルスにも出場したい。そして、最終的に金メダルを獲れたらいいと、今は考えているんです」

取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介

初出『Tarzan』No.793・2020年8月6日発売

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