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大会での勝利という美しい「呪縛」から、逃れることはできるのか|世界スポーツ見聞録 vol.21

錦織圭も在籍していた最高峰のスポーツ教育機関「IMGアカデミー」。2019年末までアジアトップを務めた田丸尚稔氏が語る、「#スポーツを止めるな2020」というムーブメントについて。

“withコロナ”と学生スポーツ。

新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言も解除され、感染者の数が増減を繰り返しつつもゆるやかな波になってきたようにも思うが、スポーツイベントの在り方は日々、状況が変わっている。少なくともワクチンが普及するまでは“withコロナ”が前提で実施していくことになるのだろう。

そんななか、インターハイや甲子園など、学生を対象にした大会が相次いで中止され、それを受けてラグビーを起点として始まった「#スポーツを止めるな2020」というムーブメントに目が留まった。

大会が行われないことで、大学など選手をリクルートする活動が止まることを受けて、SNS上での情報発信からスタートし、その活動がラグビーから他の競技にも広がり、やがては代替となる試合や大会を開催する動きが展開されるようになった。

高校生のスポーツ活動の集大成となるはずだった大会の中止に、気落ちし、涙を流した学生たちが多く報道されていたなか、まったく同じ状況には戻らないものの、一筋の光が見えるムーブメントなのだろうと思う。

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中止ごときで「スポーツは止まらない」

私個人としても、ムーブメントには賛同する。高校時代はテニス部に所属し、顧問はテニス経験がないという状況のなか(誤解されたくないが、顧問はテニス自体には関わらなかったが、活動にはとても好意的で生徒は信頼していた。また、日本の部活動の半数近くの指導者が競技経験はないというデータもあり、課題であるのは間違いないが一般的な状況でもある)、チームの仲間と工夫し、連帯し、春の選抜大会やインターハイに出場した経験は(私は団体戦に参加し、とても上手なチームメイトが勝利して“連れていってもらった”というのが正確な状況だったけれど、それでも)人生を左右する大きな経験だった。

だから、スポーツを止めないための活動に対して基本的にポジティブに捉えているのだが、ある日、実際に部活動に取り組む学生の反応を耳にした時には、小さくない驚きを覚えることになった。試合の機会があるかもしれない希望が出てきたことに関して、「はあ、って感じです」という言葉。嬉しくも悲しくもない“やれやれ”感が滲み出ていたのである。

考えてみれば、至極当然のことだと気付く。

全員が全員、レギュラーになれるわけでもない。部活動に対してネガティブに感じている生徒もいる。大会の中止に涙する選手がいる一方で、どこかほっとしている学生もいる。大会がすべて(あるいは勝利至上主義)ではなく、活動の中にある努力成長チームの連帯こそが大事だったりする。

大会の重要性は理解しつつ、「#スポーツを止めるな」ではなく、中止ごときで「スポーツは止まらない」と言い切れる、本質的な強さがないことに課題があるかもしれない。そして自分も含めて、大人が抱く「美しい思い出」が、ただの「思い込み」として子供たちに押し付けられていやしないか、とも思ってしまったのだ。

スポーツではないけれど、さいたま市の小学校で、生徒およそ10万人がコロナ禍で活動する医療従事者に向けて拍手をする、という催しがあった。全員に「すばらしい」と称賛させ、一様にやらせる方法に違和感を覚えるのも、課題の根本は同じかもしれない。

「 #スポーツを止めるな2020 」について|世界スポーツ見聞録 vol.21

勝利以外のオプション。

ある研究では、身体活動が促進されるメカニズムに焦点を当て、結果期待(身体活動によって得られる効果を多く感じること)や社会的要因(周りからの支援や社会的プレッシャーなど)が効果的とは言えず、自己調整(計画や目標設定、実施状況の記録と評価を自分で行うこと)のみが媒介要因としてエビデンスがある、と結論付けている。また、動機付けの研究でも、他者からの報酬や義務感など外発的な要因よりも、楽しみや挑戦など内発的な要因が身体活動の促進に対して重要であることが示唆されている。

乱暴に言えば、選手たちの「自主性」を担保することが大事、ということ。つまり、大会の勝利を目指す一方で、そうではないオプションを選択できることも必要なのではないか。しかし、そう簡単なものではないのも確かだろう。

大会以外に、どのような選択肢が用意できるのか。練習の内容もレベルも、多様な環境を物理的に整えることはできるのか。指導者など人的リソースは不足しているし、施設だって限られている。さらに、我々大人が、大会での勝利という美しい「呪縛」から、感覚的に逃れることはできるのか。

また、自主性を重んじるということは、答えを植え付けるのではなく、さまざまな選択肢を選ぶこと、あるいは失敗することも容認する覚悟も必要になる。たとえば、2+8という問題の答えを10と教えるのではなく、10というゴールがあるとして、それを導く方法が1+9でも、5+5でも、あるいは5×2でも、各々が選び取る過程に寄り添えるのか。

考えると、気が遠くなるほど道のりは遠い。しかし、あきらめず思考をやめないこと。それが真の「#スポーツを止めるな」という活動になるのだと思う。

田丸尚稔(たまる・なおとし)/1975年、福島県生まれ。出版社でスポーツ誌等の編集職を経て渡米。フロリダ州立大学にてスポーツマネジメント修士課程を修了し、IMGアカデミーのアジア地区代表を務めた。筑波大学大学院在籍(スポーツウエルネス学・博士後期課程)。

文/田丸尚稔

(初出『Tarzan』No.791・2020年7月9日発売)

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